密室殺人

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密室殺人

 キン……! と耳の奥を締め付けるような機械音が、大勢の人が集まった応接間に(こだま)した。シュウは思わず自分の両耳を塞ぎ、顔を歪めた。スピーカーから垂れ流される高音が、頭の中でぐわんぐわんと鳴り響く。そのあまりの騒音に、彼は一瞬目眩を覚えた。  音の主は、細身の女性だった。  細身の女性が、応接間の中央で、運動会で号令を出す時に使うような巨大なハンドスピーカーを口元に当てて仁王立ちしている。彼女は不協和音(ノイズ)も御構い無しに、こめかみにピクピクと青筋を立て怒鳴り散らした。 『だっから、サッサと出てこいッツってんだろうがァ!!』  八畳の応接間の、部屋の大きさと全く合ってない声量に、集まった総勢八名がそれぞれ苦悶の表情を浮かべる。恐らく誰一人として、さっきの彼女の発言の内容を聞き取れたものはいまい。なおも唾を飛ばしスピーカーを振り回す彼女を、シュウは慌てて止めに入った。 『なんなら全員、この場でぶっ●しても良いんだぞ!? ア!?』 「姉さん! 姉さん!? 音量下げて! 音量!!」 『テメーか!? テメーが犯人なのか!?』 「ヒィィ……!?」  間に割って入るシュウにも構わず、彼女は一番近くにいた、頭の薄くなりかかった小太りの中年男性(A田さん)に噛み付かんばかりの勢いで食ってかかった。このままでは、善良な容疑者であるA田さんの鼓膜が破られてしまう。シュウは暴れ狂う姉の細い体を後ろから羽交い締めして、何とか彼女の持っていたハンドスピーカーのツマミを下げた。 「姉さん! ヒカル姉さんってば! 落ち着いて! 犯人が見つからなくて、焦るのは分かるけど……!」  顔を真っ赤にして歯を食い縛るシュウの腕の中で、姉はなおも興奮した馬のように暴れ回った。  ほとんど日に焼けていない青白い肌。  ウサギのように充血し血走った目。  唇の端からは興奮しすぎて泡を吹いている。柳の枝のような細くしなやかな体の、一体どこにこんな力が隠されているのか。長い前髪で目を覆い、黒髪を振り乱すその姿は、まるでホラー映画に出てくる怨霊を見ているかのようであった。実際、清楚な印象を与えるはずの白いワンピースも、伝統的な日本の幽霊が着る白袴に見えないこともない。  その怨霊……いや、ヒカルと呼ばれた女性は、だがついに弟の制止を振り切ってしまった。彼女は何の躊躇もなく、A田の首元を思いっきり捻じ上げた。呼吸手段を絶たれ、A田の顔がたちまち真っ赤になった。 『テメーが犯人だなこの野郎! ぶっ●すぞ!!』 「姉さん、おかしい! 探偵が『ぶっ●す』はおかしいよ!」 『何でだよシュウ!? コイツは被害者を●ったんだぞ!? 許しておけるかよ!?』 「まだ確実にそうと決まった訳じゃないでしょ。この人が犯人だって、何でそう思ったの?」 『目つきが悪いんだよ!! コイツ、さっきから私のこと睨んでやがった!』 「ダメだよ。ちゃんとした証拠もなしに、犯人だって決めつけるのはもっとおかしいよ……」 「証拠だとォ?」  そこでヒカルは、ようやく握りしめていたハンドスピーカーを下ろした。まるで獲物を狩る捕食者のような、有無を言わせない絶対零度の鋭い眼光で睨みつけられ、シュウは思わずその場で縮み上がった。 「んなもん、待ってたら日が暮れちまうだろうがよ! その間に第二・第三の犠牲者が出ても良いのか?」 「で……でも……」  シュウは姉から目を逸らし口ごもった。犯人に先立って第二の犠牲者をその手で生み出そうとしていた貴女()に言われても……なんて事は口が裂けても言えなかった。ヒカルから解放されたA田が、その場にヘナヘナと座り込んだ。見ると、ズボンの股の部分にじんわりとシミを作っている。 「もうやめろ。明智さん、もうやめてくれ」  ヒカルたちのやりとりを見て絶句していた一人が、勇気を振り絞って声を振り絞った。ヒカルが物凄い速さで首を回して声の方向を振り返った。口を「あ?」の形にして睨みつけるヒカルに怯みながらも、B禎が、恐る恐る一歩前に出た。 「犯人は、僕だ」 「え!?」  B禎の突然の告白に、再び全員が静まり返った。 「D岡さんを●ったのは、僕だよ。この人たちは関係ない」 「そんな……!?」 