:第二十五 生きて

1/2
前へ
/82ページ
次へ

:第二十五 生きて

海を見た帰り、俺達は冬見の警察署へと赴いた。 事情聴取はそれぞれ別室に分けて行われ、俺は楓達を発見してからの経緯について詳しく聴かれた。 無論、事件が発覚してすぐ通報しなかったことを咎められたのは、言うまでもない。 「───本人がそう説明したんですか?」 「ええ。どうしてもと自分がお願いしたから、貴方は断れなかったんだと……」 「あいつ……」 俺は全面的に非を認めた。 通報しなかったのは俺の独断で、自首が遅れたのも俺が連れ回したせい。 たとえ厳しい処断が下ろうとも、楓の情状酌量を後押しできるなら構わなかった。 だが、楓の方も俺を庇おうとしたらしい。 自分が頼んで連れ出してもらった、彼は運悪く巻き込まれた被害者である。 俺に矛先が向かないよう率先して罪を被っていたと、後に担当者が教えてくれた。 残念ながら、道理と判断されたのは楓の意見だった。 俺はこれといった罰則もなしに、当日中の解放を許された。 楓に免じて帰り着いた家は、終ぞなく閑散としていて、息苦しかった。どちらが檻に閉じ込められたか分からないほどに。 「───ネグレクトに虐待、と……。なるほど。そして当日の────」 「繰り返さなくていいです。今言ったことが全てですから」 「……分かりました。ご協力感謝します。 裁判の日取りが決まりましたら、直ちにご連絡させていただきます」 「ありがとうございます。よろしくお願いします」 以降も俺は警察署へと通い詰めた。 楓の"これまで"と"これから"を、担当者に相談するために。 楓父がやってきたことは度し難い卑劣であり、楓も端から殺意を以って事に及んだのではない。 俺の言い分は一貫して変わらなかった。楓が不当に裁かれるのだけは、何としてでも防ぎたかった。 「───あの!」 「はい?」 「叶崎さん、ですか」 「ええ、そうですが。貴女は……?」 途中からは、楓の親族達も加わった。 血縁の濃い薄い、居住地の近い遠いに拘わらず、集まれる面子で楓を味方した。 俺は内の誰とも面識がなかったが、一方的に覚えのある人物が一人いた。 予定より早くに帰省したという、楓の実の母だ。 「私がいけなかったんです、ぜんぶ。 残されたあの子がどうなるか、分かった上で置いていった」 「………。」 「ごめんなさい、先生。私達のせいで、あなたにまでとんだ、ご迷惑を……」 宝生(ほうじょう)恵里(えり)。38歳。 中学生の息子がいるとは思えないスレンダーな体型に、腰まで伸びた茶髪のロングヘアー。 まるで楓が女装をしているように瓜二つな彼女は、涙ながらに俺と楓への謝罪を繰り返していた。 「わ、たし……。私、今更どんな顔で、あの子に会えばいいのか……っ」 その姿を見て俺は、非情な母なれど母には違いなかったのだと、呆れると同時に安堵した。 「───カナエちゃん、あの話本当なの!?嘘だよね!?楓くんがそんなことするわけないよね!?」 「───これがマジなら、どうなんだろうね?優等生。 カナエちゃんアイツと仲良かったけど、なんか聞いてないの?」 「───今思えば普通じゃなかったというか……。俺達とは違う世界に生きてるみたいな感じはありましたよね。 さすがに、こういう結果になるとは思いませんでしたけど」 「───カナエちゃん。オレ、まだ信じらんないよ。 だってあいつ、お祭りの時だってあんな、楽しそうだったのに……。 オレ、なんにも気付いてやれなかった」 冬休みが空け、三学期。 再開された学校は、楓の噂で燃えていた。 バットでメッタ打ちにしたとか、包丁でメッタ刺しにしたとか。 虐待が原因の怨恨だったとか、突発的にキレた末の不幸だったとか。 内容はガセだったり真だったりと様々だったが、"父親を殺した"という一点に於いては殆どの人間が聞き及んでいた。 箝口令が敷かれたはずなのに、一体どこから情報が漏れたのか。 同級生の父兄か、教師か。はたまた、俺か楓の近隣住民に過ぎない他人か。 いずれにせよ、自分達の境遇をエンタメ扱いされるのは、こういうことなんだな。 流れ作業であしらうたびに、空虚な心と不遜な社会とが隔っていく気がした。 「───なにも、言わなくていいです。言わなくても、分かるから」 「そっか。