第13話 化粧品作り

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第13話 化粧品作り

 浴室から出てきた後、眠りに落ちたセラフィが白猫の姿に変化した。疲れているのだと思う。人の姿に戻れるようになってから、セラフィは僕の役に立とうとして頑張り過ぎている。時折見せる少女のような言動は、呪いで退行していた影響だろう。 「嬉しい……と思うんだけどね……心配だよ」  艶やかさを増した猫の毛並みを撫でる。日中、輝く銀色の髪を撫でたくてしかたない。人の姿のセラフィは美しい精霊のようで……柔らかくて……良い匂いがする。  口付けて抱きしめる度に、僕の醜い欲望が高まる。隣にいることだけでは満足できなくなっていく。それでも我慢しなくてはならない。セラフィは貴族の娘だ。呪いが解ければ貴族の世界へと戻って行く。もしかしたら……第二王子と和解して結婚することになるのかもしれない。 「口付けで人間に戻る、か。お伽話みたいだよね」  呪いの進行が止まっているのは間違いない。 『あれだろ。両想いってヤツだろ? 良かったな』 「……テイライド……ちょっと待ってよ。心臓に悪いよ」  いきなり空中にテイライドが現れた。気配は感じていたので、現れたことに驚きはない。それよりも驚いたのは直接的過ぎる言葉だ。 『素直に認めろよ。嬉しいってな。この手の呪いを止めるのは、二人の愛っていうのは定番だろ?』  テイライドの言葉に間違いはない。お互いを真に想い合う男女の愛は、呪いに打ち勝つ力を秘めている。  僕は……確かにセラフィが好きだ。猫の時も好きだと思うし、一生懸命に頑張る彼女の姿も愛おしい。ただ、セラフィが僕を好きだと思ってくれているのかどうかは疑問がある。  セラフィが自分から口付けてくる時には全く抵抗はないのに、僕から口付けると一瞬拒絶するように体を震わせる。単なる魔力の補給源とでも思われているだけではないかと不安になる。 「――〝術式展開〟」  眠るセラフィを膝に乗せ、呪いの紋様を展開する。呪いの核の姿が薄っすらと透ける程度まで解析は出来ている。 『あともう少しだな。何階層目だ?』 「第四百二十六層目だよ。……テイライド……紋様の中に不思議な光景がちらつくんだ」 『不思議な光景?』 「銀髪に紫色の瞳の……セラフィに似てるけど別人の女の子が微笑んでるんだ」 『は? 嬢ちゃんじゃなく、別人? 呪いを掛けた男の思い出の欠片か何かだろ? 若い時の顔じゃないのか?』  テイライドが眉をひそめる。僕もセラフィが少女の頃の顔なのかと疑った。でも違う。セラフィよりも少し年上に見える。 『姉妹はいないって言ってたな。……どんな服装だ?』 「ドレスの時もあれば、神官に似た白い服の時もある」  女性の服の流行なんてわからない。いつも顔に注目してしまうので、服装の詳細は覚えていない。 『一つの可能性としては、この呪いを最初に作り上げた人間の記憶、だな』 「……僕もそう思う。セラフィが似てるのは偶然……なのかな?」 『えらく怖えぇ偶然だな』 『まぁ、大昔に似た女がいても不思議はないんじゃないか?』 「……そうだね」  あれこれと考えても疑問は解消されない。まずはこの呪いを完全解析してからだ。僕は気を取り直して、紋様の読み取りに没頭した。       ◆  朝になってクラウを起こしたのに、口付けの後また深い眠りに落ちてしまった。私が眠っている間に呪いを解析して疲れているのだろう。起こさないように掛け布を整えて、部屋から出た。  畑に水をやった後、私は〝月虹〟の試射を行うことにした。庭を囲む柵の上に、いくつかの薪を置いて距離を取る。ふらりと現れたテイライドが弓用の革手袋を私に手渡し、宙に座って見物している。 「よろしくお願いしますね、〝月虹〟」  白い弓に挨拶をし、矢をつがえて狙いを定める。