水溶液にとける夏

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 晴太は隣の隣のクラスの、いわゆる「イケてる部類」らしかった。友達もおらず、他のクラスどころか自分のクラス事情にも一切精通していなかった私は、晴太がサッカー部でエース的な存在であること、抜群の運動神経や爽やかなルックスから男女問わずモテているということを、後に知ることになる。  晴太と生物室で出会ってから、なんとなく廊下ですれ違うときには話すようになった。背の高い晴太は、華やかに笑う同級生の笑い声がそこだけ静寂に包まれているかのように、ぽっかりと周りから浮かび上がっているように見えた。だから、どんなに廊下に人がいても、すぐに見つけることができた。 「つぎ何? 授業」 「数学、だるいわー」  たわいもない言葉を何度か交わすうちに、今度の中間テスト前に勉強教えてくんね? と晴太から頼まれた。私にとって、最大の幸福だったのか、その逆なのか。今ではもう、わからない。  勉強会という名目で、晴太と約束を交わし初めて会ったのは図書室だった。朝も放課後もサッカー部の練習が忙しい晴太は、昼休みしか勉強に充てる時間がないらしかった。晴太との勉強特訓に合わせて、二時間目と三時間目、三時間目と四時間目の間の十分休みをフルに使い、私は昼食用の弁当をかきこんだ。運動部でもなく、早弁をする理由が見当たらない私が、タコの足がついたウインナーの匂いを巻き散らかしていることにクラスメートはどう思うんだろう。そんな感情がよぎったのは、ほんの一瞬だった。  昼休みには晴太と会える。そして、私は、今いる世界から抜け出せる。そう思うと、もはや今この瞬間に自分を取り巻く周りのことなど、どうでもよくなり、私は一心不乱に卵焼きをほおばった。  十二時三十五分を長針が差すと同時にチャイムが鳴ると、私は数学の教科書とノート、ペンケースを持って一目散に図書室に向かった。腹減ったー、などと言い合いながら、わらわらと教室から出てくる同級生で、廊下はゆっくり混みあっていく。各々ロッカーに資料集や参考書を閉まったり、一階の購買に向かったりと羽をのばすように散っていく。私は足早に人混みを通り抜けて廊下の突き当りを右折し、人気のない階段を上って図書室へと向かった。  
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