星降る夜は甘い腕の中で

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柴勝時(しばかつとき)与那嶺浩太(よなみねこうた)に「流星」への搭乗の命が下ってから十日程が過ぎた。 勝時と浩太はラバウル基地の第二八航空隊に所属する上等飛行兵だ。勝時は偵察員、浩太は操縦員でこれまでは二人で九九式艦上爆撃機に乗っていた。 過日、連合軍敵機との空戦の折、敵兵の放った機銃に当たった勝時は負傷した。 ラバウルに赴任する前は九六式艦上戦闘機に乗っていた浩太の操縦手腕により、敵機の追尾を逃れ辛うじて基地に帰還することが出来たが、その時乗っていた九九艦爆も尾翼が折れる程の損害を被り勝時もまた入院する羽目となったため、勝時と浩太のペアには暫しの間、搭乗が割り当てられていなかったのだ。 そんな中、海軍の新鋭機である流星の試験運用が決まり、地上でその腕を持て余していた勝時と浩太のペアは、幸いなことに流星の搭乗員として任命されたのであった。 今夜も南国の夜は蒸し暑く、そして雲一つない空には数えきれない程の星が瞬いている。黒々とした夜空のカンバスには、流れゆく星によりほっそりとした光の線が幾筋も描かれている。 二人が流星の搭乗員となることを祝福するような、そんな搭乗前夜だ。 「いよいよ明日は流星だな!」 夕食後の消灯時間までの自由時間、二段寝台の上から浩太がヒョコっと身を乗り出し、下の寝台にいる勝時に声をかけた。 落っこちるぞ、と苦笑しながら勝時は身体を起こし読んでいた本を閉じる。浩太は梯子をするりと降りて寝台に座る勝時の隣に腰掛けた。 「楽しみか……?」 僅かな室内の灯りの下でも浩太の大きな目がキラキラと輝いているのが分かったが、勝時は訊ねた。 「もっちろん!」 浩太は拳をぐっと握り満面の笑みを浮かべる。 「流星って九九艦爆より重たいんだぞ。俺も乗るんだし」 既にペアとなって三百時間程、九九艦爆に乗ってきたとは言えど浩太はこれまで九六式艦戦に乗っていた時間の方が遥かに多い。ましてや海軍最新の開発機である流星に、身体が小さい浩太がどこまで順応できるのかと、勝時はどうしても浩太の身体を心配してしまう。 「そんなの承知の上だ!それよりもようやく勝っちゃんと流星に乗れるのか!ああ〜!早く明日にならないかな!」 勝時は僅かに頬に熱が集まるのを感じた。夜で良かった、と思いながら「なら、安心だ」と言い、そのまま身体を後ろに倒して寝転ぶと、胸の横にある浩太の細い胴体をぐい、と抱え込み引き寄せる。 「わっ、な、何!?」 動揺したのか声が上擦っている浩太の腰へそのまま顔を押し付ける。 「か、勝っちゃん……?」 戸惑いながら名前を呼んだ浩太に照れ隠しで「眠い」と告げる。自分よりもずっと細身で、けれど女とは違う逞しさをしなやかな筋肉の中に感じた。高鳴っていく鼓動と裏腹に、言い知れぬ安堵感を抱くのも確かで、そうこうしているうちに本当に眠気が襲ってきた。 「勝っちゃーん」 と言いながら肩を軽く揺する手付きに誘われて勝時は優しい暗闇に意識を沈めた。 「…えっ、本当に寝ちゃった……?」 すーすーと小さく聞こえる寝息に浩太はそっと訊ねた。返事はなく柔らかな気配が漂っている。 「おーい……」 起こすなら普通に声をかけて身体を揺り起こせばいい。けれどなぜか声を潜めてしまう。きっとこれで勝時が目を覚ましたら自分は少しがっかりするのだろう、とも思った。腰には勝時の腕がしっかりと回っているため、上手く身動ぎもできない。 どうしよう、という困惑と共に、浩太の胸の奥に灯った温かい炎がとくんとくん、と鼓動を早めていく。 浩太たちの寝台がある部屋は、今夜は珍しく他の搭乗員たちが全員出払っていた。消灯時間まで皆思い思いの場所で過ごしているのだろう。しかし、あと数十分もすれば帰ってくるはずだ。自分はこのままでも良いような気がしているが、勝時はきっと物音で目を覚ましてしまうだろう。 どうしたものか、と浩太が悩んでいると戸口に人影が見え、同じ部屋で寝起きしている戸塚という搭乗員が一人入ってきた。 「……」 戸塚は浩太と勝時を見て目をパチクリとさせている。もう少しだけ、静かに寝かせてあげたい。と思った浩太は、しーっと人差し指を唇に当てた。 彼は何も言わないままコクリ、と頷くとそっと扉を閉めて部屋を後にした。あまり話したことのない物静かな搭乗員だったが、浩太は明日起きたら礼を言おうと固く心に誓った。 腰に回された温かくてしっかりとした腕が心地よく、浩太が舟を漕ぎだした頃、消灯時間を告げる喇叭が聞こえ、ハッと顔を上げると同室の仲間たちはもう寝台に潜っている。 いつ戻ってきたのかも分からなかった。と浩太が眠気を抱えながら、喇叭の音で目が覚めたのか身動ぎした勝時の腕からそっと抜けようとすると、再び逞しい腕に今度は背中ごと包まれた。勝時に引っ張られるような形で身体が寝台の上で横になる。 「…かっ……」 頬にサッと熱が駆け上り、声を潜めて名前を呼ぼうとした浩太の耳元に勝時の掠れた低い声が「このままで」と囁いた。その瞬間、浩太は腰の奥深くでじわり、と頬に上ったのと同じ熱が灯ったのを感じた。知れず、はぁ。