弓のしなり具合、弦の強さで計算して、矢を放つ。 『おー。すげえな!』  狙い通りに右端の薪に矢が命中した。続けて二本目を放つ。  腕が鈍っていないことに安堵した。幼い頃から続けてきた鍛錬は、多少の空白期間があっても補うことができるらしい。    六本目を放った時、最初に命中していた矢が消えた。 「消えた?」 『矢筒に戻ってるだろ』  テイライドの言葉に驚いて、矢筒に残る矢を数えると確かに戻っていた。通常、矢は回収が必要なのに。この不思議な矢筒は便利以上に価値がある。   「これ程素晴らしい武具が置き去りにされるなんて信じられません」  〝月虹〟は誰も使うことなく二十年以上放置されていたらしい。 『名を持つ武具っていうのはな、使う者を選ぶんだよ。お嬢ちゃんはその弓に選ばれたってことだ』  世界中に使われないままの武具がたくさん眠っているとテイライドが笑う。精霊は武器を必要としないので、見るのが楽しいらしい。 『お嬢ちゃん、矢を二本持つのは何故だ? 放つのは一本だろ?』 「時間短縮の為です。矢筒から一本ずつ取り出すより、早くなります。一度に複数本まとめて放つこともできますが、それでは命中率が下がります」  一本目を放った後、矢筒に手を伸ばす隙に攻撃されることがある。二本目をすぐにつがえれば、敵に隙を見せなくて済む。これは父から習った。  並べた薪をすべて射抜いた時、歓声を上げるテイライドとは別に背後から拍手が起こった。振り返ると、ふにゃりと眠そうな顔でクラウが微笑んでいる。 「クラウ! おはようございます。もっと寝ていなくていいのですか?」  駆け寄って飛びつくと、しっかりと抱き止められた。 「んー。お腹減ったからご飯食べて、もう一回寝ようかなーって」  背中にクラウの腕が回って、猫の時と同じように飛びついてしまったことに気が付いた。貴族女性としてあるまじき振る舞いに、羞恥がじわりと頬に集まる。 「一緒にご飯食べようか、セラフィ」 「はい!」  笑顔のクラウは全く気にしていないようで、安心した私はクラウの胸に頬を寄せた。  クラウが眠っている間、私は化粧水とクリームを作ることにした。テイライドに手伝ってもらって、倉庫から化粧品作りの道具を運ぶ。  瓶や混ぜ合わせる為の大きな陶器の鉢や軽量する為の椀、木べら等、使えるかどうか確認しながら綺麗に洗っていく。 『お嬢ちゃん、神力を持ってるんだろ? 浄化の術なら簡単に綺麗にできるぞ?』 「残念ですが、それ程強い力はないのです」  浄化の術は強い神力を必要とする高度な術。花のつぼみを開かせる程度の力では到底足りない。  瓶や道具を大きな鍋に入れ、煮沸消毒を行う。すべてイネスの帳面に方法が書いてあった。瓶を乾燥させる間に材料を量っていく。天秤ばかりという初めて見る器具の使い方はテイライドが教えてくれた。 『ん? 量が少なすぎじゃねーか?』 「まずは少量を作って、私自身が試しに使ってみようと思っています」  実は香料の一つが足りなかった。後で買いに行こうと思う。  化粧水は加熱することなく分量をきっちりと量って順番通りに混ぜるだけ。注釈には、混ぜる順番を間違えると効果がなくなると書かれている。間違わないようにと確認する作業は気が抜けない。  小さな瓶一つ分の化粧水が完成した。透明に近い液体にごくわずかな白を感じる。底に沈殿する小さな粒が使う間に徐々に溶けて効力を持続させるとあった。  少量を手に伸ばすと、すっと肌に染み込んでいく。さっぱりとした使い心地。匂いが物足りないのは香料が入っていないせいだろう。 「肌が吸い込んでいくようです」 『んー? 俺にはわかんねーなー。精霊だしなー』  これまでにない使い心地の良さに感嘆する。屋敷で使っていた化粧水より遥かに肌が潤う。テイライドも試してみたいと言って、いきなり顔に塗っている。 「次はクリームですね」  クリームは加熱が必要だ。