濃霧

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ある日の夜。 家族で夕食をとっていると、仕事のことでまた父さんとケンカになってしまった。お互いに気が短い性格だから、会社の社員からしてみればタチが悪い親子だ。そしていつも僕たちのケンカを止める役目は、呆れた顔をしている母さんだった。 「進さん、もういいじゃない。 透だってまだ入社したばかりなんだから」 「由紀、仕事の話をしている時は口出しするなよ。 だいたい、お前が透のことをいつも甘やかすからいけないんだ」 母さんは小島由紀といい、旧性は林由紀といった。ケガで足が悪く外で働くことが難しい為、自宅で父さんの会社の経理の仕事をしていた。僕が子供の頃に父さんに怒られると、「大丈夫よ」と優しい声で僕の頭を撫でてくれたことを今でも覚えている。 「母さんのことを悪く言うな! もう会社なんてめんどくさいよ!」 僕は夕食の箸をテーブルに放り投げ、スマホを持って外へ出ようとした。 「透、こんな雨の中にどこへ行くの?」 母さんは出ていく僕を引き止めた。それでも無視して家を飛び出すと、外はまるで嵐のように激しく雨が降っていた。 さっき夕食で見ていたTVのニュースによると、どうやら大型台風が近づいてきているらしい。それでも僕はこの嵐の中を行くあてもなく車を走らせた。 速い速度のワイパーが、フロントガラスに激しく当たる雨を弾き飛ばしていく。そして誰もいない交差点の赤信号で止まると、僕はこれからのことをいろいろと考えた。 「もうあの家から出て行くしかない。 やっぱり東京で就職しよう!」 その時、高校生のあの時のことをふと思い出した。 「そうだ、あの隠れ家に行こう」 高校の時に隠れ家にしていたあの小屋なら、こんな嵐の夜に誰も来ないだろうと思った。僕は嵐の夜道を走り、高校の裏山にあるあの古い小屋へと向かった。やっとの思いで現地にたどり着くと、その小屋はまるで廃墟になった民家のように今でも存在していた。 車から降りて雨の中を走り、錆びついた小屋の扉をこじ開けた。ここに来るのは高校を卒業して以来だった。今にも割れそうな怪しい裸電球を点けて、蜘蛛の巣がたくさんある小屋の中をゆっくりと眺めながめた。 「なんか懐かしいなぁ」 気の抜けた声で呟きながら汚れた地面に腰掛けると、僕は急に彼女のことを頭に浮かんだ。 「希ちゃん、今ごろ何しているんだろう?」 始めは連絡するかどうか少し迷ったが、とりあえず彼女にLINEだけしてみることにした。 『こんばんは。今、忙しい?』 すると、彼女からすぐにLINEの返事が来た。 『こんばんは、大丈夫だよ。今外にいるよ』 『俺も今外にいる。学校の裏山にあるあの小屋に1人でいるんだ』 『今から私もそこに行っていい?』 思わぬ展開にドギマギしながら『了解』のスタンプを押した。 しばらくすると、この嵐の中をタクシーに乗って彼女がこの小屋へやって来た。 「透くん、こんばんは」 「こ、こんばんは。 希ちゃん、こんな嵐の夜になんで外にいたの?」 「透くんこそ、どうしたの?」 そう聞かれた僕は、父親とケンカして家から飛び出したことを夢中で話した。しばらく僕の話を黙って聞いていた彼女は、今度は自分のことをゆっくり話し始めた。 「実はね・・・私、親からDVされてるんだ」 「え? DV?」 そして彼女はゆっくり袖をめくると、白くて細いその腕には無数の傷跡があった。 「高校の時、透くんと保健室で会ったことあったでしょ? あの時、保健の先生に体の傷がバレちゃったんだよね」 「ああ、だからあの後に職員室へ連れていかれたんだ」 「透くんとこの小屋で会った時も、親からDVをされた後だからここに隠れて泣いていたの。 体の傷を小島くんにバレたくなかったから、話しもせずに小屋からすぐに出て行ったの」 「そうだったんだ」 「それでも高校を卒業してからはしばらくDVは無かったんだけど、さっきまた始まったから怖くなって外に逃げてきたの」 彼女のDVの話を聞いて僕は返す言葉が無かった。さっき父さんとつまらないケンカで飛び出してきた自分が、今ではなんだか恥ずかしい。 雨に濡れて寒いのか親からのDVが怖かったのか分からないけど、彼女は小刻みに震えながら自分で自分の体を抱きしめていた。 僕は慌ててポケットにある小銭を確かめて、 「今から温かいコーヒーを買ってくるから、少し待っててね」 と彼女に言った。それから慌てて小屋を飛び出し、車に乗って近くのコンビニまでコーヒーを買いに行った。彼女に『コーヒーを買ってくる』というのは言い訳で、彼女をどのように慰めていいのか分からない本当に情けない男だ。 とりあえず急いでコンビニから戻って来て、まだ震えている彼女に温かいコーヒーを渡した。 彼女にコーヒーを手渡す時、一瞬だけ彼女の手が触れた気がした。 「小島くん、ありがとう・・・あったかい」 彼女はコーヒーで自分の手と顔を温める。そして香りを味わいながら、傷ついたその体の中にゆっくりとコーヒーを流し込んだ。 「ありがとう、コーヒー美味しい」 僕はそんな彼女の姿を見ながら、 「この雨じゃどこにも行けないから、とりあえず朝までここにいようか?」 と呟くと、彼女は「うん」と静かに頷いた。 しばらく黙って離れて座っていたけど、少しずつ距離は縮まりお互いの肩が触れ合った。 そして僕たちは嵐の小屋の中でキスをした。
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