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新しい仕事はまだ決まっていない。一身上の都合での退職になるので、失業保険が入るまで最低三ヶ月はかかる。三ヶ月もあれば失業保険をもらう前に仕事が見つかるんじゃないかとも思い、たまにハローワークに出かける以外は引きこもった生活をしていた。
仕事は総務でも経理でも事務系なら何でもいいし、まだ二十代の未婚だし、見つからないなら見つからないでどうにかなると楽観視していた。仕事なら家でも十分に探せるわけだが、そういう気分にもなれず就職サイトへの登録もまだしていない。
私はいつもそんな風にして適当な人生を歩んできた。それでもこうやって生きて、動いて、息をしている。
ニートをしてる、と数少ない友人に連絡すると飲みに誘われたので、ハローワーク以外で久しぶりに家を空けた。夜遅くにふわふわしたいい気分で帰宅すると、古アパートの二階、私の部屋のドアの前に人影があり一瞬で酔いが覚める。
彼に家は教えていない。教えていないが同じ会社だったので、住所をどうにかして手に入れたのかもしれない。それを想像するだけで怖かった。
携帯に彼の名前が入っていることさえ嫌だったが、連絡が来るのはもっと嫌だったので着信拒否にして、SNS関連は全てブロック。連絡がつかなくて家まで押しかけてきたのかもしれない。
私はドアまで行かず、音を立てないよう静かに引き返し階段を下りた。今日はネットカフェだなと、駅方面に向かうことにする。電車はないだろうからタクシーを捕まえて……と考えていると、急に後ろから強い力で腕を捕まれた。
「っ!」
声にならない変な音を発しながら振り返ると、そこに彼が柔らかな笑顔で立っていた。今まで見たことのないくらい晴れ晴れとした笑みが怖すぎて捕まれた腕に自然と力が入る。
「ずっと待ってたんだよ」
脳内の隙間にそっと入ってくるような穏やかな声でゾッとした。
「ま、待たないで下さい。家教えてないですよね?」
「離婚したんだ。もう障害は何もないから」
「嘘でしょ、離婚しないでってゆったじゃないですか!」
私は捕まれた腕を引っ張って必死に抵抗するが、石のように重くて硬い。逃げられる気がしないが、何度も何度も自分の腕を引っ張った。
「結婚を急いでるわけじゃない。今はただ君と一緒にいたいだけなんだ」
「私は一緒にいたくありません」
「もう家族に遠慮する必要はないんだよ?好きなだけ一緒にいて、その後のことは流れに身を任せればいい」
あまりに話が通じないので、まさか職場でもこんな感じじゃないよね、と彼の仕事の力量まで疑い始めた。
「もうあなたのことは何とも思ってないんです。連絡先も消しました。もう家に来ないで下さい。手を離して下さい」
「意地っ張りだなあ」
彼は私の手を離すどころか引っ張って抱き寄せた。
「やめて……やめて下さいっ!いや、嫌ぁー!」
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