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元より警戒心は強い方だった。そうじゃないと生きてこれなかったし、多分、この先、大人になっても、どこまでも、僕は、表向きは薄ら笑いを浮かべて接しつつも、常に、心の奥底では、上目遣いに、冷徹に、その目を相手に煌々とさせ、生きていくんだろう。
学校の屋上は表向きは立ち入り禁止となっていたけれど、生活指導の教師も既に呆れはじめた、懲りない僕は、今日も施錠をかち割って、そのドアを開く。開いた途端にそよいでくる空気は、いくら毎年異常気象続きの暖冬とは言え、北風の中に凛とした成分を漂わせていた。
「…………」
屋上はいつも自由に近いところにあるように思えた。見渡せば、ずぅっと彼方にまで広がる街、街、街、街。
そのもっと遠いところまで行けたら、なにか大きな宝物だって手にすることができる気がした。
「…………」
そして、僕は、その場にドカッと腰をおろすと、背負っていたギターケースを開き、それを握り、わざわざ、挑発的に制服のブレザーの胸ポケットにしのばせていたタバコの箱から一本を取り出すと口にくわえ、煙をくゆらせると、フィンガーボードに目を落とす。
クソみたいになんのおもしろみもない世界の中で、バイト代だけでは足らず、自分の住む団地の、近所の子供たちからすら金を巻き上げ、漸く手にした、中古の、そのアコースティックギターだけが、僕を、どこかの、なんの苦しみもない世界に連れていってくれる案内人と信じて疑わなかった。
そのひと時だけ、僕の顔はひたむきだったかもしれない。
目の前に見える都庁が、まるで暗闇の中で光る未来都市の一角のように見える頃、ひたむきさは、時間によって差し迫ってくる寒さも忘れさせる。そう。僕は、本当は、どこかに逃げ出したくてたまらなかったんだ。すると、
「……やっぱりっ! ここだったかっ! 君ってコはっ」
きっと、少ししかめ面なんてしているであろう、部活を終えた「彼女」の声が夜の屋上の空に響いて、ふと、僕は我に返ると、短いスカートからのびた足の先の、紺色のソックスを覆うローファーが、仁王立ちしている様子が目に入り、奏でていた音は思わず止まった。
そもそもそれは、文化祭の時、クラスメートの友達たちとやった、ちょっとした悪ふざけだったんだ。所謂、自分たちのクラスの模擬店を盛り上げるために、僕は、ギターを弾いてはでたらめな調子で歌いつつ、模擬店の宣伝をし、学校中の廊下を歩き回ってやったのだ。既に、この時点で、箸が転がってもおかしい年ごろたちは大爆笑で、模擬店の集客のことなどどうでもよくなっていて、実際、この行為が僕らの教室の模擬店にどれだけ貢献したかはわからない。ただただ仲間たちと笑いあっているだけでも、その瞬間は、高校受験をしてよかったと思えた、はじめてのことだったかもしれない。
この行為には、「エレキギター必須、また、ロックバンドを組むことが前提」という、意味不明な縛りで、軽音楽部を門前払いされたことへの細やかな腹いせ程度の気持ちはあった。だが、事態は、思わぬ展開を見せ始め、その後、名も知らぬ怖い怖ーい先輩たちにトイレに呼び出された時は、(……来年はもう、絶対やんない)と、仲間とともに流石にマジで震えたものだったのだけど、そして蒼白としたまんま、秋の陽射しが差し込む渡り廊下なんて歩き出していた頃、黒く長い髪の映えた、これまた名も知らぬ「先輩」とのすれ違いざま、何故か僕の名を呼ばれたので振り向くと、そのあまりの美しさには、僕は赤面とともに俯いてしまい、それきりまともに見ることは、その後、誘われるがままに共にした下校時の、その何度目かに告白をされた瞬間、驚いて見返した時に瞳に焼き付いた、新宿の夜の街並みのなかの照れ笑いの表情が直近で、言わば、それが僕の最初の「彼女」だった。
「…………おつかれ~っす」
僕はかわいた声質で、いつもの、口をとんがらせたような、目も泳がす、俯いた猫背で返事をする。だって、しょうがないだろう。バスケットボール部のエース的存在を、帰宅部の僕が、どんな顔をして出迎えてやればいいというのか。そして、そもそもの問題だ。「彼女」は既に十七歳となっていたけれど、僕は、まだ十五歳だったのだ。つい、去年まで中学生だった少年にとって、既に十七歳の女性は、あまりに大人に見えていて、僕は、未だにこの状況が信じられずにいると、どこかふわふわしたような、それでいて胸のどこかが苦しいような、その交錯する感情の狭間で、一層の警戒心をもたげさせるしかなかったのだ。
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