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:最終話 永遠に
「見て、先生。夕陽。綺麗だよ」
「そうだな。だんだん日が短くなってるから、見れる時間も限られるけどな」
「何人か人いるね。カップルかな?」
「かもな。海と夕陽セットにすれば、ベタなカップルは集まってくるんじゃないか?」
「そっか。前は薄暗かったもんね」
「暗くてもカップル除けにはならんぞ?むしろ人目気にしなくていい分、堂々とイチャイチャできるメリットがある」
「なるほど。じゃあ前は運が良かったのか」
「ていうか、今は秋だしな。雪ないのが一番だろ」
「そりゃそうだ」
夕焼け色に染まった空。きらきらと瞬く砂浜。
ムーディーな空気を醸し出し、波打際を連れ添い歩くカップル達。
同じ場所、同じ時間帯でも、季節が違うだけで、海とはこんなにも姿を変える。
「手、繋ぐ?」
「ええ?なんで」
「前は繋いだじゃん」
「今日はいいよ」
「人目があるから?」
「カップルじゃねーからだよ。バーカ」
「あん時は素直だったのになぁ。残念」
「その割になんか嬉しそうだけど」
「だって嬉しいもん」
「変なの」
堤防の近くに車を停め、外へ出る。階段を下り、砂浜を行く。ここまでは前回と同じ。
ついでに手を繋ぐところも再現しようかと提案すると、そこは断られてしまった。さすがに本物のカップルがいる手前、男同士で真似事をするのは気が引けるらしい。
場所も時間も、俺も楓も、色々な意味で前とは違うんだな。
喜ばしい反面、俺としては何だか寂しくもあった。
「あれから誰かと連絡とった?おれ以外で」
「えー、葛西先生、古賀先生ー……と、孝太郎さん達とも定期的にやり取りしてるよ。
あ、あと葵くんや谷口なんかも、たまにメールくれる」
「へー。谷口ともメル友なんだ」
「お前は?連絡先変わってからは誰とも?」
「いや、孝太郎さんと俊介は、おれもたまにメールしてる。あっちはアドレス変わってないし。
あと、……こっちはもっとたまにだけど、佳花と文通、みたいなこともするようになった」
「佳花?───ああ冴島さんか!」
楓いわく、俺と疎遠だった間にも、葵くん達とは交流を絶やさずにいたという。
なぜ二人はオーケーで、俺は除け者扱いなんだろうか。不満を覚えなくもなかったが、きっと楓なりに導きだした答えなのだ。不満も未練も、今は胸の内に仕舞っておいてやるとする。
それより気になったのは、楓と冴島さんの距離がぐっと縮まっていたことだ。
冴島さんが楓宛てに手紙を書いていることは聞いていたが、まさか文通に発展したとは。
「なんだお前、いつの間に下の名前で呼ぶようになったんだよ」
「別に……。なんとなく。
私が"くん"付けなのに、相良くんが私のこと"さん"付けなのは申し訳ないから、せめて呼び捨てにしてくれって向こうが」
「なら"冴島"でも良かったんじゃねーの?」
「………この話はここまでにしよう」
これはもしや、ひょっとして、ひょっとするのでは。
俺が茶化すと、楓はばつが悪そうに外方を向いた。
「にしても、お前背伸びたよなー。まだ半年だぜ?何センチになったんだよ」
「167.7」
「ほぼ3センチも伸びたのか!さすが成長期だな……」
こうして並んでいると分かる。伸びた影の大きさが大差ないことに。
ガタイはまだまだ俺の方が上だが、どうやら楓も見ない間に成長したようだ。
さすがは成長期男子。改めると、顔つきも些か精悍になった気がする。
「あと10センチで先生に並ぶね」
「正確には11.3センチな」
けどまあ、俺との差は10センチ以上あるわけだし。いくら成長期といえども、当分は抜かされる心配はないだろう。
こっそり悦に入る俺に気付いてか、楓がすぐ追い越してやる的な宣言をしてきた。
慌てて俺が簡単にはいかないと反論すると、楓は"こまけー"と笑って漣を蹴った。
「そういや、今は引っ越しのバイトやってんでしょ?」
「うん。お陰様で体重が増えました」
「減ったじゃなくて?」
「筋肉ついたってこと。体育の先生つっても、俺自身は大した運動量じゃなかったからな。今のが断然動いてる」
「ふーん……。てか、なんで選りにも選って引っ越し?キツそうなのに」
「キツいぶん給料いいからだよ。もともと労働嫌いじゃないし」
「教師の仕事は?もう完全に辞めちゃったの?」
「辞めてはないよ。ただ、西嶺出てくって決まったのが急だったもんで、今期の募集に間に合わなかっただけ。来年にはまたどっか、新しい学校見付けて、先生やるさ」
「そっか。やっぱその方がいいよ。先生は先生に向いてると思うし」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど……」
