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だいたい家庭のある――特に子どものいる――男性は家庭に戻るのが鉄則ではなかっただろうか。結局家庭が一番大切に決まっている、そう思っていた。彼に出会うまでは。
家庭が円満であればあるほどその考えはほぼ間違いではないと思うのだが、彼も家庭は円満だったし、そのうち飽きて家に戻るものだと思っていたが、いつからだったか予想外に私にべったりになってしまった。
こんなこともあるのだ、といい教訓になったとはとてもじゃないが思えない。今後は気をつけなければならないだろう。本当に気色悪い。彼の顔を見ただけで吐き気をもよおした。
「絶対に離婚はしないで、とは伝えましたよ。まあ、その分だと伝わってないみたいですけど」
「軽い気持ちで付き合うからそうなるんですよ」
男は軽蔑した眼差しを私に向けたが、痛くも痒くもない。
「重い気持ちで不倫なんかしません。恐ろしいこと言いますね。短期間の幸せが欲しかっただけです」
「壊れるとわかっている幸せが欲しいんですか」
「欲しいです。誰もが永遠の幸せを願ってるわけじゃないんですよ。私は少しずつ、少しずつ、小刻みの幸せで生きてるんです。一生そうやって生きていくつもりです」
口早に言い残し玉手箱のような小屋を後にした。男が窮屈そうな箱に残ったまま、恨めしそうな目で私の背中を見つめている気配がした。
それから間もなく退職願を提出し、受理されたので残り一ヶ月強で会社を辞めることとなった。
彼には出勤最終日付近に別れを告げた。早めに言って社内で付きまとわれても困る。
想像していたとおり、別れたくない、としつこく言われてうんざりした。なぜ子どももいるのに離婚したがるのか。そんなに家庭を壊したいのか。会社に離婚報告しなければならないし、プライバシーがあるので理由までは問われなくても、部署内では確実に知れ渡ってしまう。課長が不倫をしていたと。
「不倫が嫌なんだよね?妻とは別れるから。口だけじゃなくて本気だから」
口だけじゃなくて本気な方がよっぽど怖い。
「奥様と別れても付き合いを続けるつもりはありません。飽きたから別れたいんです。家庭を壊してもらっても困ります。慰謝料を払うようなお金もありませんし、そのせいで借金生活なんて馬鹿みたいですから。離婚なんか絶対にしないで下さい」
そう言っても理解してくれているようには見えなかった。彼は私が本当に別れたがっているのではなく、家庭のことを考えてくれる優しい女の子に見えているのだ。
「わかった、わかったよ。別れた証拠がないと不安だよね。離婚したら連絡するから」
「だから離婚はしないで下さいってゆってるじゃないですか」
「慰謝料も心配いらない。家庭のことは君が気にすることはない。全て私の責任だから、家族にもなるべく迷惑かからないようにする。怖がることは何もないんだよ」
お前が一番怖いよ。家族に迷惑かからないわけないだろうが。二度と連絡するな。と思いながら私は彼の元から去った。
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