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あの日の前夜、僕たちは嵐の中で恋をした。
激しい雨風が古小屋の窓や扉を容赦なく叩きつけ、薄暗い裸電球が振り子のようにゆらゆらと揺れている。
僕たちはキスをした後、お互いの肩だけ触れ合ったまま黙って座っていた。
「希ちゃん・・・このまま一緒に東京へ行こうか?」
「え? 東京?」
「うん。 お互い、このままこの街にいても仕方がないだろ?」
「そうだね・・・」
彼女は曖昧な返事をしながら、最後のコーヒーを飲み干した。
すると、さっきより嵐がさらに強くなってきて、古い小屋が震えながらミシミシと音を立ててきた。
「透くん、この小屋は大丈夫なのかな?」
「う、うん。 たぶん・・・」
僕も段々と不安になってきて、
「希ちゃん! この小屋は危なそうだから、僕の車で逃げよう!」
と言ったその瞬間!
遠くの方から唸るような重低音が聞こえてきて、それはやがて体を激しく震わす地響きへと変わっていった。
「え? じ、地震?」
「なに? 透くん、怖い!」
「希ちゃん! 危ない! 伏せて!」
「キャー!」
ドーン!
ーーーーー
あれからどれくらい時間が経ったのだろうか?
前がボンヤリと暗くて何も見えない。
しばらくして重い瞼を開けた僕は、足を何かに挟まれ倒れている彼女を見つけた。
「の、のぞみちゃん・・・大丈夫?」
気を失っていた彼女は目を覚まし、僕の方
に手を伸ばした。
「と、とおる・・・くん。 足が痛い・・・」
「待って・・・今、助けるから・・・」
もう少しで彼女の手を掴もうとした瞬間、誰かが僕の腕を掴み、体を後ろに引きずっていくような感じがした。
次第に彼女が遠ざかっていく。
「希ちゃぁん!」
もう一度気がつくと、濃い霧に包まれた光る空間の中にいた。
僕が生まれてから今日に至るまでの『記憶』の画像が、次々と光の中へと消えてゆく。
その画像が全て消え終わると、霞んだ視界の中から多くの人が動きまわっているのが見え、やがて向こう側から誰かが声をかけてきた。
「小島さぁん、大丈夫ですかぁ? 今、お父さんとお母さんを呼びますからねぇ!」
霞んだ視界は現実に戻り、僕はいつの間にか病院のベッドに寝ていた。
まだこの状況がどういうことなのか理解できず、頭の奥が割れるように痛い。
それから知らない女性が病室に入ってきて、泣きながら僕に抱きついてきた。
「進! 進! 母さんよ!」
すすむ? かあさん?
「このひどい土砂崩れの前夜に、あなたはお父さんとケンカして嵐の中を飛び出して行ったのよ! あの時、母さんが進を止めてさえいれば・・・」
父さんとケンカ? 土砂崩れの前夜?
なんのことだ?
そして・・・いったいあなたは誰なんだ?
病院の待合室のテレビが、事故のニュースを流していた。
「先日〇〇県で起こった土砂崩れで、生き埋めになって救助された高校生の小島進さんと林由紀さんは、先ほど意識が戻ったという情報が入りました。今回の土砂崩れは昭和最大の規模で、今でも多くの住人が・・・」
僕は病室の白い天井を眺め、魂が抜けた声でボソッと呟いた。
「僕は、小島進っていうのか・・・」
事故から1ヶ月後。
僕は土砂崩れに巻き込まれたショックで記憶喪失になっている事が判明し、退院できないまま連日検査が続いていた。
あれから父さんと母さんからいろいろ話を聞き、僕は自分が『小島進』であることを少しずつ理解しようとしていた。
今日は天気もいいので、僕は気分転換に病院の中庭を散歩した。
すると、花壇の花を見ている車椅子の女性を見かけた。
「確か、あの人は?」
そう、僕と同じ土砂崩れの事故でもう1人助かったと聞いている・・・あの女性だった。
彼女も僕と同じく記憶を失っていて、どうやら足をひどくケガしているらしい。
僕は勇気を出して、
「あの・・・林由紀さんですよね?」
と、言った。
彼女はいきなり話しかけた僕を、穏やかな優しい目で見つめ返した。
「ぼ、僕と少し話しませんか?」
彼女は僕の顔を見て、不思議そうに呟いた。
「あなたは・・・だれ?」
その瞬間、僕の胸の中に大きく風が吹き抜ける感じがした。
この場面、どこかで見た記憶がある!
「僕は小島進といいます。 あの土砂崩れの事故で・・・」
「ああ、あなたが小島さん」
「君と、君と少し話しをしてもいいかな?」
すると、彼女は透き通る声で笑った。
「はい!」
僕は慌ててポケットにある小銭を確かめて、
「い、今から温かいコーヒーを買ってくるから!」
と、彼女に言った。
病院の売店から急いで戻った僕は、まだ花を見ている彼女に温かいコーヒーをそっと渡した。
彼女に紙コップを手渡す時・・・
一瞬だけ彼女の手が触れた気がした。
「ありがとう・・・コーヒー、美味しい」
彼女と一緒に飲んだコーヒーは
これからの僕たちに何かが始まるような
そんな予感がする香りがした。
おわり
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