横断歩道の白い部分を選んで渡る小学生のように、先を行ったカップルの足跡をよちよちと辿る楓。
普通に真っ直ぐ歩かないのは、腹に抱えた一物を誤魔化している証拠だ。
「なんか含みのある顔だな。どうした?」
「や、その……。こういうデリケートなことは、あんまし聞かない方がいいかなって、思ったんだけど……」
「なに」
「前に、お母さんがアル中だって話、してくれたじゃん。一緒に暮らしてないなら、そのへんどうなったのかなと」
「ああ……」
思い当たる候補の中で、楓からは最も遠いはずの話題。
俺の母親。叶崎美和子。詳しく話したことはなかったが、今更隠すほどでもない。
「こっち引っ越してくる前に休戦っつか、母方の祖父さん祖母さんに相談したんだよ。
これを機に別の場所でやり直したいと思ってるんだけど、一緒に連れてった方がいいかって」
「したら?」
「娘の世話は私達でやるから、お前は好きなように生きなさいって、言われた。
だから、俺がやってるのは仕送りだけ。それ以外は今んとこ、お言葉に甘えさせてもらってる」
「へー」
「例えば、祖父さん祖母さんが耄碌したり、本人の状態がもっと悪くなったりしたら、また話も変わってくるだろうけど……。そん時はそん時だな」
「そっか。よかった。
あ、よかったなんて言っちゃいけないよね」
「いいよ。俺は良かった。心配かけて悪かったな」
祖父母が面倒を看てくれている美和子の様子は、残念ながら改善はしていない。
禁断症状の勢いで当たってきたり、絡んできたりは減ったものの、酒を中心とした思考や悪癖はそのままだ。
幸いだったのは、霜川町への移住が俺一人で済んだこと。
今後の美和子の処遇をどうするかで話し合った際、無理に連れていく必要はないと祖父母が背中を押してくれたのだ。
こんな娘に育ててしまったのは自分達の落ち度。
少なくとも自分達が元気でいるうちは、お前の母の心配はいらない。
お前はお前で、自由にできる今を好きなように生きなさいと。
おかげで俺は、気ままな独身生活を続けられている。
いつ"必要"に迫られるかは分からないが、祖父母が許してくれる限りは、もうしばらく自由にやらせてもらうつもりだ。
「お前の方はどうなんだよ。
結局お前の母さんは、何しに東京まで行ってたわけ?」
「うーん……。おれも詳しいことは分かんないんだけど、なんか……。
あのー、あるじゃん。部屋の内装とかオシャレにするやつ。なんとかコーディネーター?」
「ああ、デザイナーズマンション的な」
「そうそれ。そういう仕事に就くのが昔からの夢だったみたいで、その勉強のために上京した、らしいよ?」
長らくベールに包まれていた元凶の一つ。
楓の母が、恵里さんが、わざわざ上京をした理由とは。
「へー。専門学校通うとか?」
「いや。学校には行かなかったって」
「じゃあどうやって勉強?」
「業界で有名な人を紹介してもらえることになった?とかで、その人んとこに暫く置いてもらったって」
「弟子になったのか」
「確か」
「んー……?」
しきりに首を傾げながら楓は話した。
あえて濁しているのではなく、楓自身も疑問な点が多いのだろう。
「よく分かんねえけど、帰ってきたからにはもう大丈夫、で、いいんだよな?」
「って本人は言ってる。
けど……。実際は家から逃げるための口実だったんだろうなって思うよ。わざわざ東京まで行かなくても、北海道にだって、探せばチャンスくらいあったろうし」
要約すると、インテリアコーディネーターになる夢を叶えるため。
東京にいる知人に師事し、業界のノウハウやセンスを学ぶのが目的だったらしい。
そして現在。
恵里さんは無事コーディネーターとしての資格を手に入れ、お墨付きでの独立を許された。
近頃は下積み時代に培った人脈を活かし、北海道での仕事を着々と増やしているという。
俺はその手の洒落た文化に疎いので、どうすれば何とかコーディネーターとやらになれるのか見当もつかない。
恵里さんが忍んできたであろう日々を、想像することも出来ない。
「そんな顔しないでよ。おれはもう恨んでないから。とっくに赦したよ」
「お前がいいなら、いいけど……」
コーディネーターになりたいなんて夢は所詮、口実に過ぎなかったのではないか。
息子を置いて出ていくのが後ろめたいから、なにかを目指すことで言い訳にしたのではないか。
そう分析する楓は、存外穏やかな声をしていた。
「しばらくはさ、ほんと大変だったんだよ。明るいうちは元気なんだけど、日が落ちるにつれて、どんどん沈んでって。で、夜中になると、毎晩のようにわんわん泣くの」
「お母さんが?」
「うん。私のせいで私のせいでって、呪文みたいに繰り返してね。宥めんのいっつも大変だった。
だから、もういいんだ。あんな姿見せられたら、百年の怒りも冷めちゃうよ」
"赦す"のは、大人でも難しいことだ。