「B禎さんが……ウソでしょう?」 「本当だよ」  C野とE山の言葉に、B禎は重々しく首を降った。 「僕が●した。みんなには黙ってたけど、D岡さんに実は借金があったんだ。それで……とにかくもうこれ以上、犠牲者を出すつもりはないんだ。降参だ。大人しく自首するから、この人たちを痛めつけるのは……」 「……テメーが犯人だと?」  上背のあるB禎を下から覗き込むように、ヒカルがゆっくりと彼に近づいて行った。シュウは、傍目から姉のその動きを見て、木の幹に巻きつく蛇のようだ、と思った。切れ長の美しい目の奥に、毛細血管の赤い筋を幾重にも走らせながら、ヒカルが喉を鳴らした。 「そんな証拠が、どこにあるってんだ?」 「……なんだって?」  B禎が戸惑った表情を見せた。 「テメーが犯人だって言い張るんなら、証拠見せてみろよ?」 「さっきはそんなの要らないって……」 「黙ってろ!!」  姉の怒鳴り声に、シュウは再び小さな体を飛び上がらせた。ヒカルは応接間の壁に掛けられた時計をチラリと見上げた。それから背中に背負っていた細長い筒状の布包から、刃渡り四十センチはあろうかという脇差を取り出した。鋭い銀の刃の切っ先が、蛍光灯の光でゆらゆらと妖しく輝く。その場にいた全員がヒカルから飛び退き、今日一番の緊張が走った。 「きゃあっ!?」 「オイオイ……よしてくれ!」 「一時間だ」 「何!?」 「警察がこの島に到着するまで一時間。後一時間以内に証拠を出せなかったら……A田を●す」 「ええっ!?」 「彼女は何を言ってるんだ……?」  B禎は本物の日本刀を目の当たりにし、恐怖に顔を引きつらせながらも、半ば呆れたような顔でヒカルを見下ろした。だがヒカルはどこまでも本気だった。 「分かったら……」  唖然として立ち尽くす残りの七人をジロリと睨み回し、私立探偵・明智ヒカルが、獣のように腹の底から低い唸り声を上げた。 「サッサと証拠見つけてこい!!」 「……!」  彼女の怒鳴り声が合図となり、犯人を名乗り出たB禎も含め、その場にいた全員が一斉に応接間を飛び出して行った。 □□□  シュウの五歳年上の姉、明智ヒカルが心臓の移植手術を受けたのは、昨年の夏のことだった。  高校を出てから私立の探偵事務所に勤めだした(ヒカル)は、新人ながら頭角をメキメキと現し、いずれは日本を代表する探偵になるだろうと誰もが期待を寄せていた。  昔はヒカルも大層大人しかった。とかく伏し目がちで、友達がみんな公園で泥にまみれて鬼ごっこなどに明け暮れている間、一人家でずっと読書に耽っているような、そんな少女だった。運動はからっきしでも、勤勉で、家事の手伝いなど器量が良く、特に弟のシュウの前では(じぶん)がしっかりしなければいけないと思っていたのか、決して弱音を吐くようなことはしなかった。  幼き日々の姉との思い出で、シュウが覚えているのは、小学校に入学したての頃だ。シュウがクラスのいじめっ子にボコボコにされていた時、五年生だったヒカルが教室から飛んできて……姉はその頃から線の細い少女だったが……彼女はいじめっ子の肩に噛み付いていつまでも離そうとしなかった。その時、いじめっ子にパンチの一つすら殴り返せない自分を深く恥じるとともに、シュウはヒカルに感謝と、それから申し訳ない気持ちでいっぱいだった。  自分が弱いせいで、お姉ちゃんが痛い目に遭っている。  その時は、結局担任によって喧嘩は両成敗にされた。  だが、いじめっ子の反撃で姉の白い肌にどんどん痣が出来ていく光景が、シュウの熱い目の奥にいつまでも焼き付いていた。  いつか姉を守れる弟になろうと、シュウはその時深く誓った。  時が経ち誓ったことを忘れても、彼の心の奥に深くそれは刻まれた。  そして、今から数年前。  探偵として華やかなキャリアを積むはずだった姉は、当時世間を騒がせていた連続殺人鬼を追っていた。  その連続殺人鬼は、全国神出鬼没といった具合で、シュウの通う高校の近辺でも被害は出ていた。シュウが、殺人や犯罪といったものがテレビやネット記事の向こう側の世界ではなく、身近なものだと感じされられたのはこの時だった。  快楽殺人。  この世には殺人そのものに喜びを見出しているような、およそ常人には理解できない異端者がいるのだという。