番外・残されたもの

1/1

126人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ

番外・残されたもの

 婚約をして半月が経った私たちは、結婚式の準備に忙しくはしていても、他はいつもと変わらない日常を過ごしている。今日もジルの店に化粧品を納品した後、私とクラウは町で買い物を楽しんでいた。 「クラウ、あとは卵ですね」 「そうだね。卵を買う前に、果物を買おうか」 「はい。糖蜜柑はもう旬を過ぎてしまったでしょうか」  糖蜜柑は、赤紫色の皮に赤い果実が包まれた甘くて美味しい柑橘類。 「うーん。ぎりぎりってとこかな。干したものならあると思うよ。そろそろ黄葡萄も美味しいよ」   「黄葡萄? 聞いたことがありません」 「黄ワインの材料になる葡萄なんだ。隣町の特産なんだけど、新鮮な実も酸味があって美味しいよ。皮も種も食べられるんだ」 「それは楽しみです。黄ワインは以前飲んだことがありますが、果実感豊かな風味が印象に残っています」 「そうなんだ。僕はあんまりお酒飲んだことなかったからなー。買って帰ろうか」  クラウはイネスの体質を受け継いでいるのか、お酒をどれだけ飲んでも深く酔うことがないと先日、屋敷で行われた晩餐会で判明した。  父の一方的な誘いによる飲み比べは深夜まで及び、父の敗北に終わった。私も母も兄たちも父より飲む人間を見たことがなく、酔いつぶれた父を寝室に軽々と運んだクラウを皆が口を開けて見ていたのが記憶に新しい。 「先に酒屋に行こう」  クラウと手を繋ぎ、人の多い大通りへと向かう。賑やかな町の雑踏は、様々な服装の人々が歩いていて興味深い。店頭に並ぶ色鮮やかな商品も目を引く。歩きながらも視線があちこちへと向かってしまう。 「セラフィ、足元に気を付けて」  クラウの言葉に地面を見ると、石畳に水たまりが出来ていた。雨は降っていないから、砂埃を抑える為に水を撒いたのかもしれない。 「跳んでみる?」  優しく微笑むクラウの手を支えにして、小さな水たまりを跳び越える。たった一歩の些細な冒険が心を浮き立たせて楽しい。 「跳べました!」  笑うクラウと一緒にいれば、出来ないことは何もないのではないかと思う。嬉しくて腕にしがみ付くと、クラウが顔を赤くする。    人通りの中、ふらふらと歩いていた橙色の髪の十歳前後の少年が突然倒れた。 「きゃぁあああ!」 「おい! 誰か医術師呼んで来い!」  少年の周囲からは人が引いて行く。こうして唐突に倒れた場合、感染する病気であることが多いので普通は助けに行く者はいない。 「セラフィ、ここで待ってて」 「いえ、私も行きます。浄化の術が必要でしょう」  人をかき分け、うつ伏せに倒れた少年のそばで膝を着く。クラウが手をかざして呪文を唱えようとした時、少年が顔を上げた。伸びた橙色の前髪の間から、綺麗な紅い瞳が覗いている。 「……腹減った……」  ぐきゅるるるるという大きな音を立てて少年のお腹が鳴った。周囲で息を飲んで見つめていた人たちの力が抜け、苦笑と安堵の声が広がる。 「僕が驕るから、何か食べに行こうか」  同じく苦笑するクラウが少年を抱き上げた。  町の食堂に入って、何かお腹に優しい料理をと勧める前に少年は次々と料理を注文していく。 「……クラウ、止めた方がいいのではないですか?」  クラウの耳に囁く。細い少年の胃に入る量だとは思えない。 「食べたいって思うなら、食べた方がいいと思うよ。自分が食べられる量はわかってるみたいだからね」  クラウの言う通りだった。女神に食事の祈りを捧げた少年は、次々とテーブルに置かれた料理を空にしていく。  すぐに出されたパンと具沢山のスープから始まり、焼かれた肉や卵料理、肉の煮込み、魚のチーズ焼き等々、八人分の料理が目の前で消えていく。野菜も食べた方がいいのではないかと思いながらも、その勢いに口がはさめない。 「はー。生き返ったー! ありがとうございます!」  少年の表情は輝き、明るい笑顔を見せる。