:第二十五 生きて

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「───父兄から何を言われようと関係ないよ!カナエくんは悪くないんだから!」 「ありがとうございます。でも、もういいんです。せめてもの、けじめっていうかね」 「……本当に、行っちゃうのかい?せっかく、仲良くなれたのに」 「すいません」 「君がいなくなったら、また僕の隣が空いちゃうじゃないか」 「すいません」 「来年こそ、合宿付き合ってくれるって、約束したじゃないか」 「……すいません」 3月某日。 葵くん達が卒業したのを機に、俺も西嶺中を去った。 直属の生徒や同僚は、俺の残留を願ってくれていた。 今後とも我が校で教鞭を執り、汚名返上に努めてほしいと。 だが父兄の中には、俺を快く思わない人もいた。 真偽がどうあれ、殺人事件と関わりのあるような教師は、子供達に接してほしくないと。 赴任してまだ、たったの一年でも。 引き留めてもらえて、自分でも残りたい意思が強くても。 自主退職の選択をする以外になかった。愛せばこそ、省みればこそ、断ち切る無情が必要だった。 「さみしいよ、カナエくん」 寂しさはあった。悔しさも虚しさもあった。 古賀先生なんて、涙ながらに俺を惜しんでくれたりして。あんなに良くして頂いたのに、恩を仇で返す形になってしまって。 感謝してもしきれず、謝っても謝りきれなかった。 「お世話になりました」 だけど。 白い目で睨まれるのも、辞めさせろと抗議されるのも。 俺なりに奔走した結果がこうなんだと思えば、不思議と嫌じゃなかった。 「───叶崎くーん!頑張ってるねー!はいコレ、差し入れー」 「わ、ありがとうございます。いただきます」 「にしても、まだ入って一ヶ月ちょいだってのに、もうベテランと遜色ない働きしてるよねえ。オジサン嫉妬しちゃう」 「全然ですよ。皆さんの足を引っ張らないようにで精一杯」 「またまた謙遜しちゃってー。 ……引っ越し屋なんてさ、今時やりたがる人滅多にいないし、いたとしても直ぐ音を上げちゃうもんなんだよ。大体は」 「あー……。まあ、よく聞きますね」 「なーのに、君って(やつ)はこれだもんなあ。 さすが、体育の先生やってただけあるよね!短期なのがほんと勿体ないよ~!」 「褒めすぎですよ」 「……今まで聞かないようにしてたけど、何かお金貯めたい理由でもあるのかい?」 「そんなところです」 西嶺中を去り、ついでに冬見市からも去った後は、引っ越し屋のバイトを始めた。 教職に愛想を尽かしたわけではない。条件に合う募集があれば、また復帰したい気持ちはある。 だからそれまで、自分的にここぞというタイミングが訪れるまでは、できるだけ貯蓄を優先したかった。 あの日、楓と波打際を歩いた、あの海の街で。 いつ何時、会いたいと、迎えにきてくれと、信号が飛んできてもいいように。 *** 新天地へ越して半年後。 そろそろ秋の気配が忍び寄る晩夏に、待ちに待った楓からの連絡があった。 変えずにおいたメールアドレスに送られてきた文章は、以下の通りだった。 "────先生、久しぶり。楓です。 もしかしたら連絡くれたかもしれないけど、あれきり番号もアドレスも変えちゃったから、繋がらなかったでしょ。長らく音信不通でごめんなさい"。 "西嶺中辞めちゃったって話は本当? なんとなく想像つくけど、俺のせいで、いっぱい嫌な思いさせたよね。 迷惑かけたくなくて別れたのに、結局こんな目に遭わせちゃって、ごめんね"。 "俺は今、母方のじいさんばあさん達と一緒に、富良野にある実家で生活してます。 東京での勉強だか修行だかは殆ど片付いた?とかなんとかで、母さんも暫くはこっちにいることになったよ。マジ自由な人だよね"。 "進学については、当たり前だけど全部白紙になって、今はどこの学校にも入ってない。 ただ、やることは意外とある。じいさんの友達が農家やってて、その手伝いしたり、自分で勉強したりして毎日過ごしてる。 落ち着いたら定時制にでも通おうかなって計画もしてるよ"。 "先生の方はどうですか?今どこにいますか?元気にしてますか? 日数的にはまだ半年くらいなのに、もう10年近く会えてない気がするのは、俺だけかな"。 "先生。会いたいです。 先生が嫌じゃなかったら、また俺と、会ってくれませんか────"。 元いた自宅を引き払い、母と共に富良野の実家へ身を寄せたこと。 知り合いの農家さんの手伝いをしながら、家庭学習に励んでいること。 公立への進学を断念した代わりに、定時制高校を受け直そうか検討していること。 弱音ひとつ愚痴ひとつ零さず、淡々と要点のみを綴った現状報告。 本当は、その間にも色々と大変なことが、辛いことがあっただろうに。 前向きな部分だけを切り取って伝えようとする姿勢が、実に楓らしいと懐かしかった。 "────俺は今、霜川(しもがわ)町ってとこにいるよ。 あの時、お前と一緒に浜辺を歩いた海の町だ"。 "俺も、お前に会いたい。 会って話したいことがたくさんあるよ"。 "俺はいつでも、どこでも都合つけられるから、お前が好きなように決めてくれ。 そうしたら、こっちから迎えに行くから────"。 たった半年。 会えなかった期間はたった半年で、側にいられた期間も、たった一年だ。 なのに、この半年が百年のように感じるほど、楓のいない日々は退屈で、色褪せていた。 離れたからこそ、一度は手放したからこそ、身に沁みて分かった。 あいつのおかげで、癒されていたのだと。救われていたのだと。 過去に囚われていた頃の自分は、自覚する以上に、欠落した人間だったのだと。 "────迎えには来なくていい。おれが会いに行く"。 "また一緒に、二人で、あの海を見に行こう────"。 父を亡くし、母に背き、どこからともない自己嫌悪に苦しみ続けた10年。 昔も今も変わることはなく、この先も一生逃れることはできない。 「なに着てくかな」 でも、あいつに出会って変わった面もある。 誰をも傷付けない人間などいない。 誰であれ醜い何かがあり、消したい過去がある。 誰かを愛するは罪ではない。 誰かに愛されるは、喜びである。 「晴れるといいな」 人として最もありふれていて、最も大切なものを、あいつが教えてくれた。 抜け殻のようだった俺を、あいつが人に戻してくれた。 必要とされることこそが生きる意味だと、30手前にして漸く気付かされた。 「どうせオッサンになったとか言われんだろうな」 胸に疼くこの感情もきっと、建て前なんかじゃない。 ただ楓に会いたいと思うのは、ただ俺が、楓に会いたいからなんだ。 「身長、抜かされてたら笑うな」 いつかまた、この海を一緒に見よう。 約束を果たしたら、今度こそ俺達は、友達になれるだろうか。
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