そうだよな」 「今更後悔したって、遅いんですよね。分かってます。分かってます、けど……」 「うん」 「オレにももっと、できることがあったはずって、ずっと、頭がいっぱいで」 「うん」 「……とにかく今は、オレのやるべきことをやります。それで、いつ楓が戻ってきてもいいように、待ちます。 なにがあっても、オレはいつまでも、あいつの友達だから」 「───わたしが泣いたって、しょうがないですよね。一番辛いのは、相良くんなんだし。 でも……、気付いたら涙が出るんです。どうして相良くんばっかりが、こんな……っ」 「………。」 「せんせい」 「うん?」 「わたし、相良くんに手紙、書こうと思います」 「手紙?」 「返事が来なくても、読んでもらえなくても、これから毎週、書きます」 「……君も辛いよ?」 「いいんです。なにがあっても、わたしは一生、相良くんを好きになったこと、後悔しませんから」 事情を知る葵くんと冴島さんは、この件を重く受け止めていた。 中でも葵くんは、楓と仲が良かったこともあり、クラスメイト達から執拗な質問攻めに遭っていた。 だが葵くん自身は、決して楓の秘密を明かさなかった。事態の混乱を避けるため、楓の名誉を守るために、敢えて知らぬ存ぜぬを通していた。 本当は主張したいこと、反論してやりたいことがたくさんあったろうに。ぐっと自分の感情を抑えて楓を守ろうとする姿勢は、とても立派だった。 「───叶くん。今夜、一緒に飲みに行きませんか?」 「……お気遣いは嬉しいですが、俺に羽を伸ばす権利は────」 「そんなこと言わないで。叶くんはもう十分、よくやったよ。叶くんばっかり、頑張りすぎなくらい」 「いえ……」 「……本当は、こうなる前に、もう少し、できることがあったのかもしれないけど。 でもそれは、叶くんのせいじゃないし、叶くんは悪くない。私はともかくとして、叶くんがそんな、自分のせいみたいに思うのは違うよ」 「ありがとうございます」 「どっちにしても、あとは裁判の結果を待つしかない。だから今のうちに英気を養っておくっていうか、───本当に、私が言えたことじゃないんだけど」 「………。」 「どうしても気が進まないなら、今夜はやめておく。ただ、これだけは覚えておいて。 あなたの存在は、きっと、相良くんの救いになっていたはずよ」 「───酷い顔色ですよ、先生。また眠れなかったんですか?」 「ああ、まあ……。情けない限りで」 「……気持ちは分かりますがね。あんまり自分を責めちゃ駄目ですよ。 というか、責任あるのは貴方より、俺の方でしょう。あいつとの付き合いは、俺のが早いし長いんですから」 「それとこれとは別ですよ。孝太郎さんには、楓も俺も、たくさん助けて頂きました。側にいない間のことを悔やんだって、いろいろ制約やら、限界があったわけだし……。 ───すいません。うまいこと何も、言葉、出てこなくて」 「ですね。今更こんなこと言い合ったって、あいつのためにはならない」 「そう思います。 ご主人や奥様はどうされてますか?お店の方も、風評被害があったりとか……」 「多少はね。でも心配いりません。しばらくはこんな調子でしょうけど、営業は変わらず続けてるんで」 「そうですか」 「先生も、余裕できたら、いつでもいらしてくださいね。叶うなら、いつかはまた、楓とも」 同じく事情を知る葛西先生と孝太郎さんは、楓のことを悲しむと同時に、俺を心配してくれた。 もしかすると、責任を感じて早まった真似をするんじゃないか、と思われたのかもしれない。 そんな彼らの支えを有り難くお借りしながら、俺はじっと忍び続けた。 警察への協力も、楓の親族との交流も、今できることはやり尽くした。あとは下される天命を、身なり正して待つのみと。 僅かでも楓の過ちが容赦されるよう、願いながら。 『───あ、もしもし。川田です』 『どうも。何かあったんですか?』 『えっとですね……。もうお聞きになってるかもしれませんが、明日の午後から────』 『裁判』 『そうです。恐らく今回で決着がつくかと思われます』 『はい、大体は伺ってます。用件って、そのことですか?』 『ええ。ただ、ですね。こちらの予定とはちょっと変更というか、状況が変わりまして』 『というと?』 