いつどこに出没するかも分からない殺人鬼の影に、目に見えない恐怖がじわじわと街を覆っていくのを、その当時シュウは肌で感じていた。 「安心しなさい。私たちがきっと、捕まえてあげるからね」  事件が起きていた頃、ヒカルはシュウの頭を撫で、よくそんなことを言ってくれた。優しい姉だった。疲れた顔をしながらも、柔らかな笑みを浮かべてくれる姉に、シュウは何とも形容しがたいもどかしい思いでいっぱいだった。探偵として、殺人鬼を捕まえて欲しい。だけど、家族として危険な目には遭って欲しくない……。  だがそんな姉も、しばらくすると家に帰って来なくなった。どうやら例の犯人の目星がついたらしく、事件が大詰めになってきたのだ。新米だった彼女も、探偵事務所に寝泊まりして犯人を追い始めた。やがて事務所の先輩や、県外の探偵、それに警察とも手を組み、ヒカルは見事連続殺人鬼を追い詰めた……はずだった。  追い詰められた殺人鬼は、探偵や警察に必死に抵抗した。刃渡り四十センチはある脇差を持って路地裏で暴れ回り、やむなく射殺された。殺人鬼は心臓を拳銃(ピストル)で撃たれ、病院に運び込まれた。非常に後味の悪い形にはなったが、事件は無事解決した。  だがヒカルは、その際、殺人鬼の抵抗に巻き込まれ心臓を一突きされた。  都内の病院に運ばれたヒカルは、瀕死の一歩手前の状態だった。すぐヒカルの家族に連絡が来た。 「今すぐ心臓を移植しなければ、助かりません」  医者は沈痛な面持ちで、駆けつけた家族の前ではっきりとそう口にした。もちろん、突然移植手術をできるほど、心臓のドナー提供者は多くない。そもそも移植するまでに精密な検査が必要で、それにヒカルが運ばれる前から、移植を待ち望んでいた大勢の患者たちもいるのだ。シュウは目の前が真っ暗になった。  また自分は、姉を守ってやれなかった……。  ヒカルの父と母は、その場に泣き崩れた。苦しそうに横たわる姉の姿を見て、シュウは瞼の裏を熱く濡らした。自分が変わってやれるものなら、変わってやりたかった。やがて、人生で最も長く重たい沈黙が訪れたシュウの耳に、再び医者の言葉が飛び込んできた。 「ですが……一つだけ方法があります。もちろん絶対助かるとは言えません」  その言葉に、シュウは思わず顔を上げた。 「後遺症が残るかもしれませんが……よろしいですか?」  そう告げる医者の表情は、相変わらず固いままだった。  こうしてヒカルは……()しくも同じ病院に運ばれていた快楽殺人鬼の心臓を移植され……奇跡的に一命を取り留めたのだった。 □□□ 「……それからです。姉が【殺人衝動】に悩まされるようになったのは」  小さくため息をつくシュウに、隣にいたB禎が驚いたように目を丸くした。二人は今、事件現場へと向かっていた。 「ってことは何だ? 殺人鬼の心臓を臓器提供されて……ソイツの人格が、君のお姉さんに目覚めたってことかい??」 「ええ」  シュウが至って真面目な顔で頷いた。B禎は絶句した。 「そんなことが……現実にあるのか?」 「信じられないかもしれませんが、臓器を移植された患者が、知らないはずの提供者の記憶を持つことはごく稀にあります。たとえば……」  シュウは遠い目をして頷いた。  例えば、クラシックが趣味だった五十代の男性が、心臓を移植された後ロックンロールを大音量で聞くようになったり。  例えば、ある患者が以前大好物だったファーストフードを全く食べなくなり、代わりに苦手だった人参が大好物になったり。  例えば、患者本人が決して知るはずのない情報を、『思い出』として持っていたり。 「……もちろん、科学的には全く根拠はありません。通常、ドナー提供者と移植者が接触することは法律上固く禁じられています。にもかかわらず、こうした事例が実際にあってるんです」 「オイオイ……」  B禎の、シュウを見る目は、先ほどよりもさらに驚愕に満ちた色をしていた。B禎がゴクリと唾を飲み込んだ。 「じゃあ、()()彼女の中身(なか)は……快楽殺人鬼(サイコパス)?」 「いいえ」  B禎の言葉を遮って、シュウは静かに、だが腹の底から力を込めて言った。 「姉さんは、快楽殺人鬼(サイコパス)なんかじゃない。今度こそ、僕が姉さんを守ります」
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