と艶めいた吐息が漏れて浩太は手の甲で口元を押さえる。 勝時はそのまま後ろから覆い被さるように浩太を抱きしめながら、薄手の毛布を片手で手繰り寄せ自身と浩太の身体へ掛けた。自分の身体がすっぽりと勝時の身体の空いたところへ収まっているような感じがして、次第に訪れた心地良さで浩太はとろりとした穏やかで甘い夜闇に身を委ねた。 起きたら、みんなに静かにしてくれてありがとうって言って…勝っちゃんには、びっくりしたって…言わなきゃ。ああ、でも…嫌じゃなかったよって……。 砂浜に書いた文字を波が攫うように、浩太の意識は勝時の腕の中へ攫われ溶けていった。 キュイキュイキュイ、と高らかな鳥の鳴き声で浩太はぼんやりと目を覚ました。 ここが内地ならピチチ、という小鳥のさえずりになるんだろうな……と覚醒したての重たい思考の中で考える。起床喇叭よりも前に目が覚めたからかすぐに起き上がる気になれなかった。なんだか身体全体も重たいし……。 「ん、」 「っ!?」 頭のすぐ上から聞こえた低く掠れた勝時の声と、ぐいと胸元を抱えられるように引き寄せられて背中に感じていた温もりが強くなる。 そうだ、昨夜、勝っちゃんと同じ布団で寝たんだった……。 背中から伝わる勝時の温かさが浩太に伝播したように頬が熱くなる。 走り出した浩太の鼓動を探るように勝時の手が胸元をゆっくりと撫でた。優しいけれど、焦れったいようなその手付きに更に鼓動が速くなったような気がして、浩太は逃げるように身体をくねらせる。すると、逃がさないとでも言うようにますます勝時の腕の中に閉じ込められてしまう。 「……か、」 名前を呼ぼうと喉の奥に張り付いた声を出そうとすると、再度頭の上に低くて聴き心地の良い声がした。 「もう少しだけ、このままで」 懇願するような声音が混ざっていると思ったのは自分の気のせいだろうか。 声を出さずに小さく頷くと、ふっと柔らかく笑う気配がして幼子にするように頭を撫でられる。幾度か頭を撫でた勝時は、次に浩太の首元へそうっと顔を寄せると鼻先でくすぐるかのようにするすると擦り寄せた。 「っ、」 声が出そうになり浩太はサッと手を口元に当てる。そういえば昨夜もこんなことがあった気がする。こういうのを「デジャブ」というのだといつか辰三が教えてくれたな……と考えていると首元に柔らかなものが触れた。 勝時の唇だ。浩太の首を食むようにやわやわと唇が肌の上を滑っていく。不意に耳のすぐ後ろを小さく吸われて浩太は耐え切れずに声を漏らしてしまった。 それを揶揄うように勝時の手が胸元を、腹を、腰を撫でていく。ぞわぞわと熱が下腹部に集まっていく。腿裏に触れる勝時の身体もやけに熱く感じて浩太は狼狽した。 駄目だ、このままだと……。と浩太がキュっと目を瞑った瞬間、起床時間を知らせる喇叭が南国の鳥にも負けないくらい高らかに鳴り響いた。 「わあっ!おっ、おはよう勝っちゃん!」 音に驚いたのもあり、やけに声が大きくしかも上ずってしまった。勝時も身体を起こし寝台に腰掛けて「おはよう」と言った。その口元がいつもより甘く見えたのは錯覚だろうか。 「おーおー、浩ちゃんは朝から元気だな」 「目覚まし浩坊だな」 次々と起き出した同室の連中がにやにやとからかってくる。悪意はないことはもうわかっているけど、いつも通り「うるさいやい!」と返してから、ハッと昨夜のことを思い出し浩太は軽く頭を下げた。 「昨夜はありがとうな。静かにしてくれて」 搭乗員たちは意外そうに互いに目を合わせて少し照れたように笑った。中の一人が昨夜一番早く部屋に戻ってきた戸塚を指差した。 「戸塚が部屋の前にいてさ、流星ペアが寝てるから静かにって」 勝時と浩太はこの部屋の中では「流星ペア」と呼ばれている。実際はまだ流星に乗ってはいないのだが、浩太があまりにも流星流星と騒ぐので同室の仲間は苦笑しながら「流星ペア」と勝時と浩太を呼んだ。その響きがかっこいいと、浩太が誇らしげにしている姿はとても可愛らしく、そして心強かった。 昨夜のあらましを聞いた浩太は目をパチクリとさせて、少し恥ずかしそうにそっぽを向いて着替えている戸塚の元へ行く。 「な、なに……」 浩太を見下ろして訊ねる戸塚へ浩太は「ありがとうな!」と礼を言った。 「戸塚が気回してくれたのか。お前良い奴だな!」 「えっ、いや、それは……」 小さく胸の前で手を振る戸塚に着替えを終えた勝時が近づき「昨夜はすまなかったな」と声をかけてからまだ着替えてない浩太の襟元を掴む。 「ほら、浩太。早く着替えて。今日は流星乗るんだろ」 「そうだった!」 勝時の手から着替えを受け取り脱ぎ散らかしながら「急げー!」と次々に着替える浩太を見てなんだ、と搭乗員たちは小さく苦笑した。 昨夜はなんだか勝時の方が幼子のように見えたけれど、何のことはない。こうして見ているといつも通り保護者なのは勝時だ。 勝時は床に散らばった浩太の着替えを一つずつ拾いあげ畳んでから浩太の寝台へ置いている。 「流星っ、流星っ!」と独自の調子で弾むように歌いながら浩太は勝時とともに食堂へ向かうのだった。
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