ましてや年端もいかない子供が、血の通った家族をとなると、余計に困難だ。
だが楓は、母を赦した。母も相当に苦しんだからと。
共に背負うという罰で、これまでの罪は清算されたからと。
俺はまだ、自分の母を赦す気になれない。
父を自殺に追いやったことも、現実から目を背けていることも。
心底みっともないと呆れるし、親だと認めたくない。
けれど、俺を生み育ててくれたのは間違いなく、避けてばかりはいられない相手だ。
好き嫌いに関係なく、常に俺の人生と交わる存在だ。
いつかは、向き合わなくてはならない日がくる。
その日がきたら、俺は母を赦せるだろうか。自分を、赦せるだろうか。
「そっか。お前は赦したのか。大人だな」
「そんなことないよ。人それぞれってだけ。自分と比べたりする必要ない」
「エスパーかよ」
ぼんやりと思案に耽っていると、すべてを見透かす瞳に不意を突かれた。
俺は内心どきりとしたが、酷く腑に落ちた。
「ねえ、先生」
「うん?」
「来年あたりには、また先生やるつもりなんだよね?」
「状況にもよるけど、予定ではな」
雪原に寝転んだ位置。当然ながら跡は残っていない。
雪の代わりに大地を覆うは細かい砂。楓のスニーカーと俺のサンダルに、ざわざわと纏わり付く。
「どこでやろうとか希望はあるの?」
「特には決めてないけど……。なんで?」
海を正面に立ち止まる。背比べの影が背後に回る。
「あの時の約束、覚えてる?」
鮮烈な朱を放つ落陽。
この目映いほどの光も、もう直すれば地平線の彼方へ消えていくだろう。
「待っててほしいってやつ?」
「それもだけど、もっと前の」
「前?まえ……」
「中学卒業したら一緒に暮らさないかってやつ」
「ああ、俺んち来た時のか!覚えてるよ」
「その約束って、まだ有効?」
「え?」
潮風に煽られた楓が、乱れた前髪を掻き上げる。
凛々しい横顔も、筋張った首元も、半年前のそれではない。
「おれさ、先生が嫌じゃないなら、一緒にいたいんだ」
「……一緒に暮らしたいってこと?」
「そう」
「で───も、お前。せっかくお母さん帰ってきたのに」
「赦したとは言ったけどさ。ひとつ屋根の下で生活すんのは、まだちょっと、息苦しいんだよね。
それに、たまに会ってメシ食ったり、電話して声聞ければ、おれ的には満足なわけだし」
「定時制の学校通うって話は」
「そんなのは別にどこでもいいわけじゃん?学校通わなくても、高卒認定とるって手もある」
「お祖父さんお祖母さんはなんて」
「先生がご迷惑じゃなければ良いんじゃないって」
「彼女とか出来たらどうすんの」
「そん時はどっかで時間潰すよ。おれも家には連れ込まないようにする」
「マジか……」
「ね?だからあとは、先生の問題」
同時に隣を振り返り、同時に目線が合う。
茫然自失が俺なら、楓は羞花閉月だ。
「いつまでも手のかかる生徒でごめん、先生。
出来ればもうしばらく、おれと生きてくれない?」
昔から、変わりゆくものが怖かった。
友情。恋愛。学業。仕事。
何気ない癖や習慣でさえ、変化の訪れは極力拒んできた。
しかし、不思議と今は、あの頃とは違う自分が嫌ではない。これからも変わり続けるだろう未来が、怖くない。
「なんでお前が謝るんだよ」
俺にも楓にも、抱えた痛みがあり、過ちがある。
時には痛みに泣かされたり、過ちに苦しめられることもあるだろう。
ただ、俺達は孤独ではない。
分かち合える友がおり、掛けがえのない思い出がある。
だから、生きていける。寄り添ってくれる誰かが一人でもいれば、人は生きていける。
たとえ、息をするのも辛いほどの命であっても。
「俺の台詞だっての」
俺達は一度死んだ。
死ぬ前の自分は、二度と帰ってこない。崩れる前の平穏は、二度と戻らない。
"カウントダウン"を止められなかった後悔は、一生なくならない。
それでも、生きている。生きていく。
曖昧で不確かで、正否も善悪も知れない今を。
今終えた方が楽かもしれない明日を、生きる。生きたい。
贖罪の人生かもしれない。
それでも、隣に互いがいることが、お前の隣に俺がいたいことが。
贖罪だけの人生ではないと証明している。証明していく。
「先生」
「ん?」
「これからも先生のこと、先生って呼んでもいい?」
「いいけど……。なんでまた?」
もし。
過去にメッセージを届けられるとするなら、俺はこんな言葉を贈ると思う。
「学校の先生じゃなくなっても、先生はおれの先生だから」
『死ぬな。命が続く限り、望みを絶やさない限り、必ず未来はある』
*最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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