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2 青春は痛いのだ!
「重さん、」
そう呼びかけられた若者が、涼しげな瞳を少し吊り上げるようにして、何事か言葉を吐こうとした。
が、結局は何も言えず、その形の整った唇をわずかに噛んだ。
千葉重太郎・二十歳。
父の千葉貞吉道場で師範代を勤める北辰一刀流の剣の達人である。
「半平太どの・・・」
逡巡し、やっとの思いで口にしたのは相手の名だけだった。
「重さん、わしはなぁ、」
一文字につながった太い眉に皺を寄せ、突き出た顎をゴシゴシ擦りながらその若者は、
「わしゃあもうあんなベコノカアのことはどうでもようなった、」
そう言うやいなや縁側の板の上にひっくり返ってしまった。
武市半平太・二十五歳。
のちに土佐勤王党の領袖となる幕末土佐の風雲児である。
道場に於いては藩の御用でここしばらく稽古に来られないと重太郎がかばい、藩に於いては道場での連日にわたる猛稽古のため泊り込んでいて下屋敷のほうには戻れないと半平太がかばっている。
それも一ト月以上となるともうどうにも言い逃れができないところまで来てしまっている。
そんな二人の困惑しきった姿を中庭の生垣の陰から、さっきの若者がうらぶれた表情で見つめていた。
怒るだろうな、喚かれるだろうな、殴りつけられ、挙句の果てはその場で叩っ斬られてしまうかもしれない。
一切の助言を無視して惚けた以上致し方ないことかもしれない。
覚悟して出るか。
けど・・・。
二人の前に、いざ出るとなると、足が動かなくなってしまう。
気持ちが怯んでしまう。
しかし股間の事情はもう先延ばしにできないところまで来てしまっていることは事実だ。
少しでも早いうちに手を打たねば・・・。
それを相談できるのは、この二人の年長者しかいない。
月にかかっていた雲が晴れた。
見つかるとおもってあわてて身体を引いた。
その時バランスを崩しバラ園の中に身体ごとつんのめってしまった。
「痛えッ!」
思わず叫んで、すっ転んだ。
「クセモノ!」
半平太がすかさず駆け出し、重太郎も後に続いた。
二人はバラ園の中でもがいている闖入者を引きずり出し、月明かりにその面を翳した。
「リ、リョウマッ!」
半平太と重太郎が同時に叫んだ。
「オ、オバンデヤンス、」
愛想笑いを浮かべながらも、二人の親友の怒気を含んだ恐ろしい顔を、すがる思いで見つめたのだった。
幕末という時代を天馬の如く駆け抜け、日本史上最も愛される英雄となる男、
〝坂本竜馬〟
である。
この時、十八歳。
今、人生最大のピンチである。
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