気が向く

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気が向く

 一期一会(いちごいちえ)。  俺の人生はまさしくそれだ。悪霊と戦い続ける日々で、次に会えるかどうかはわからない。生きているかわからない。いつ死が訪れてもおかしくはないのだ。  病院の通常業務を終えた空き時間に、俺は独健(どっけん)の働いている幼稚園へとやってきていた。病院の院長という忙しい仕事の傍で、俺はどうしても、親友の独健に会いにいって謝らなければいけなかった。 「すまんかった……」  夜桜が頬をかすめ舞い散る。幼稚園児が遊ぶ低いブランコに男二人並んで座り、視線は合わせずに、ただ前を向いて俺は謝罪を口にした。  独健からしばらく返事は返ってこなかった。気の流れを読めばわかる。今泣きそうになっているのだと。それは悲しみというより、悔しさなのだ。両親の死に対して何もできなかったという後悔。  俺は視線を前に向けたまま、深く長く息を吐く。できることなら、強く抱きしめて、落ち着かせてやりたい。だが、男同士でそんなことができるはずもなかった。 「……お前が謝ることじゃないだろう」  やっとの想いで言った、独健の鼻声は少し震えていた。春の暖かな風が俺たちの間を吹き抜けてゆく。  手放しで幸せになることを祈るのが、独健にとっても幸せなのだ。それならば、今まで通り、遠くから見守ればいい。俺はそう思った。  ブランコの鎖を少しきつめに握って、俺は素知らぬふりで言葉を紡ぐ。 「合気(あいき)の修行には結婚が必要だ」 「それができる相手を探してるってことか?」 「そうだ」  前にも話したことのある会話だった。独健はきっと、女の話をしていると思っている。だが、俺にとっては独健の話をしているのだ。それはきっとこの先も変わらない―― 「それって、男でもいいってことか?」  変化球がやってきた。それでも、俺の絶対不動は崩れなかった。 「気の流れに男女の差はない」 「そうか」  ため息が夜空ににじむ。独健はいつもの癖で、手首にしていたミサンガを落ち着きなく触っていた。気の流れを読んでみると、落ち着きがいつもよりなくなっていた。なぜなのか、俺が考えていると、独健が口火を切った。 「驚かないで聞いて欲しいんだが……」 「驚かん。何だ?」  俺はどこか遠い目をする。やけに、落ち着きをなくしている。何があった? 俺へ向かって伸びてきている気の流れはいつも通りだ。他におかしなところもなしだ。どういうことだ?  独健は何度か深呼吸をしていたが、つっかえながら言った。 「お前のことを……ずっと前から……好きだったんだ」 「そうか」  合点がいった。俺は目を細めて笑みを作った。 「どうして、驚かないんだ?」  独健が今初めてこっちを見た。俺は姿勢を崩さず、はつらつとした若草色の瞳を見つめ返す。 「知っとった」 「へ?」    間の抜けた顔をした独健の前で、俺なりに説明した。 「お前の気が俺にずっと向かってきていた。それは俺に気があるということだ」 「武術の技で知ったのか……」 「そうだ。それが何なのかわからんかったが、今ようやくわかった」  いい修行になった。俺は珍しく微笑んだ。独健はスニーカーで土をすりながら不思議そうに聞き返す。 「どういうことだ?」 「気が向かってきているは、だ。それはということだ」 「お前、本当に護身術の修行バカだな。そこまでわかってたのに、ただ待ってるだけなんて」  げっそりしている独健へ、一歩踏み出すために、俺は立ち上がる。正中線(せいちゅうせん)をずらさずまっすぐと立つ――。縮地(しゅくち)を使ってあっという間に間合いを詰め、独健の頬に手を添えた。温もりが広がる。夜風で揺れる髪が俺の手を引っかく。 「お前と結婚する」 「愛してる」  独健は少し背伸びして、俺はかがみ込むと、真っ暗になった視界の中で唇が触れ合った。少し肌寒い風が心地よく、耳のすぐそばをすり抜けてゆく。まるで時間が止まったように長く感じられた。 「――成洲(なりす)先生! 結婚式にはぜひ呼んでくださいね!」  割り込んできた女の声に、ここが職場だと思い出した独健は、パッとムードも何もなく俺から離れて、仕事仲間の女に抗議した。 「いや、まだプロポーズされただけです!」  俺は握った拳を唇に当てて、噛み締めるように笑った。新しい愛が夜桜の下で今静かにしっかりと咲いたのだった。
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