材料を持って、厨房へと移動する。 「湯煎という方法を初めて知りました」  加熱するというのは材料を入れた鍋を直接火にかけるのだと思っていた。鍋でお湯を沸かし、そのお湯でクリームの材料を温めて溶かしていく。 「直接火に掛けた方が早いと思うのですが、それでは効力が無くなってしまうのですね……」  木べらで混ぜる中、溶け残ったひと塊がなかなか溶けない。弱音を吐く私を、テイライドが笑わせてくれるので、気がまぎれる。 『そういや、人間が猫に変化するっていうのは、どういう感じだ?』 「そうですね……言葉にするのはとても難しいのですが……自分がここに存在していると外に示す力が、体の内側へと向かうような感覚で……」 『ん? 何だそりゃ』  言葉で説明するのは難しい。 「あの……その……常に自分は人間だと、他の方に認識して頂く為に外側に向かって示している力があるのです。人間だと主張する透明な皮と言えばいいのでしょうか……その皮が、体の内側へと沈み込んで、それに引き込まれるように体が小さく圧縮された後、包むように別の力が猫の毛皮で覆うのです」 『さっぱりわかんねーな』  テイライドが苦笑する。確かに私も説明しようがない。感覚は理解していても、的確に示す言葉がない。 『ま、それだけわかってんなら、自分の意思で変身を調節することもできるんじゃないか?』 「いつでも猫に変身できるようになるということですか?」 『ああ』 「それは……何か意味のあることなのでしょうか」 『意味なんてねーぞ。人間が好きな時に猫になれたら面白そうだって思うだけだ。お、そろそろ全部溶けたんじゃねーか?』 「あ。そうですね。綺麗に溶けました」  小鍋の中のクリームは完全に透明な液体へと変わった。  湯煎から外して残りの材料を加える。木べらで混ぜながら温度を下げていくと、少しずつ粘度が増して白く色づく。消毒した広口の瓶に注ぎ、軽く底を叩いて空気を抜く。 「本当に説明通りですね」  詳細まで記録されているから、初めて作る私でも再現することが出来ている。イネスは趣味で化粧品を作っていて、気が向いたらジルの店に納品していたと聞いた。  冷えると半透明の白いクリームが完成した。こちらも香料が足りないので、匂いは物足りない。ほんの少し手に取って伸ばすと最初はべたついて、少し待つと肌に馴染んだ。  先に完成していた化粧水を顔に付け、クリームを塗ると肌が潤う。手に吸い付くようで、自分が触っていても心地いい。クラウも喜んでくれるだろうかと考えて、自分の思考に驚く。  人に戻ってから、頭の中はクラウのことばかり。貴族女性のたしなみも常識も忘れ、猫でいた頃のように接してしまう。これではいけないと思うのに、クラウの笑顔を見ると嬉しくて心が躍る。クラウに口付けられる度に、胸が高鳴る。  今の私は、セブリオ王子に対する愛とは全く違う感情に突き動かされている。自分の行動の理由が全く説明できない。クラウに対するこの感情も愛と言っていいのだろうか。  ……クラウは私のことをどう思っているのだろう。ふと考えて心が惑う。  それを聞いて確認してどうするのか。辺境伯の娘である私は、クラウとは結婚できない。どんなに好きだと思っても、私には貴族としての義務がある。呪いが解ければ、屋敷に戻って誰かに嫁ぐしかない。 「……呪いが解けても、猫のままならここに置いて頂けるでしょうか……」 『は? お嬢ちゃん、何言ってんだ?』 「テイライド、変身する術を私に教えて下さい」 『いや、俺に言われてもな。お嬢ちゃんの努力次第だと思うぞ』 「努力します」   『あー、まぁ、面白そうだから、やってみるか』  そうして私は、クラウに隠れて自分の意思で猫に変身する術を練習し始めた。
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