第18話 未来へと続く物語

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第18話 未来へと続く物語

 窓の外、空に浮かぶ緑の月と赤い月を見ながら、徐々に明るくなっていく夜空を見ていた。  僕がずっと考えていたことをセラフィは見透かしていた。  呪いが解けたセラフィを辺境伯の屋敷へ送り届けて彼女の記憶を消し、僕は一人でこの家に戻ってくるつもりだった。  王の血筋だとしても、ただの魔術師では辺境伯の娘には釣り合わない。指輪一つで贖えるものでもない。実績も身分も足りないものが多すぎる。だから遠くでセラフィの幸せを祈る。何かあれば助けに行く。それでいいと抱く直前までは思っていた。  今は腕の中で眠るセラフィの温かさを感じながら、どうやって結婚しようかと考え続けている。  愛する彼女と離れることなんて、できない。一生一緒にいたい。それが本当の僕の願いだ。  濃い銀色の長いまつ毛が微かに動いた。ゆっくりと、澄んだ紫色の瞳が現れる。 「おはよう、セラフィ」 「おはようございます、クラウ」  僕がセラフィより先に起きていたのは久しぶりだ。ここの所、セラフィに起こされるのが毎日の始まりだった。  深く口づけると、びくりとセラフィの体が震える。昨日、数えきれないほど口付けてようやくわかったのは、これは僕を拒絶しているのではなく、快感を覚えているからだ。 「……セラフィ、体は大丈夫? 痛みはない?」 「あの……クラウ……痛みはありませんが……その……異物感が……あります」  可愛いセラフィが恥ずかしがりながら説明する表情に、僕は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。すぐにも始めたい衝動を抑えて、赤く染まった頬に口付ける。 「今日はベッドで休んでいていいよ」  僕が落ち着く為にも温かいスープでも作ろうと体を離すと、セラフィも起き上がろうとする。 「大丈夫です。痛くないので動けます」 「セラフィ。僕はね、役に立つから君を好きになったんじゃないんだ。一生懸命頑張る姿が食べちゃいたいくらいに可愛いって思ってるけど、無理はしなくていい。僕にもっと甘えてよ」 「私は……大好きなクラウに何かしてあげたいと思うのです。甘えるというのがよくわからないのですが、私はクラウに頼り切っていると思います」  セラフィの可愛い言葉に僕は胸を射抜かれたような気がした。可愛いと叫んで今すぐ襲い掛かりたい衝動を堪えて、僕はなるべく優しい男を装う。 「可愛いセラフィ。今日は動かなくていいから、全部僕にまかせて」  自分の醜い衝動を心の中で抑え込み、そっと柔らかな頬に口づける。いつまでこのやせ我慢が続けられるか自信はないけど、セラフィの為に限界まで耐えてみようと思う。 「はい。お願いします、クラウ」  僕を信頼しきった顔で微笑むセラフィの攻撃力は思いの外高い。すぐにも壊れそうな理性を、僕は必死でかき集めるしかなかった。       ◆  数日後、白い鳥の姿の光の精霊が美しい箱を届けにきた。 「うーん。立派な手紙だなぁ」  箱の中には大きな封筒。顔程もある大きさで上質な厚い紙で出来ている。クラウが神力で封をされた封筒を開くと、中身は王からの手紙と書類だった。 「王命の時は使者がきて告知を行うはずですが、その手紙には何が書かれているのですか?」  セブリオ王子との婚約の際には、王城から豪華な馬車で使者がやってきた。 「この国専属の魔術師になって欲しいって書かれてる。推薦してくれたのは神官長や宰相だ。これまで僕が解呪してきた功績に敬意を表するって」 「どうするのですか?」 「受けるよ。これで僕も王命なんてなくても、セラフィに正式に求婚できる」 「正式に?」 「一代限りだけど公爵の位がもらえる。領地はないけど王から毎年報奨金が支払われるんだって」  クラウが目を通している書類の束には、細々とした事項がびっしりと書かれている。 「専属なら、王城に住むことになるのですか?」 「特に何も無ければ、年に数回の公式行事に顔を見せるだけでいいらしいよ。住まいは変えなくていいって書いてある」  この家から出なくていいことに安堵すると同時に、王城で毎日セブリオ王子と顔を合わせることにならなくてよかったと思う。公式行事に参加する程度なら我慢できるだろう。 「いろいろ忙しくなるなぁ」  書類に目を通したクラウが、眉を下げてふにゃりと苦笑する。 