以前、クラウが魔力回復の為に取った食事方法に似ていると思い出した。 「そろそろ君の名前を聞いてもいいかな? 僕はクラウディオ。彼女はセラフィ」  クラウが苦笑しながら麦酒を口にする。苦い麦酒が苦手な私は、甘い果実酒を炭酸水で割ったものを飲んでいる。クラウが名字を口にしなかったのは、一般国民には名字がないので不要な詮索を避ける為とわかる。偶然の出会いとはいえ、警戒しているのだろう。 「俺はジュスト。……神殿で小間使いをしてたんだ。神官のフィデルが突然いなくなって……ずっと待ってたんだけど、帰ってこなくて」  ジュストが大きな溜息を吐き、クラウと私は顔を見合わせた。フィデルが消えて、すっかり解決したと思っていたので神殿に誰かがいるとは思いもよらなかった。 「結婚式をしたいとか、説話が聞きたいとか、告解したいって言われても、俺みたいな子供じゃ格好つかないし。神力はあっても資格はないし」  隣町の神殿へ案内するしかなかったと、ジュストがまた溜息を吐く。 「今まで、神殿にいたんだ?」 「うん。貯蔵してた芋とか聖別した魔物の肉とか食べて凌いでたんだけど、三日前に尽きて、それ以降は水だけ飲んでた」  フィデルが消えてから二カ月が経っている。この少年はたった一人で生活していたのか。 「あー、食べちゃったのか。魔物の肉を売れば、結構なお金になったはずだよ?」  クラウが苦笑する。 「俺みたいな子供が魔物の肉持って行っても買ってくれるところなんてないよ。魔物の爪とか皮もあるけど、偽物と思われるだけだ」  小さな子供にしては、考え方がしっかりしている。 「……フィデルがいなくなる直前に、半年分の給金として結構な金額をもらったんだけど、ほとんど全額を仕送りしたから手元に金が無かった。……故郷に八人弟と妹がいるから、送り返してくれなんて口が裂けても言えないし。少し前から仕事ないかなって町で探してるんだけど、俺の年齢と……この目の色が嫌がられてさー」  そう言って橙色の前髪を手で上げると紅い瞳と濃い橙色の眉毛が露出する。意思の強そうな凛々しい顔。紅い瞳は、強い魔力か神力を持つ証と言われている。女神に食事の祈りを捧げたジュストは神力を持っているのだろう。 「フィデルは……昔から好きだった女性と旅に出たよ。もう戻ってこないと思う」  クラウの優しい言葉は嘘であり、真実でもある。女神の世界へ旅立った二人は、もう戻っては来ない。 「そっか。そんな気はしてたんだ。夜になると白い月ばかり見てて、誰かのことを思い出してるんだろうなって思ってた」  深い溜息と共に見せる苦笑は、どこか大人じみていて寂しさを漂わせる。  「ジュストは神殿で何してたんだ?」 「神官の見習い試験の勉強と、掃除とか洗濯とか。あとはいろんな物の聖別とか浄化もやってた。全部フィデルが教えてくれたんだ」  成程。神力を魔力に替えたフィデルは、この少年に指示をして神官の業務を行っていたのか。  フィデルに神力が無かったと知った後、魔物の肉はどうやって聖別されていたのか疑問はあった。食べた私たちに異常はなかったし、テイライドも聖別されていたと言っていたので、何か方法があったのだろうと思っていた。 「ジュスト、君はこれから、どうしたい?」 「……このままあの神殿にいたい。あと半年……十一歳になれば見習い試験が受けられる。俺はフィデルみたいな優しくて立派な神官になりたいんだ」  ジュストの紅い瞳は、憧憬に満ちている。フィデルは本当は優しくて立派な人だったのだろう。愛する王女を失ったことで狂ってしまった可哀想な人だった。 「わかった。えーっと、何か食べるものとか必要なもの買ってから、神殿に行こうか」 「……俺、金持ってないよ」 「魔物の爪とか皮があるんだろ? 僕が買い取るよ」 「普通の人が扱える物じゃないよ」 「ああ、僕は魔術師なんだ」 「え? 魔術師? ローブは?」  ジュストが目を丸くする。確かにクラウは普通の服を着ているから、魔術師と言われなければわからない。  