第1話 美しい魔術師

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第1話 美しい魔術師

 私は、白猫になってしまった。  着ていたドレスの山に埋もれて周囲の状況が見えないけれど、元婚約者の第二王子が狂ったように笑っているのは聞こえている。 「僕はちょっと誘いに乗っただけだ! たかが一度の行為で婚約破棄! 僕は王位継承権を取り上げられた!」 「君は酷い女だ。彼女はあの綺麗な髪を切られて神殿送りだ。もう二度と外には出て来れない。そこまでする必要はあるか? 少し遊んだだけじゃないか!」  王子の叫びは私への非難に満ちている。……私は王子との婚約破棄を父に願っただけで、王子や令嬢に対する罰を願った訳ではない。すべて王が決めた処罰。 「そもそも行き遅れの君と結婚してやるだけでも感謝されるべきで、多少の女遊びは許されるはずだ!」  呪いが成功したと言って笑う王子は、私の家が王から最重要視されていることを理解していないのだろうか。だとすれば、王位継承権を剥奪されるのも仕方のないこと。  私はセラフィナ・ルシエンテス。事情があって二十五歳になる今も一度も結婚していない。父は国境を護る辺境伯。母は先代の王の娘であり、現王の異母妹。  ルシエンテス家は、広大な領地収入の二割を軍事費とし、万が一の事態に常に備えている。王家すらその軍事力を恐れているというのに。  第二王子と私の婚姻は、国の結束を強める為。王子はそんな簡単なことすら理解していなかったようだ。  ……だから気軽に私を裏切ったのか。私は溜息を吐いた。長らく続いている国の平和は、私の家が護っていると言っても過言ではないけれど、人は平和が続きすぎると危機感が無くなってしまうらしい。  レースとフリルの山を猫の手でかき分けながら、私は一月(ひとつき)前のことを思い出していた――。  結婚式を半年後に控えて準備が進められる中、第二王子が若い女性と逢瀬を重ねているという噂が王城に蔓延していた。  私は自分の目で噂を確かめる為に、事前連絡なしで王城へと乗り込んだ。制止しようとする侍女や騎士たちを視線だけで黙らせて、王子の寝室の扉を自分で開けた。  金髪碧眼の王子は情事の真っ最中だった。男性の裸は領地の軍事訓練で見慣れている。特に羞恥を感じることはない。 「セブリオ様、その方は?」  私は努めて静かに問いかける。 「いや、その……」  王子が言葉を濁した瞬間、私の愛が死んだ。いっそのこと愛人宣言でもしてくれれば、私も納得したかもしれない。王族や貴族が愛人を持つことはよくある話。  王子の下で怯えた表情を見せているのは、レンドン男爵家の娘、タミラ。淡い緑の髪、深い緑の瞳の清楚な容姿。夜会には滅多に出ることは無く、舞踏会でも控えめに微笑む姿が貴族男性に評判が良いと聞いている。  今は怯えた表情を見せているけれど、私が扉を開けた際に見せた、一瞬の勝ち誇った表情は忘れない――。  ようやくドレスの山から顔を出した時、私の護衛たちに王子が連れ出される所だった。声を上げて笑い続けている王子は、気が違ってしまったのかもしれない。  深く深く愛していた筈なのに、愛が死んだ瞬間から、私の心には王子への関心が一切ない。私はただ、深い溜息を吐いた。  私が紫の瞳の白猫になってから、屋敷の中は酷く混乱した。  私を溺愛していた強面の父と兄たちが涙を流し、王と王妃が蒼白になって遠い王城から謝罪に訪れた。  おろおろとするだけの男たちを横目に、私の母が莫大な懸賞金を掛けて解呪の方法を募集した。国中の魔術師や魔女、神官を呼び、様々な解呪を試したものの、全く上手くいかなかった。 「これはとても古い呪いです。