「無理はなさらないで下さい。爵位がなくても王命があれば結婚できます」  黒金のロングコートを着たクラウはとても素敵だと思う。魔法を行使する際の別人のように静かな笑みを浮かべる表情も胸がときめく。でも一番好きなのは、こうして家でお茶を飲みながらくつろぐ姿。 「セラフィが僕と結婚したら、セラフィは貴族の生活を全部捨てるのに、僕は少しの自由を捨てるだけだ」  そのぐらい、どうってことはないよとクラウは笑う。  嬉しくなって頬ずりすれば、膝の上に乗せられて抱きしめられる。 「セラフィは可愛いなぁ」  そっと口づけられれば、くすぐったい。 「クラウは素敵です」 「ん。(あるじ)のご期待に添えるように、従者としては頑張らないとね」   クラウは私が知らない間に、魔法で主従関係を結んでいた。私が名前を呼べば、強固な結界内だろうと、どんなに遠くても、どこにでも現れることができるらしい。 「私が主というのは、不自然ではありませんか?」 「そんなことないよ。セラフィは僕のたった一人の女神さまだ。僕は全力で護りたいからね」  そう言って口付けられると、この主従関係を受け入れたくなってしまうのだから不思議。 「いつでも僕の名前を呼んでいいよ。寂しくなったり悲しくなった時でもいい」 「一緒にいれば、その必要はありません」  クラウと一緒なら、大丈夫だと心から思う。 「そろそろご飯作ろうか」 「はい。作りましょう」  いつかは料理を一人で作ってみたいと思うものの、化粧品作りと違って、手順が良くわからないのでまだ慣れない。……そうだ。町で料理の本を買い求めよう。こっそり練習して、クラウに美味しい料理を食べてもらおうと私は思いついた。 「セラフィ? どうしたの?」 「今日の献立は何だろうと、楽しみなのです」 「そうだね。セラフィの好きな卵料理にするつもりだよ」  卵料理と聞いて嬉しくなる。クラウが作るふわふわの卵はとても美味しい。 「今日は私も挑戦してみていいですか?」  少し苦手に思える料理も頑張ってみよう。私はクラウに微笑みかけた。         ◆  正式にこの国の専属魔術師となり爵位を受けた僕は、ついに辺境伯の屋敷にやってきた。優雅な意匠(デザイン)の王城と違い、黒い石で造られた壁で囲まれた要塞のような建物だ。四方と中央には塔があり、門の前に立つだけでその大きさに圧倒される。  どことなく昔読んだ童話に出てくる魔王の城を連想させるのは気のせいだろうか。  アメジスト色のドレスを着たセラフィの姿を見て、警備に立つ兵たちが挙手の敬礼を一斉に行う姿は壮観だ。内心、びくびくしているのは隠さなければならない。セラフィに格好悪いところは見せたくない。全力で平静を装いながら、セラフィと共に歩く。  門をくぐり広場を歩き、ようやく玄関までたどり着いた。兵によって扉が開かれると、赤い絨毯が敷き詰められた玄関ホール。ホールの壁際には一定間隔で槍を持った兵が立ち、中央には金髪碧眼の強面の3人の男たちと銀髪に緑の瞳の女性が待っていた。 「セラフィナ!」  歓喜の声を上げ、一際体格の良い男が走り寄ってくる。セラフィの父だ。セラフィを抱きしめようとしたのに、さっとセラフィにかわされて宙を抱く。 「お父様。いい加減に学んでくださいませ。貴方の娘はその挨拶を嫌がっております」 「おお、セラフィナ。以前と全く変わらぬようで安心したぞ」  がははと大声で笑う姿は、セラフィにかわされたことを全く気にしていないようだ。  セラフィナは作法通りに、母の方へと挨拶に向かう。僕は当主の辺境伯に挨拶しなければならない。 「娘の呪いを解いて下さったこと、感謝しておりますぞ」  握手を求められて手を差し出すと、ぎりぎりと力を込めて握られる。僕も力いっぱい握り返す。魔法で力を少し増強しているのは秘密だ。  二人で不自然な笑顔のまま、全力の握手を交わす。 「ほう。魔術師殿は、気骨のあるお方のようだ」  辺境伯の手の力が緩み、握手が終わった。……もう帰りたい。 「で、今日は何のお話ですかな」  その言葉で僕は気持ちを切り替えた。そう。ここからが本当の目的だ。 「ルシエンテス家のご息女、セラフィナ嬢へ求婚に参りました」  背筋を伸ばし貴族の作法通りの言葉を紡ぐと、壁際に控える兵たちがざわついた。 「クラウ! 左上!」  セラフィの叫びと同時に、左上からセラフィの長兄の拳が飛んできた。何とかぎりぎりで避けて、腕で受け流して投げ飛ばす。 「右下!」  長兄を投げ飛ばした後の不自然な体勢のまま、次は右下から次兄の蹴りが襲って来る。