文通ノート

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 キーンコーンカーンコーン。  午前の授業の終わりを告げる音が練り響く。クラスメイトの半分は机を並べ弁当を開く。残りの半分はいち早く教室を出て、食堂へと向かう。 食堂へ向かう人込みを離れ、私はひとり逆方向へと進んでいく。本校舎の端から繋がる渡り廊下を渡り、旧校舎に入っていく。目的地は、今は使われていない旧理科室。だれにもみられていないことを確認し、扉を開けて中に入る。教室の中はほとんど物置になっていて、古びた机や段ボールなどが散乱していた。  ものを潜り抜け、奥の棚にたどり着いた。建付けの悪い棚の引き出しを開けると、そこには一冊のノートが入っている。古びた教室同様、そのノートも古いもので、かなり汚れている。ノートの数ページ目を開くと、数行の文章が書いてあった。  文章を読み終えると、自然と笑みがこぼれた。ポケットからペンを取り出し、自分も数行の文章を書く。そっとノートを閉じて、引き出しを閉める。  ものが散乱した部屋を再び潜り抜け、旧理科室をあとにする。そのまま、教室に弁当を取りに行き、友達が待つ空き教室に向かう。  旧校舎はほとんど使われていないので、空き教室はたくさんある。人気のないところを求めて、カップルとか少人数のグループとかがよく使っている。 友達が待つ空き教室の扉を開け、中に入る。扉がひかれる音にかぶせて、中から声が聞こえた。 「もう、遅いよ、栞。」 そう言って頬を膨らませる彼女は、親友の芽衣だ。 「ごめん、ごめん。そこまで来てたんだけど、教室にお弁当忘れてきちゃって、一度戻ったんだよ。」 言い訳しながら、教室の扉を閉めた。  芽衣とは、小学校からの付き合いで、いつも同じクラスだった。高校も一緒に入学したが、クラスは別になってしまった。お昼くらいは一緒にいたい思い、毎日この空き教室でお昼ご飯を食べている。  適当な机を二つ向かい合わせて、お弁当を食べ始める。 「もしかしてさ、栞、彼氏でもできた?」 「ごほっ。」 突然の質問に動揺して、せきこんでしまった。 「芽衣、どうしたの急に。」 「いや、最近くるの遅いからさ。別の用事があるのかなと思って。……栞に大事な人ができたならさ、無理して来なくてもいいよ。」 「いや、……。」 別に彼氏はいないのだが、動揺したのは、少し思い当たる節があるからだ。  ずっと、芽衣に話すかどうか悩んでいた。人付き合いが苦手な私を芽衣は昔から気にかけてくれている。きっと芽衣なら、笑わないで聞いてくれるだろう。 「実は、……文通してるの。」 「……え、文通?」 「うん、詳しく話すね。」  ある日の昼休み。理科の先生から、授業に使う用具を運ぶように頼まれた。午後一番に理科の授業があるため、昼休みに同じ理科係の男子と旧校舎の旧理科室に行った。 「うわぁ、すごい散らかってるね。俺はこっち探すから、栞さんは奥の方探してもらえる?」 「あ、うん。わかりました。」 人と話すのが苦手で、二人きりの空間はあまり耐えられない。早めに終わらせようと思い、素早く奥の棚を調べ始めた。 ほとんどの引き出しは、よくわからない石の標本だったり難しい本だったりが詰まっていて重く、引くだけでも大変だった。ただ、一つだけやけに軽い引き出しがあった。  中を確認してみると、古びた一冊のノートだけが置いてあった。表紙には、サインペンで何か書かれているが、ほとんど消えていて読めない。そっと一ページ目を開いてみた。 「運命だと思いますか。」 思わず、書かれている言葉をつぶやいてしまった。 「何か言った?」 「い、いやなんでもない。」 大きな声で読み上げたわけではなかったが、部屋があまりにも静かだったため、声が響いてしまったみたいだ。別にやましいことはないのだが、とっさにごまかした。これは秘密にしなければならない。なんとなくそう思ったのだ。 『運命だと思いますか。』  改めて書かれている文字を見る。とてもきれいな字だ。それ以外は他のページにも何も書かれていない。だれかの交換日記だろうか。それともいたずらか。 「……。」  なんとなく、本当にただ気まぐれに、返事を書いてみたくなった。 ……私は運命を信じています。 「栞さん、あったよ。」 「ひゃい。」 突然声をかけられて、変な声を出してしまった。素早くノートを閉じ、引き出しを閉めた。  男の子の方に寄ると、先生から頼まれていた用具が入った二つの段ボールを見つけてくれていた。