食堂を出た私たちは町で食料品を追加で買い求め、神殿へと向かった。  神殿の裏口へと案内されて、私は緊張する。木の扉を開くと壁の棚にはフィデルが買った数冊の本が置かれたままで、どこか物悲しい空気が漂う。 「……帰ってこないかなって思って、そのままにしてたんだ。後で図書室へ持っていくよ」  ジュストに燭台を手渡されて、緊張感が増す。あの時と同じ。震えそうな肩をクラウの温かい手が包んで、私の力が抜けていく。そうだ、今日はクラウがいるから、何も心配することはない。 「魔法灯はないのかな?」 「あるよ。フィデルが魔法灯が苦手だっていうから、点けてないだけ。魔法石を補充すれば点くと思う」  そう言ってジュストが指さす天井には、珍しい埋め込み式の魔法灯が取り付けられている。  湾曲していた廊下はまっすぐで、壁は明るい色。あの時と同じろうそくの火で照らしても、雰囲気は全く違っていた。魔法で空間が歪められていたのだろうか。 「フィデルの部屋、見せてもらえるかな」 「いいよ。居室は二階にあるんだ」  裏口のすぐ近く、飴色のしっかりとした木で作られた階段を上ると狭い廊下にずらりと扉が並んでいる。 「この神殿の規模だと本当は十人から二十人の神官と見習いがいないと運営できないって聞いてる。ここは中央神殿から遠いから、誰も来たがらなかったんだって」 「フィデル、開けるよ」  ジュストは誰もいないとわかっているのに、扉を叩いて声を掛けた。  狭い部屋の中には小さなベッドに書き物机、壁に埋め込まれたクローゼット。きっちりと整えられていて、ほとんど何もない。机の上に置かれた小さな花瓶には、枯れた薔薇が一輪残されていた。 「……フィデルは白い薔薇が好きだったみたいなんだ。いつも一輪だけ飾ってた」 「机の中は確認した?」 「ううん。フィデルの物を勝手に触れないから、俺は表側を掃除するだけだ」  「……確認していいかな」 「いいよ。どうぞ」  ジュストと私が見守る中、クラウが机の引き出しやクローゼットの中、ベッドの隙間や壁を確認していく。手紙や日記は残ってはいなかった。少々のお金と、ありふれた便箋やペン、衣類が少し。神官の証明書は別室にあり、購入した本を読んだ後はすべて図書室の棚へ並べていたという。 「……フィデルは、あの時に旅立つと決めていらっしゃったのですね」  おそらく彼は死ぬつもりだったというクラウの推測は当たっていた。自分に関する物をすべて処分して、この世界から消えるつもりだったのだろう。  続いて案内された聖堂の天井は高く、白い石で出来ていた。清々しい空気に満たされていて心地良い。そう、これが慣れ親しんだ本来の聖堂だ。清浄な女神の力が満ちているような気がする。  正面の扉からまっすぐに伸びた通路。奥の高い場所に女神の姿が彫られたレリーフが掲げられ、通路を挟むように石で出来た長椅子が列になっている。五百名は座ることができそうな広い空間。 「ここにいた前の神官が酷かったみたいで、人はあんまり来なかったな……。フィデルと俺が前にいた神殿では、毎朝フィデルの説話を聞きに来る人で溢れてたんだ。人気があったのに、何でこんな寂れた神殿に来たのかって思ってた」  ジュストが女神のレリーフを見上げる。その紅い瞳は何を見てきたのだろう。 「フィデルが好きな人と旅に出たんなら、良かったなって思うよ。本当はフィデルは説話が苦手だったんじゃないかって、人と関わるのが嫌だったんじゃないかなって…………無理して笑ってたのかなって、最近思うんだ」  多くの人に慕われて求められることが重荷だったのではないかという、ジュストの考察が胸に痛い。  神官として見せる表の自分と、裏では人の命を集める自分。王女を生き返らせたいという願いがあったとしても、その差異に心を痛めていたのかもしれない。  聖堂の他、祈りの泉や神殿の設備を一通り確認した。 「問題なさそうだね。すぐに神官長に新しい神官を派遣してもらえるように連絡するよ」  「神官長に連絡? ……あんた一体、何者なんだ?」 「ああ、僕はこの国の専属魔術師なんだ」 「は? 