左肘で止めて、脚をすくい上げて転倒させる。 「正面!」  今度は正面から辺境伯の拳が迫る。かろうじて避けて腕をがっちりと掴む。 「ほう。我々の連携攻撃をすべてかわすとは……」  辺境伯がぎりぎりと歯噛みする音が響く。腕を掴んでいるので顔が近い。はっきり言って迫力がありすぎて怖い。怖すぎる。  辺境伯の目線が腕を掴む僕の右手の指輪に向かう。一瞬息を飲んだ辺境伯が、僕の瞳を真正面から見つめた。 「……わかった。認めよう」  辺境伯の一言で僕の力が抜けた。辺境伯の腕を解放し、気が遠くなりそうになった所でセラフィが飛びついてきたのを抱き止める。 「クラウ! 無事で良かった!」  事前に説明は受けていても、本当に問答無用で殴りかかられるとは思っていなかった。  どうやら第二王子と婚約する前は、セラフィへの求婚者たちをすべてこの三人が倒していたらしい。セラフィが行き遅れていた原因がよくわかった。  正式な求婚の手順を踏み、セラフィと僕は婚約することができた。セラフィは王家の血筋なので結婚式は半年後に王城で行われることになると聞いて内心緊張する。これからの準備を思うとあっと言う間に半年は過ぎてしまうだろう。 「セラフィナを泣かせたら容赦しないからな! 我が息子よ!」  強面の辺境伯が僕の肩に手を乗せる。口調は激しくても、その瞳は優しい。 「必ず幸せにしてみせます。お義父(とう)さん」  素直に父という言葉が出てきた。辺境伯が豪快な笑顔を見せて、僕の背を叩く。地味に……というよりかなり痛い。  セラフィと一緒にいられる幸せを、僕は絶対に手放したりしないと心に誓った。あの時、正直に自分の気持ちを言えばよかった、何かをしておけばよかったなんていう後悔はしたくない。  先代の王とフィデル、二人の男が残してくれた教訓を僕は一生忘れることはないだろう。       ◆  屋敷の玄関前で私は父母に挨拶をしていた。クラウは先に出て門の手前で待っている。私が遠慮することなく、家族と話せるようにという気遣いなのだろう。 「それでは、お父様、お母様。また参ります」  これからは婚礼の準備が始まる。セブリオ王子との婚礼の為に用意していた物はすべて処分して、何もかも新しくしようとクラウが言ってくれているので、嬉しくて仕方ない。 「セラフィナ、とても楽しいようね」  母が微笑み、強面の父は無言で涙を流している。父も兄たちも私のことになるとすぐに涙を流す。嬉しくても悲しくても泣くので、初めて見る人には不気味だと思われているのではないかと心配していた。  クラウはそんな父と兄を見ても動じない。私のことを大事に思ってくれている、いい家族だねと微笑んでくれたので安心している。 「ええ、お母様。毎日がとても楽しいのです」  貴族ではない自由を知ってしまった今、決まり事の多い窮屈な生活には戻れない。風変りな魔術師との生活は毎日が輝いている。 「今の貴女を見て〝辺境の氷雪姫〟と呼ぶ者はもういないでしょう。……幸せになってね」  もしかしたら、母はこうなることを予想してクラウに私を預けたのかもしれない。 「はい。クラウと一緒に幸せになります!」  私はクラウに向かって走り出す。久しぶりに着たドレスは窮屈で、思うようには動けない。私はテイライドに習った術を使った。  ドレスがふわりと地面に落ちるのも構わずに、私はクラウに向かって飛びつく。 「ええええっ!? セラフィ!?」  白猫になった私を抱き止めたクラウの慌てる顔が可笑しい。 『私の神力を使って、猫に変身することを覚えました。元にもちゃんと戻れます』  頬を寄せてクラウに囁く。〝月虹〟を所有したことで私の神力が増幅され、強力になっている。魔術師であるクラウの足手まといにはなりたくない。自信を持って隣を歩きたいと思う。 「はー。驚いたよ」  安堵の息を吐くクラウは大袈裟で笑ってしまう。左肩にそっと乗せられると安定した。クラウの笑顔を見ていると、私たちを取り巻く世界のすべてが輝いているように思えて嬉しくなる。いつも一緒に笑っていたい。  振り向くと母は笑いながら手を振り、父は驚いている。クラウが手を、私はしっぽを振って応える。 「よし。僕たちの家に帰ろうか」 『はい。一緒に帰りましょう』  二人で帰ろう。居心地の良い、私たちの家へ。  いつも楽しく笑って過ごせる、素敵なあの家へ。
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