片方のダンボールを持ち、そのまま旧理科室をあとにした。  放課後、ペンを持って改めて旧理科室へ行き、言葉を残した。  次の日。やっぱりノートのことが気になってしまっていた。返事が返ってくるとは思っていない。でも、もしこれがきっかけで何かはじまったら。そう思うと気になって仕方ない。  昼休み、再び旧理科室を訪れて、ノートを開く。一ページ目。 『運命だと思いますか。』 『私は運命を信じています。』 私が書いた文章で終わっている。やっぱり、返事がなんかあるわけないか。そう思ったが、ふと二ページ目を開いてみた。すると、 『もしよかったら、あなたの話を聞かせていただけませんか。』 まさかの返事が書いてあった。  この人はなぜこんなところにノートを隠して、言葉を残していたんだろう。もともと誰かと交換日記でもするつもりだったのだろうか。ただのいたずらなのか。いろいろ疑問に思うことはあるが、好奇心の方が勝った。このノートに言葉を残したら、また返事を書いてくれるだろうか。 「……よし。」 ポケットからペンを取り出し、言葉を記していく。  人付き合いが苦手で友達が少ないこと。友達をつくろうにも、自分に自信がなくて、いつも縮こまってしまうこと。それでも親友が一人いて、いつも気にかけてくれること。  数行ほど自分のことや親友の芽衣のことを書いた。ただし、個人名は隠して。なんだか相談みたいになってしまった。でも、逆にいいかもしれない。これでいたずらかどうかわかるかもしれない。もしいたずらなら、こんな真面目くさい内容、スルーするだろうから。  次の日。再び返事が返ってきた。 『素敵な親友ですね。あなたのことを大切に想っているのでしょう。どうぞあなたも大切にしてあげてください。友達が少ないことを気にされているようですが、焦る必要はないと思います。あなたが背伸びをせずに、素の自分でいられるような関係を築けるといいですね。』  思ったよりも丁寧な返しだった。いたずらの可能性が高いかもと思っていたから、スルーされるか、もっと適当な返しが来るかと。  でも少し堅苦しいかも。先生に相談してるみたいな……。  もっといろいろ話してみたいかもしれない。返事がきたことが意外にうれしかった。それに、今の時代に隠れて文通なんて、ちょっと特別な感じがする。  再びノートに言葉を残していく。今度は好きなことの話がしたいな。 「……という感じでここ一ヶ月くらい文通してるんだけど、どう思う?」 一通りの流れを話し終え、芽衣の表情を探る。 「……いや、怪しいでしょ。」 芽衣は手のひらで額を抑え、怪訝な表情をしていた。 「あ、怪しくないよ。いい人だよ。」 「じゃあ、相手の名前は?クラスは?学年は?」 「えっと……わ、わからない。」 「はあ。」 彼女は額に手を当てたまま、深いため息を吐いた。何がそんなに問題なのだろうか。 「で、でも、確かに相手が誰かはわからないけど、どういう人かはわかるよ。一ヶ月も文通してるんだから。あのね、本の趣味が合うの。好きな本の紹介をするとね、相手もそれ知っててね。感想もすごい共感できるの。友達作りのアドバイスもくれてね。あと、言葉が丁寧。一言一言大事にしてる感じが……って、どうしたの?」 芽衣が目を見開いている。あっけにとられたように固まっている。 「いや、栞がそんなに言葉をまくしたてるの初めてみたから。いつもすごいおっとりしてるのに。」 確かに、そう言われればそうだ。普段こんなに早口になることはないかも。 「もしかして、その人のこと好きになったとか?」 芽衣にそう言われて少し考える。 「……そうかも。不思議な話なんだけど、私、名前も顔も知らない人のこと、好きになりかけてるというか、少し惹かれてるんだと思う。」 芽衣は少し複雑な顔をしていた。不安そうな、それでいて少し悔しそうな。 「……でもさ、それならなおさら相手の名前が気にならない?」 「うん。気にはなるよ。でも、知るのが怖いというか。相手のこと聞いたら、きっと自分のことも話さなきゃでしょ。相手の想像と違ったらとか相手に幻滅されないかとか……いろいろ不安なの。」 「そっか……。」  芽衣は静かに話を聞いてくれた。そして、 「でも大丈夫。」 芽衣が真剣に私を見つめる。 「あんたの魅力は私が一番よく知ってる。正体を明かしたからって、嫌われるはずない。もしそれで幻滅するようなやつだったら……」 彼女がこぶしを前に突き出す。 「私がぶっとばす。」 