23人が本棚に入れています
本棚に追加
「───父兄から何を言われようと関係ないよ!カナエくんは悪くないんだから!」
「ありがとうございます。でも、もういいんです。せめてもの、けじめっていうかね」
「……本当に、行っちゃうのかい?せっかく、仲良くなれたのに」
「すいません」
「君がいなくなったら、また僕の隣が空いちゃうじゃないか」
「すいません」
「来年こそ、合宿付き合ってくれるって、約束したじゃないか」
「……すいません」
3月某日。
葵くん達が卒業したのを機に、俺も西嶺中を去った。
直属の生徒や同僚は、俺の残留を願ってくれていた。
今後とも我が校で教鞭を執り、汚名返上に努めてほしいと。
だが父兄の中には、俺を快く思わない人もいた。
真偽がどうあれ、殺人事件と関わりのあるような教師は、子供達に接してほしくないと。
赴任してまだ、たったの一年でも。
引き留めてもらえて、自分でも残りたい意思が強くても。
自主退職の選択をする以外になかった。愛せばこそ、省みればこそ、断ち切る無情が必要だった。
「さみしいよ、カナエくん」
寂しさはあった。悔しさも虚しさもあった。
古賀先生なんて、涙ながらに俺を惜しんでくれたりして。あんなに良くして頂いたのに、恩を仇で返す形になってしまって。
感謝してもしきれず、謝っても謝りきれなかった。
「お世話になりました」
だけど。
白い目で睨まれるのも、辞めさせろと抗議されるのも。
俺なりに奔走した結果がこうなんだと思えば、不思議と嫌じゃなかった。
「───叶崎くーん!頑張ってるねー!はいコレ、差し入れー」
「わ、ありがとうございます。いただきます」
「にしても、まだ入って一ヶ月ちょいだってのに、もうベテランと遜色ない働きしてるよねえ。オジサン嫉妬しちゃう」
「全然ですよ。皆さんの足を引っ張らないようにで精一杯」
「またまた謙遜しちゃってー。
……引っ越し屋なんてさ、今時やりたがる人滅多にいないし、いたとしても直ぐ音を上げちゃうもんなんだよ。大体は」
「あー……。まあ、よく聞きますね」
「なーのに、君って男はこれだもんなあ。
さすが、体育の先生やってただけあるよね!短期なのがほんと勿体ないよ~!」
「褒めすぎですよ」
「……今まで聞かないようにしてたけど、何かお金貯めたい理由でもあるのかい?」
「そんなところです」
西嶺中を去り、ついでに冬見市からも去った後は、引っ越し屋のバイトを始めた。
教職に愛想を尽かしたわけではない。条件に合う募集があれば、また復帰したい気持ちはある。
だからそれまで、自分的にここぞというタイミングが訪れるまでは、できるだけ貯蓄を優先したかった。
あの日、楓と波打際を歩いた、あの海の街で。
いつ何時、会いたいと、迎えにきてくれと、信号が飛んできてもいいように。
***
新天地へ越して半年後。
そろそろ秋の気配が忍び寄る晩夏に、待ちに待った楓からの連絡があった。
変えずにおいたメールアドレスに送られてきた文章は、以下の通りだった。
"────先生、久しぶり。楓です。
もしかしたら連絡くれたかもしれないけど、あれきり番号もアドレスも変えちゃったから、繋がらなかったでしょ。長らく音信不通でごめんなさい"。
"西嶺中辞めちゃったって話は本当?
なんとなく想像つくけど、俺のせいで、いっぱい嫌な思いさせたよね。
迷惑かけたくなくて別れたのに、結局こんな目に遭わせちゃって、ごめんね"。
"俺は今、母方のじいさんばあさん達と一緒に、富良野にある実家で生活してます。
東京での勉強だか修行だかは殆ど片付いた?とかなんとかで、母さんも暫くはこっちにいることになったよ。マジ自由な人だよね"。
"進学については、当たり前だけど全部白紙になって、今はどこの学校にも入ってない。
ただ、やることは意外とある。じいさんの友達が農家やってて、その手伝いしたり、自分で勉強したりして毎日過ごしてる。
落ち着いたら定時制にでも通おうかなって計画もしてるよ"。
"先生の方はどうですか?今どこにいますか?元気にしてますか?
日数的にはまだ半年くらいなのに、もう10年近く会えてない気がするのは、俺だけかな"。
"先生。会いたいです。
先生が嫌じゃなかったら、また俺と、会ってくれませんか────"。
元いた自宅を引き払い、母と共に富良野の実家へ身を寄せたこと。
知り合いの農家さんの手伝いをしながら、家庭学習に励んでいること。
公立への進学を断念した代わりに、定時制高校を受け直そうか検討していること。
弱音ひとつ愚痴ひとつ零さず、淡々と要点のみを綴った現状報告。
本当は、その間にも色々と大変なことが、辛いことがあっただろうに。
前向きな部分だけを切り取って伝えようとする姿勢が、実に楓らしいと懐かしかった。
"────俺は今、霜川町ってとこにいるよ。
あの時、お前と一緒に浜辺を歩いた海の町だ"。
"俺も、お前に会いたい。
会って話したいことがたくさんあるよ"。
"俺はいつでも、どこでも都合つけられるから、お前が好きなように決めてくれ。
そうしたら、こっちから迎えに行くから────"。
たった半年。
会えなかった期間はたった半年で、側にいられた期間も、たった一年だ。
なのに、この半年が百年のように感じるほど、楓のいない日々は退屈で、色褪せていた。
離れたからこそ、一度は手放したからこそ、身に沁みて分かった。
あいつのおかげで、癒されていたのだと。救われていたのだと。
過去に囚われていた頃の自分は、自覚する以上に、欠落した人間だったのだと。
"────迎えには来なくていい。おれが会いに行く"。
"また一緒に、二人で、あの海を見に行こう────"。
父を亡くし、母に背き、どこからともない自己嫌悪に苦しみ続けた10年。
昔も今も変わることはなく、この先も一生逃れることはできない。
「なに着てくかな」
でも、あいつに出会って変わった面もある。
誰をも傷付けない人間などいない。
誰であれ醜い何かがあり、消したい過去がある。
誰かを愛するは罪ではない。
誰かに愛されるは、喜びである。
「晴れるといいな」
人として最もありふれていて、最も大切なものを、あいつが教えてくれた。
抜け殻のようだった俺を、あいつが人に戻してくれた。
必要とされることこそが生きる意味だと、30手前にして漸く気付かされた。
「どうせオッサンになったとか言われんだろうな」
胸に疼くこの感情もきっと、建て前なんかじゃない。
ただ楓に会いたいと思うのは、ただ俺が、楓に会いたいからなんだ。
「身長、抜かされてたら笑うな」
いつかまた、この海を一緒に見よう。
約束を果たしたら、今度こそ俺達は、友達になれるだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!