何だそれ。そんな偉いヤツがなんでこんな寂れた町にいるんだ?」  クラウがふにゃりした笑顔を見せると、ジュストが混乱した声を上げた。 「僕もフィデルと同じだよ。多くの人と関わるのが苦手なんだ。だから普段は森に引きこもってる」 「……そっか」  ジュストが納得したような表情で答える。  神官の執務室に保管されていた黒色輪熊の毛皮と爪をクラウは正規の金額で買い取ると言った。それはおそらくクラウが納めた物。 「……できたら、金貨じゃなくて銀貨と銅貨でお願いしてもいいかな」  自分のような子供が金貨を持っていると知られたら、狙われてしまうとジュストが言う。そういった身を護る術もフィデルが教えてくれたらしい。 「ん。わかった。銅貨を多めにしとくよ」  クラウがぱちりと指を鳴らすとテーブルの上に山のような硬貨が積み上がる。 「うわ。多すぎないか?」 「正規の値段しか払ってないよ。新しい神官が来るまでのジュストの生活費と、残りは神殿の維持費に使えばいい」 「…………いろいろありがとう」 「お礼は要らないよ。フィデルが旅立つのを見送ったのに、後処理をすっかり忘れてた僕が悪いんだ」  困り顔になったクラウが、ジュストの肩に手を置く。クラウも私も〝黒い森〟の中の建物の確認と封印処理だけで、町の神殿のことは全く忘れていた。また様子を見に来ると約束して、私たちは家路へと着いた。       ◆ 「はー。神殿って緊張するなぁ」  森の家に戻った途端に、クラウが深く息を吐いて私を抱きしめる。 「緊張していたのですか?」  クラウのことなのに全く気が付かなかった。少し寂しい。 「セラフィに格好悪い所は見せたくないから頑張ってたんだ。褒めてくれると嬉しいな」  クラウが頬を寄せてきたので、軽く口付けてから頬を重ねる。 「頑張らなくてもいいです。私はもっとクラウのことを知りたいと思います」 「男はね、見栄を張ってでも頑張りたい時があるっていうのだけ覚えててくれたらいいよ。それで後で褒めてもらえるとまた頑張れる」  そう言われてもよくわからない。 「わからないことだらけです」 「全部わかっちゃったら、きっと楽しみが減っちゃうよ。さて、お手紙書かなきゃね」  私はクラウをすべて理解したいと思っているのに、クラウは話をはぐらかしてしまった。  クラウは神官長に手紙を書いて、光の精霊に託した。 「んー。あの神殿に来る神官が見つかればいいんだけどね。あと、ジュストが信頼できるような人がいい」  クラウの言う通りだと思う。あの少年を導くことができる神官が着任して欲しいと思う。 「そういえば……あの白い薔薇には何か意味があったのでしょうか」  フィデルが残したものといえば、あの枯れた薔薇だけだ。 「〝白猫の呪い〟の手順に、白い薔薇を七本食べるっていうのがあるんだ。その意味は分からないままだけど、あの呪いは深く深く誰かを愛する者でなければ発動させることができない。白い薔薇にはフィデルと王女との思い出か何かがあったんじゃないかな」  術を作る際には、自分が心に留めているものを加えてしまうことがあるとクラウが説明してくれた。  唐突に空に雲が広がり、強い夕立が窓を叩いた。 「テイライドは今夜も夕食に来ないですね」  雨が降ると水の精霊テイライドは喜んで出掛けていく。夕立のあった日には、翌朝まで顔を見せない。 「どちらに出掛けているのでしょうか」 「いつも楽しそうだから、きっと秘密の場所なんだよ。恋人がいるのかもしれないよ」  人差し指を口元にあてて微笑むクラウも楽しそうだ。  何でもすべてを知る必要はない。あやふやなままにしておくこともあった方が、いろいろと想像できて楽しいかもしれないと、私はようやく気が付いた。 「そうですね。秘密はそっとしておきましょう」  今夜は二人きり。私はクラウに深く口付けた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

126人が本棚に入れています
本棚に追加