そう言って、ニカっと笑った。 「それにさ、会ってみないことには恋は進まないでしょ。」 「……うん。ありがとう、芽衣。」 やっぱり芽衣は私を想ってくれてるんだと思った。  弁当を食べ終え、空き教室をあとにした。お互いの教室に戻る前に、芽衣が言った。 「栞、頑張ろうね。」 「うん、ありがとう、芽衣。」 そうして、それぞれの教室に戻った。  それから、勇気を出して、相手の名前を聞いてみた。 『あなたの名前を聞いてもいいですか。』 しかし、その勇気はむなしく、次の日のノートに記された言葉は、 『ごめんなさい。』 その一言だけだった。  それは、ちょうどノートの最後のページだった。  数日後。あれからすっかり文通が止まってしまった。聞かれたくなかったことを聞いてしまったのかと思い、新しく用意したノートに謝罪の文章を書いた。しかし返事は来ない。  昼休み。いつも通り芽衣とお昼ご飯を食べる。 この頃、芽衣はずっと申し訳なさそうにしている。 「芽衣、何度も言ってるでしょ。気にしないで。結局、聞くと決めたのは私だし。これで終わるのならそれはそういう運命じゃなかったってことだよ。」  そう、運命じゃなかった。運命は信じているけど、今回はそれじゃなかっただけのこと。だから大丈夫。何も問題はない。話し相手がいなくなっただけ。そもそも話してすらいないし。……そうやって自分をなだめている。 「いやでも、やっぱり納得いかないよ。相手のことを知りたくなるのは当然のことでしょ。名前聞いただけで何も言わず返事をやめるとかわけわからない。」  彼女が怒ってそう言う。彼女が怒るのはいつも私のことだ。怒るのも悲しむのも、私のことを一番に想ってくれているからこそだと伝わってくる。 しかし、私は文通相手の気持ちもなんとなくわかるのだ。きっと怖かったのではないか。私が自分のことを知られるのをためらったのと同じように、相手も不安になったのではないか。そう思うのだ。 それでもやっぱり、私は知りたい。文字だけでなく、実際に会って話したい。文章から伝わってくるあなたは素敵な人だから。  放課後、理科の先生に、また用事を頼まれた。旧理科室の片づけだ。 「いやぁ。助かったよ。これ、お礼ね。」 だいたいの片付けを終えて、先生が飲み物をくれる。 「結構な仕事量だったのに、報酬はジュース一本かよ。」 同じく片づけを頼まれた男子が不満をくちにする。 「いやごめんよ。さすがに教師からバイト代は出せないからね。でもほんとに助かったよ。急に校長から旧理科室を片付けるようにいわれたからさ。僕だけだったら何時間かかるかと思ったよ。」 と先生が言う。 「ていうか、もの多すぎだよ。普段からちゃんと片づけないからそんなことに……。」 と、そこでほかの男子が焦った声で言う。 「やばい、部活の時間じゃね。早くいかないと。」 「ほんとだ。顧問に怒られたら先生のせいだからな。」 ぐちぐちと言いながら、男子たちは部活に向かう。 「はは、ほんとにごめんね。顧問の先生には僕も謝るから。」  片付いた旧理科室には、私と先生だけが残る。 「先生。」 「ああ、栞さんもありがとうね。理科係とはいえこんな力仕事。」 「いえ、構いませんよ。それより……。」 私は後ろの棚の引き出しから古びたノートを手に取る。 「これは、私がもらってもいいですか。」  先生は数秒かたまり、少し考えるそぶりをして、やがて納得したように応えた。 「そうか、相手は栞さんだったのか。」 「やっぱり……先生だったんですね。」 相手は先生だった。でも、それほど驚きはない。そもそも、相手が先生かもという疑惑はあったのだ。ただ、はっきりさせるのが怖かっただけ。相手が先生だと確定してしまったら、この気持ちを恋にするわけにはいかなかったから。 「聞きたいことがいろいろあるよね。何から話したらいいか……えっと」 「何も言わなくていいです。きっと、先生にも事情があるのでしょう。」 説明をしようとする先生を私は遮った。 「私にも事情があります。でも、人には言えないこともあるでしょう?だから……。」 だから、この気持ちを恋と名付ける前に、このまま終わらせよう。 「隠れて文通みたいなこと、すごいドキドキしました。楽しかったです。せめて思い出にこのノートは私にください。」  そう言って教室を出る。 「……。」 先生は、やっぱり追ってきてはくれなかった。
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