水溶液にとける夏

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 昼休みの勉強特訓を開始してから二週間が経った頃、数学の中間テスト当日を迎えた。テストが無事に終わり、昼休みの晴太との勉強特訓はあっけなく終わりを告げてしまうように思えた。が。選択授業の教室移動で晴太とすれ違ったとき、晴太は「テスト終わったけど、水曜日の昼、図書室に集合な」と大きな背をかがめて小声でささやいた。周囲を警戒した、いつもとは違う挙動不審な姿に、何かやましいことでもあるのではないかと私は疑念を抱いた。そして、むくむくと増殖していく疑念を拭えないまま、約束の水曜日。私は一人、足早に図書室へと向かった。  外は土砂降りの雨が降っていて、黴臭い臭いがより濃くなった図書室には、テスト期間も終わりを迎えたからか人影はなかった。いつもの窓際の席に座り、降りしきる雨を見ながら晴太を待っていると、ほどなくして晴太は「よっす」と後ろから私を驚かす形で現れた。私の目の前に差し出された数学のわら半紙の答案には、大量の赤丸と百点の数字が書かれていて、目がちかちかした。 「どしたの、これ」  私は晴太とテスト用紙を交互に見ながら、つぶやいた。 「桐のおかげで、百点とれた」  え、うそ!? と叫ぶ私の声は、誰もいない図書室を駆け抜けた。晴太の頑張りは近くで見ていたものの、まさか晴太が百点をとるとは。自分の身体の内側からこんなに大きな声が出ることに驚きながらも、嬉しくてたまらなかった。 「百点とったら、付き合ってくれるって約束だったから」 「付き合うって、どこに」 「そうじゃなくて」  晴太は、少し困ったような顔で、頭をがしがしとかいていた。そして、一呼吸置いた後に、私の目をまっすぐと見つめた。 「俺の彼女になってください」  そんな約束、してない。  時が止まる瞬間は、いつも突然だ。人生で最大の幸福が訪れる瞬間も。  嬉しい気持ちが湧き上がってきて、なぜか目の前の晴太が消えてしまいそうな気がして、鼻がつんとして視界がぼやけた。晴太はモテるし、私は他の子より可愛いわけでも愛想がいいわけでもない。でも。  晴太を誰よりも好きになれる自信があった。むしろ好きになりすぎてしまうのが、不安だった。晴太の眼をまともに見ることができずに、お願いします、とうつむいた私の頭を、晴太は自分の頭をかくよりも優しくわしわしと撫でた。そして、左頬に沼を作った、と思う。  
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