3月(1)

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3月(1)

「だから、前に来た時も少し話したけど・・・、今回はもうちょっと真面目に話したいの」  有給休暇を利用して、遠距離恋愛中の恋人・直紀のところへやってきた麻衣は、食事を済ませたあと、直紀と向き合って話をしていた。  今日は、直紀の家で仕事が終わるのを待ちながら、直紀の好きな生姜焼きを用意して待っていた。直紀のところへ来て食事を作るときは、いつも生姜焼きをリクエストされる。実家暮らしの麻衣は、専業主婦の母が食事を用意してくれるので、自分で作る機会は少なく、あまり手慣れているとは言えない。それでも、直紀の喜ぶ顔を想像しながら作る料理は楽しかった。直紀は、やっぱり麻衣の生姜焼きはうまいなあ、といいながらガツガツとあっという間に平らげた。麻衣は食器を片付け、お茶を入れたマグカップを二つ、テーブルの上に置く。 「うん。まあ・・・。子どものこととかでしょ?年齢的にって、言ってたよね。」 「そう。覚えてるんじゃん」 「そりゃあ、覚えてるよ、麻衣のことだもん。」 また調子のいい。私だって、こんな急かすようなことはしたくないのに、と麻衣はイライラする心を隠した。 「で、仕事の異動希望もさ。」 「販促部門に行きたいって話ね。元々希望は出してるんでしょ。もっとアピールすればいいじゃん。」  直紀は、座椅子にもたれて、麻衣が入れたお茶を飲む。麻衣はピリッと顔を引きつらせる。気軽に言ってくれる。部署異動して早々、妊娠して産休、育休になんて話になれば、周りに迷惑がかかる。自分の異動希望を通してもらえたのだとしたら尚更、責任感は強くなる。仕事を止めるつもりはないし、せめて少しは仕事を覚えてからそういうイベントを迎えたい。そんな自分の思いを直紀に伝えるのは、これで3度目だった。直紀だって、仕事をしているのだから、わかってくれているはずなのに、いつも、うんうん、と理解のあるそぶりを見せながら、何か行動に移してくれたことはない。  直紀は一つ年上で、同じデパートに勤めている。職場の先輩として出会い、すらりとした長身に、自分好みのスマートなイケメンに内心ドキドキしたことを覚えている。  少しずつ打ち解けた直紀に、彼氏との悩みを相談しているうちに、 「もう別れて、俺にすれば。」 と言われて、押しとルックスに負けて付き合うようになったのが23歳の頃。付き合いはそろそろ5年にもなる。直紀が他店舗に異動になってからの2年は、遠距離恋愛だ。実家に暮らしている麻衣が、数か月に一度、直紀の元に通うことで、この恋愛は続いている。  直紀は、ネクタイを緩めながら、麻衣の隣に座って、肩を抱く。 「会いたかったよ、麻衣」 そういって、麻衣の顎を手で支えて口づける。 「私も。」 うっとりと目を閉じると、そのまま直紀に押し倒される。 「あ、ちょっと・・・」 「もう、何か月ぶり?・・・早く抱きたい」 そういって麻衣のスカートの中に手を入れてくる。 「ちょっと待って、話したいって・・・」 「うん、とりあえず、落ち着きたいから、一回・・・」 「も・・・」 麻衣の腰回りを撫で上げ、胸に手を添える。 「あー、麻衣だ」 感慨深げにつぶやいて、ぎゅっと抱きしめる。 「お風呂、入りたい」 麻衣が小さく訴える。 「ん・・・、わかった。俺も外回りだったし。先入ってて」 そういって体を離し、麻衣を手を引いて起こす。直紀は、スーツのポケットから煙草を取り出し、台所の換気扇の下へ向かう。 「まだ、止めてないの?」 麻衣が声をかけると、 「職場の付き合いもあるとさ・・・なかなか。でも、家ではだいぶ減ったよ。食後と寝る前だけ。ちゃんと、ココで吸ってるし。」  火をつけたタバコを片手に、直紀が振り返る。麻衣は、特にタバコが嫌いなわけではない。直紀がタバコを吸っているときの細い指、くわえる口元。煙を吐き出すときに、少し角度をつけた横顔。どれもかっこいいと思ってしまう。自分で、異動を機会に禁煙できるといいな、と言っておきながら、結局はまだできていないのだな、と麻衣は苦笑し、着替えを持って浴室へ向かう。  直紀の家にくると、一緒に風呂に入ることが習慣になっていた。直紀はシャワー派なのだが、湯船につからないと疲れが取れない、と主張する麻衣が遊びに来た時だけ、浴槽に湯をためて入る。トイレとは別になっているのでそれが可能だが、追い炊き機能が付いていないので、湯が冷めないうちにと一緒に入るようになった。単身者向けの狭いユニットバスなので、いつも先に麻衣が入って体を洗い、湯船につかったところで直紀が入ってくる。  湯船に湯を落としているうちに、メイクを落とす。直紀には、もう何度もすっぴんを見せている。直紀から、化粧しない方が良い、と言われているし、職場以外ではなるべく薄化粧になるようにしている。  髪を洗ってタオルで巻き、体も洗って、湯船につかる。浴室のドアに目をやると、直紀が外で服を脱ぐ様子がすりガラスの扉に映る。
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