5 ベコノカアの目尻に溢れ出すもの

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5 ベコノカアの目尻に溢れ出すもの

 月光が淡く下屋敷の中庭に射し込んでいる。  葉桜が風に揺れ、サラサラと心地良い音を響かせている。 「淋病だけならまだいいですが、」  重太郎の眼がキラリと光った。 「・・・・梅蒼、」  半平太が苦りきって竜馬を見た。  ただならぬ二人の気配に、 「なんじゃいそれはッ!」  強がって訊ねたものの、竜馬は心臓が口から飛び出そうだった。 「鼻ポロリじゃ、」  半平太がポソッと言った。 「!!」 (鼻ポロリ・・・・)  その病気の恐ろしさは竜馬も知っている。  身体の中を稲妻が走った。  脳天を斧で叩き割られたような衝撃が走った。 「鼻の次は、眼ん玉ドロリじゃ、」  神妙な表情で半平太が呟く。 「そして、耳がポトリ、」  重太郎が眉間の皺を深くする。 「で、歯茎が腐って、歯がトロリ、」 「・・・・」  竜馬は息を呑んだ。 「脳に毒素がまわって、髪の毛バサリ、」  ワナワナと膝が震え出す。  竜馬は半平太と重太郎の顔を交互に見た。 (嘘だといってくれッ!冗談だとオチャラケテくれッ!) 「そいで最後は全身にハンテンが浮き出てそこから蛆が沸き肉も骨も喰い散らかされて・・・・」  竜馬の脳裏を地獄図絵が駆け巡る。  言葉がなかった。  腰が砕けそうだった。  もしかしたらもう腰コトリの症状が始まってしまっているのかもしれない。 (もうええッ!) 「ハ、半平太ッ!・・・・」  縋る瞳に涙が滲んだ。  チトいたぶり過ぎたようだ。  半平太と重太郎の視線が縺れ合った。 「少し驚かせ過ぎたようです、竜馬ドノ、」  今にも子供のように泣き出しそうな竜馬が重太郎は愛しくてならなかった。 「大丈夫です、治ります、」 「!!」  竜馬の瞳が輝いた。 「玄庵先生というその道の権威の方を拙者も半平太ドノも存じております故、」  竜馬が重太郎ににじり寄る。 「今から行こうッ!すぐに行こうッ!ワシを一刻も早くその玄庵先生という方のところへ連れて行ってくれッ!」 「罹ってまだ七日くらいならそう急ぐこともないわい、わしと重さんで話を通しといてやるきに、」  立派な先生ですよ、と重太郎もとりなした。  天保年間にコレラやペスト、ウールスにスッピロヘーターなどの治療研究に成果を上げた江戸医術界の重鎮であった。  また自然科学や光工学の草分け的存在でもあり、独特の理論で数多くの生活品を発明。  加えて性風俗界に極めて造詣が深く、そこで得た様々な体験を社会福祉の分野に生かし、士農工商老若男女を問わず、あらゆる人々から熱い支持を受けている個性溢れる医術士である。 「安心せいッ、」  半平太が竜馬に微笑みかけた。  その笑みが、竜馬の眼に神々しく映った。 「ハ、半平太ッ!」  飛びついてキスしようとした。 「やめろッ!感染るッ!」  半平太が強くはね退けた。  竜馬はピシャリと鞭で身体を叩きのめされた気がした。 (感染るのか!?ワシの病気は他人に感染る病いなにか!?)  竜馬は愕然とした。 (今朝まで戯れていた夕顔ちゃんにも感染してしもたのか・・・・)  寄り添い尽くしてくれた何人もの女な子衆の健気な姿が竜馬の心をよぎった。 (ワシは地獄に堕ちるッ!そんで業火にこの身は焼き尽くされるッ!)  竜馬は絶叫した。 「みんなスマンッ!」  そして泣き崩れた。 「ワシャア、ベコノカアじゃ、ホンマのアホボケカスタンのダボチンじゃあッ!」  月に向かって土下座するように、何度も竜馬はその額を地面に押しつけた。  風が吹きすぎていく。  とことんのた打ち回るしかないじゃろう・・・。  苦笑を浮かべた半平太がチラりと重太郎を見た。  唇を噛みしめ、竜馬の背を一心に見つめるその眼から溢れ出すものがあった。
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