〝黒い森〟に住む魔術師なら、この呪いを解けるかもしれません」  高名な神官長の言葉に、父母はすぐに小隊五十名の兵を引き連れて、〝黒い森〟へと向かった。  〝黒い森〟は魔物が多数生息する森。誰も住むはずのない場所に、その魔術師は住んでいる。魔術師の家は、ベージュのレンガで深緑の屋根。小さくて可愛らしい二階建ての建物だった。あちこちをツタが覆っている。  母は私を腕に抱き、自ら木の扉を叩いた。 「何か?」  扉を開けたのは、黒いローブを纏い、フードを目深に被った背の高い男だった。後ろに控える兵を一瞥し、溜息を吐いて父母を家に入れた。  薄暗い室内には、暗い魔法灯(ランプ)が二つ。小さなテーブルに椅子が二つ。魔術師は椅子にどうぞと勧めたけれど、座ったのは母だけで、父は壁際に立っている。空いた椅子に魔術師が腰かけた。 「娘のセラフィナが呪いで猫にされてしまいました」  母はそう言って、腕に抱いていた私を魔術師に示す。 「猫。ですか」  黒いフードを被ったままの魔術師が溜息を吐く。 「呪いの解除は専門外なのです。頼む先をお間違いではないですか?」 「国中全ての魔術師と魔女、神官に頼みましたが、解呪できませんでした。もう、貴方しかいないのです。お願いします」  母が魔術師に深く頭を下げた。これまで、王以外に頭を下げたことのない父までも、母につられて頭を下げた。驚くと同時に、私は申し訳なくなった。 「……この呪いは、猫になるだけではないのです。掛けられてから一年以内に解けなければ死ぬ呪いなのです」  母の言葉に、父が目を見開いた。私も聞いたことがなかった。 「〝白猫の呪い〟というのは、王家に昔から伝わるものです。単なるおとぎ話なのだと思っていましたし、誰も試す者はいなかった……」  母は先代の王の娘、元王女。 「呪いを掛けた者はどうなるのですか?」  魔術師が問いかける。 「呪いを掛けた相手と同時に一年後に死にます。ですから、〝心中の呪い〟とも言われていました」  母の声が震えている。私は驚いた。セブリオ王子は私と一緒に死ぬつもりでこの呪いを掛けたのか。 「お願いです! 元の姿に戻れなくとも、猫のままでも構いません! 死なないで、生き延びてくれれば、それだけでもいいのです!」 「おい。それは」  母の絶叫に、父が困惑の声を上げた。  母は私を椅子に乗せ、呪いの方法を書いた紙を魔術師に渡した。連絡があればすぐに必要な物を揃えることを約束して、革袋に入れた金貨をテーブルに置いて帰って行った。       ◆ 「僕は了承していないのに、置いてくなんて酷いなぁ」  魔術師が溜息を吐いて黒いフードを外した。淡い金髪がさらりと零れる。……といえば聞こえがいいが、はっきりいえば、伸ばしっぱなしの髪。金色がかった緑色の瞳。顔はとても整っていて繊細な美形。年の頃は二十代の半ばから後半という所か。 「強そうな兵士を後ろに従えて来られたら、嫌とはいえないけどね」  肩をすくめる魔術師の言葉に、私は申し訳ない気持ちになった。そうだ。私の家は当たり前のように兵を引き連れて交渉の場へと向かうけれど、それは必ず貴族や王族とのやり取りだった。魔物が出る森の中とはいえ、たった一人の魔術師に対して、それは無言の脅迫以外の何物でもない。 『申し訳ありません』  謝る言葉はにゃあという猫の鳴き声にしかならなかった。 「ん? どうしたのかな?」  魔術師が首を傾げる。さらりと零れる淡い金髪が美しい。  私はなんとか後ろ足で立ち上がって、頭を下げた。 「えーっと、もしかして、謝ってる?」  苦笑する魔術師も美しい。  肯定の意味で首を振るうちに、姿勢を崩した私は、椅子から落ちた。
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