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6 俎板の鯉どころか・・・
中庭の樟が風邪にその葉を撓ませた。
小石台にある玄庵先生の診療所からは、この時期天気が好ければ遠く富士の山を望むことができる。
この日もよく晴れ絶景だったが、待合室で項垂れている竜馬の眼には映るべくもなかった。
この二日間というもの、竜馬はもう忸怩たる思いで過ごした。
症状があきらかに悪化の一途を辿っている。
褌はもう膿でドロドロである。
小便もうまくできなくなっている。
疼きや痛みも日増しに増してきている。
微熱も出てきた。
腋の下や関節にも鈍い違和感がある。
剣術稽古どころではなかった。
食事も喉を通らぬほどだった。
重太郎と半平太に付き添われ、やつれにやつれた竜馬が待合室の長椅子にポツネンとした姿勢で腰かけ、侘びしげな溜息をまた一つ吐いた。
「・・・・、次、坂本、タツマ様、」
(タツマやないきに・・・・)
竜馬は恨めしげに受付の女な子を見た。
半平太と重太郎が吹き出した。
「いっそタツマと改名したらどうじゃ、そのほうが情けない自分をうまくやり 過ごすことができるやもしれんぞ、」
(ケッ!)
「淋太郎というのはどうじゃ、」
「!」
キッと竜馬は半平太を睨みつけた。
そんな視線などもろともせず、
「もし梅蒼やったら、才谷屋のベコノカアちことで才谷梅太郎というのはどうじゃ、」
下品な笑い声を半平太が上げた。
(しかし、後年、変名を使わなくてはならなくなった時、竜馬は己を律して、この名を用い、諸国遍歴を行うことになる。)
竜馬は無視して診察室に入った。
颯爽と向かったつもりがヒョコタンヒョコタンと爪先立ちとなる。
(情けない・・・・)
「よろしくおねがいしますです、」
扉の中は白を基調に下とても明るい空間だった。
美しい女性が二人優しげな笑みをたたえて迎えてくれた。
その隣に和やかな表情の好々爺がいた。
「玄庵です、」
丁寧に挨拶してくれた。
竜馬はすかさず毅然と姿勢をただそうとした。
が、股間にピリリと痛みが走った。
必死に堪えながら、
「土佐藩上士福岡家お預かり郷士坂本八平次男竜馬直柔十八歳、よろしくおねがいいたしましますです、」
機械仕掛けの人形のような姿勢で、頭を下げた。
「まぁそう硬くなりなさんな、娘の夏生と秋穂じゃ、二人ともわしと同じ医術士じゃ、」
「夏生です、」
白い歯が印象的だった。
「秋穂です、」
大きな瞳が潤んでいるように見える。
ギクシャクと二人に礼をした。
玄庵に座るように促された。
竜馬は股間を庇うように浅く腰掛けた。
「話はお仲間たちから聞いた、まぁだいたいの事は承知した、で今回は娘の夏生にキミの治療をやって貰うことにした、」
思わず夏生の顔を見た。
(この人が治療を・・・・)
ニッコリと微笑まれた。
その顔が葵ちゃんに似ていた。
ドキッとした。
「夏生は長崎蘭医所を首席で卒業し、開百先生の下で独医学も修めたほどの腕前じゃ、特に下の病いに関しては、他の追随を許さぬほどの研鑽を積んどる、」
生物学的見地から、夏生は男女の生殖構造、またその性的行動に深い関心を持って研究に励んだ。
「では、いいでしょうか坂本様、」
夏生先生にジッと見つめられるとなにかしら吸い込まれてしまいそうな不思議な気になる。
こういう場所で出会いたくなかったと竜馬は思った。
夏生は予診表を見ながら、一つ一つ丁寧にその状況を訊ねていった。
「不特定多数の者と性的交渉を持ったと?」
「・・・・ハイ、」
「一ト月余りで、約百五十人、」
「ハイ・・・・」
夏生の中でフツフツと煮え滾る思いが沸きあがった。
こういう男は女性を愉楽の道具としてしか考えてないのではないか。
開百先生には医者として、病いを憎み人を憎まずと口を酸っぱく教えられた。
どんな極悪人であろうと、今目の前で怪我や病いにのたうっていれば、何はさて置きその苦しみを取り除いてやるのが医者としての務め、と。
理屈ではわかっているのだがどうしても感情に左右されてしまう。
未熟者といわれればそれまでだが、そういう性分だからと自ら割り切ってもいる。
だからこそどんな治療も厭わない医者としての矜持も持ち合わせている。
あの治療法を使おうかしら・・・・。
夏生の眼がキラリと光った。
「一週間ほど前に、夜鷹の人とまぐわったと?」
竜馬はドキッとした。
まぐわった、などと言う言葉をこの美しい女性の唇から零れるように言われると・・・・。
「それはもう夏生ドノや秋穂ドノくらい美人で、身体つきもたいそうなもの で、おまけにその柔肌ときたら、」
(バカかこいつは、)
夏生はさらに過酷な治療法を施してやろうかと考えた。
「痛むのですね、」
「ハイ、それはもうピリリち感じで、」
「袴と褌を外してココに横たわってください、」
「エッ!」
(うら若き乙女のまえでわがイチモツを曝すとは!)
「吉原で御活躍のナニをわしもとくと拝見させていただこう、」
玄庵先生に診察台へと促された。
遮断の幕を引いてくれ、脱いだ袴と褌をその隅の籠に入れよと教えられた。
フヒホヘハヘハハ・・・・な気分である。
何度も溜息を吐きながら、袴を外した。
褌はドロドロだ。
おまけに臭い。
こんなもの籠になんか入れられないと思い竜馬は丸めて懐にねじ込んだ。
「よいかな、」
玄庵先生が遮断幕の隙間から、これを腰に巻けと白布を手渡してくれた。
言われるとおりにするとサッと幕が開かれ夏生先生が竜馬の正面に立った。
秋穂先生に導かれるまま診察台に横たわった。
するとなんだか歪な金具を玄庵先生が台に取り付け、すばやく竜馬の足を大股開きで身動きできぬようガッシと固定してしまった。
ついでじゃ、と言って両手も頭上で皮ひものようなものでしっかり縛り付けられてしまった。
「ワシ・・・・、」
人生始まって以来だった。
こんな無防備な態勢になったのは・・・・。
泣くに泣けない哀しみが全身を包み込んだ。
もがく竜馬の懐から汚れた褌がはみ出した。
「なんでしょう、」
秋穂が摘み上げた。
「あっ!」
ドロドロの褌が三人の眼前で翻った。
同時に汚臭に顔を顰めた。
竜馬の目尻に涙が滲む。
玄庵が慈悲深い笑みを浮かべ、
「治そうな、」
と手を握りしめてくれた。
竜馬の感情が昂ぶった。
秋穂が汚れた褌を丁寧にたたみ、籠の中に戻してくれた。
「では、」
夏生が腰の白布を一気に取り払った。
その瞬間、皆の表情が凍りついた。
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