水溶液にとける夏

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 私が中学生のときから一緒だったハムスターは、チロという名前だった。  チロは、ある日突然亡くなってしまった。  チロが眠るように動かなくなってしまったとき、私は悲しくて、悲しくてしょうがなくて、どうしようもなかった。チロが生きていた頃、私はチロに学校の授業のこと、帰りに見た空の色、最近眠くてたまらないことなど、なんでも話した。朝目覚めた瞬間から、寝るときまで一緒だった。チロは言葉こそ話さないものの、私の大切な友達だった。ゲージから出したチロを手のひらにのせると、その小さく震わせる体は、本当にあたたかかった。とても、あたたかかったのだ。  眠るように動かなくなってしまったチロを、私はホルマリンに漬けようと思った。チロの魂がそこにあったとしてもなかったとしても、チロの体を永遠に保ち続けたかった。チロをかたちづくる細胞をとっておきたかったのだ。  推しを好き。チロを好き。晴太を好き。晴太が私を好き。すべて、好きの気持ちは同じだ。その重さや愛の表し方が違うだけで。  晴太は、人間の脳のホルマリン漬けが発見されたニュースを気持ち悪いと言ったよね。でも、私はそのニュースを聞いたとき、まるで宇宙の彼方に待ち望んだ星を見つけたように、大きな希望を見つけた気がした。自分の大切な存在を、この世に残しておく方法があることが、とても嬉しかったんだよ。  ほら。だって、私は今も、目の前にいる晴太を、いつまでも私の眼に映しておけない現実に、絶望している。 「好き、だからさ」  晴太の眼をまともに見つめると泣きそうになるから、私は望みもしないわがままを言う。 「あ、そうだ、クレープ食べよ。今しかできないこと、いっぱいしようよ」  ふっと力を抜いたように晴太が笑う。その笑みは、今この瞬間にある、不安も好きの気持ちも混じり合っている。  私は、晴太が目の前にいるこの時間が永遠に続くことはないとわかっている。私たちは一日ごとに年を重ねる。見えなくても、確実に。それぞれの道に進み、それぞれの人生をいつか生きていく。  そんな絶望に打ちのめされながら、晴太が目の前にいる。ただそれだけで、この現実を、私はいとも簡単に愛せてしまうのだ。
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