『その……。楓さんご本人がですね、最後の裁判には、叶崎さんを出席させないでほしいと仰ってまして……』 『え』 怒濤を経た二ヶ月後。 通算三度目となる、楓の処遇を決する裁判が行われた。 一度目では証人台に立ち、二度目では傍聴席に招かれたので、てっきり今度も何かしらで参加させてもらえると思いきや。 最後に限って、何故か俺だけ拒まれた。傍聴席どころか、裁判所に来ることさえ許されなかった。 理由は、楓たっての希望、らしかった。 もし判決が悪いものであった場合、俺に無様を晒したくなかったのか。これ以上、俺の時間を使わせたくなかったのか。 真意は不明だが、本人が嫌がっているとあれば無視するわけにもいかず。 代表して見届けに行った恵里さんからの連絡を頼りに、俺は気もそぞろのまま出勤したのだった。 「───本当に、あなたには感謝の言葉もありません。このご恩は、一生忘れません」 「そんな、俺はただ楓くんの───、……いえ。 ところで、本人は今どうしてるんですか?まだ釈放にはならないんでしょうか?」 下された判決は、執行猶予二年。 平たく言うと、しばらく肩身の狭い思いはするが実質お咎めなし、とのことだった。 楓がまだ未成年であることを含め、立場を考慮した上での情状酌量が大きく影響した結果だそうだ。 「どうしても今は会えないからと、これを……」 「………。」 「あの子が何を考えているかは、私にも分かりませんが……。良ければ、読んでやってください」 俺はさっそく葵くん達へ報告に回り、みんなと喜びを分かち合った。 ところが、後に合流した恵里さんは、釈放済みであるはずの楓を連れていなかった。 直接会えない代わりにと、恵里さんを介して届けられたのは、留置場で認めたという本人直筆の手紙だった。 "────これを受け取ったということは、そんなに悪い結果じゃなかった、ということになるんでしょう"。 "なのにどうしてお前はここにいないのかと、きっと怒っているよね。 色々頑張ってくれたのに、直接お礼を言えなくてごめんなさい"。 "結果はどうあれ、最初から決めていたことなんだ。 先生には会わない。今日だけじゃなく、しばらくの間ずっと"。 "嫌いになったとかじゃないよ。俺が先生に会いたくないんじゃなくて、先生に俺は会っちゃいけないって意味"。 "こっちは大丈夫、ぜんぜん大したことないって前に言ってたの、あれ嘘だよね? 本当は学校でも近所でも、あれこれ攻撃されてるって、冴島さんが教えてくれた"。 "だから、せめてほとぼりが冷めるまでは、会わない方がいいと思う。 これ以上、俺のせいで先生が傷付いたり迷惑したりするのは、絶対嫌だから"。 "あ、勘違いしないでよ?これきり永遠のお別れってわけじゃない。あの時の言葉も、ちゃんと本心"。 "俺は俺で、今できることを精一杯やってみるつもり。 犯した罪は消えないけど、それでも待っててほしいって、約束したから"。 "必ず立て直して、いつか会いに行く。 分かったら、しっかりご飯食べて、ぐっすり寝て、普通に待ってて"。 楓と個人的な付き合いをしていたこと。 楓の家庭環境を把握しながら、これといった対策をとらずにいたこと。 そして事件当日、然るべき責務を果たさずに、当事者である楓を連れて逃げたこと。 外野ならではの憶測が多かったとはいえ、それなりに的を射た噂話は当初から存在した。 俺は否定も肯定もせず、信じる者がいれば信じない者もいた。 ただ、根拠の有無に拘わらず、噂とは発露した時点でイメージを左右するもの。 "近所の奥さんが言っていたことなんだけど"。"友達の友達が見聞きしたんだけど"。 じわじわと枝葉を伸ばした"らしい話"は、いつしか当事者とは関わりのない場所で、真相のごとく語られるようになる。 とどのつまり、楓に絡めて俺が悪い風に囁かれるようになったのを、楓も知っていたのだ。どうやら、冴島さんが手紙で伝えてしまったらしい。 "少しだけ、さよなら。 今までありがとう、先生────"。 故に楓は、自分から離れていくことを選んだ。 俺に迷惑をかけないため、俺を守るため。 なにより、いつかまた、俺と会うために。
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加