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「はあ~たべたたべたあ~」
後になり、食器が片付けられた食卓の席でアルメットは体をあお向けながら席で腹をさすっていた。フラウは台所で汚れた食器を水で濯ぎ、せっせと洗い物をしている。
そこへ用を足しに席を外していたタスクが戻ってくる。その場に戻るや、アルメットのそんなだらしのない様子を目の当たりにしてタスクは思わず笑いだした。
「ははは! 疲れた後に食う飯は最高だろう! これだけ満足していたら、今日はぐっすり眠れるだろうし。いい夢も見れるかもな!」
そこでふとタスクの何気なく放った言葉に、アルメットは”あの夢”の事を思い出した。
「…………良い夢」
あお向けていた体を起こすとアルメットは静かに目の前のテーブルに肘をついた。そして、暗い表情をして頭を俯けた。
「……? どうしたんだ」
今先ほどまで穏やかな姿を見せていたのに、急に様子を変えたそんなアルメットの姿に、タスクは疑問に思ってアルメットに声を掛ける。
「いや、その……」
「なんだ、言ってみろ。心配な事でもあるのか? もしかして怒ったティアちゃんのことか?」
「いや、そうじゃないんだ。ティアのことじゃないんだよ……」
そう言って、テーブルに肘をついたままアルメットは言った。表情は先ほどと変わらず暗いままであり、つい先ほどの落ち着いた様子が戻ってくるようには感じられなかった。
急に様子を一変させたアルメットの姿を見て心配になったタスクは、アルメットの肩に手を置くと隣の席に座った。
「一体どうしたんだ……? なぜそんなに落ち込む」
「……父さん、聞いてもらってもいい?」
「ああ、なんでも言ってみろ。相談に乗ってやる」
にかっと笑ってタスクは答える。タスクのその言葉に、アルメットは一瞬頭を上げて、一拍置いてからやがてゆっくりと口を開いた。
「実は……変な夢を見たんだ」
「変な夢……? なんだ夢の話か。そんなこと気にするな。夢なんてただの幻だぞ?」
暗い顔を元気づけようとしてタスクはアルメットを励ました。だが、アルメットは暗い様子のまま静かに言葉を続ける。
「そうだよね……幻だよね。だけど、その夢。すごく変でさ。夢なのにすごく鮮明で、めちゃくちゃ現実みたいだった。……すごく怖い夢だった。頭から今でも離れないんだよ……」
続けていた言葉が途切れ、再びアルメットがうつむく。タスクはアルメットの肩に乗せていた手が微かに震えていることに気が付いた。
「……そんなに恐ろしい夢だったのか。聞くべきではないと思うが……お前が大丈夫そうなら教えてくれ。一体どんな夢だったんだ」
アルメットは頭をもう一度あげると、タスクの目は見ないまま伏し目に言葉を続ける。
「……最初、気が付いたら真っ暗なところにいて。どこだろうここって思ってたら、自分の事が分からない事に気が付いたんだ。自分が何者で、どんな名前かもわからなかった。そしたらすごく怖くなってきて……それで、そこから出ようとして出口を探したんだけど見つからなくて……それでもっと怖くなって……とにかく怖かった。あんな夢、もう二度と見たくない……父さん」
アルメットはタスクの顔をじっと見つめた。眉間にはしわが寄っていて、目には涙が滲んでいる。今にも泣きだしてしまいそうなほど、アルメットは恐怖に怯えた顔をしていた。
「そうか、そうか……それは怖かったな。大丈夫だ。それはただの夢だ。何も気にすることは無い。ただの幻だ」
その時ぎゅっと、タスクがアルメットを抱きしめた。涙の滲んだ目を見開いて、アルメットもぎゅっと目を瞑りタスクを強く抱きしめ返す。
「ありがとう……父さん。ありがとう。すごく安心した。あまり考えないようにしてたけど、なんだか今思い出したらすごく鮮明に蘇っちゃって……ごめん。心配かけた。本当にありがとう」
「いいんだよ。俺はお前の父親だぞ? 子供を守るのが親の務めだ。それに、大事な息子が涙を流すほど怖がってる事を見過ごすなんて親失格だ」
「えっ!! 待って、涙出てたの俺!? うわっ、恥ずかし……」
「男だって涙を流すときなんていくらだってある! 恥ずかしがらんでもいい、泣きたい時は泣け!」
そう言うと、タスクはアルメットの白い髪の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「わあっ!! やめてよ!? めっちゃ恥ずかしい!!」
「はははははっ! もっとしてやろうか?」
「やめてって!」
「なあに? なんの話?」
そこに食器を洗い終えて、最後の皿の一枚を布巾で拭きながらフラウが二人の座るテーブルの側に歩み寄って来た。
タスクに励まされ明るさを取り戻したアルメットは、落ち込んだ様子も無く元気よくフラウに答える。
「ああ、母さん! えっと……怖い夢を見たんだけど、僕凄く怖くって…… でも、父さんが話を聞いてくれたんだ! あ、そういえば……本当は夢の最後におっかない白い大きな鎧の人が出てきたりもして、すごく怖かったんだけど……もう大丈夫になった!」
パリンッ――。
その時フラウが手に持っていた皿が床に落ちて、大きな音を立てて割れた。
突然起きた出来事に、アルメットはすぐに席を立ち上がって急いでフラウに歩み寄る。
「母さん大変!! 皿が割れたよ!? けがはない!?」
アルメットは心配した様子でフラウに呼びかけた。
だがなぜか、フラウはアルメットの方をじっと見つめて、呆然とした様子で固まっていた。今言った言葉も聞こえていないのか、まったく反応が無い。
「……母さん?」
不自然に思って、アルメットはフラウに恐る恐る声を掛ける。だが、それでもフラウの反応は無かった。まるで魂が抜けてしまっているように、全く返事をしてくれない。
「母さ……」
「フラウ大丈夫か!! 皿が落ちたぞ!!」
アルメットがもう一度声を掛けようとしたその時、タスクが声を張り上げるように言葉を発した。だがそれはあまりにも大きな声で、少々やりすぎなのではないかと思うほど大きかった。
あまりに大きな声だったので、思わずアルメットも驚きタスクの方を見る。すると――。
「あ、あああ……!! ごめんなさい! 手が滑っちゃった!」
そこで我を取り戻したようで、ようやくフラウが口を開いた。その場に屈みこむと、落としてしまった皿の破片を慌ただしく急いで集め始める。
「ごめんね! すぐに片付けるから! アルたちは近寄らないで! けがしちゃう!!」
「か、母さん! そんな事より母さんは大丈夫なの!? 目の前で皿を落として……」
「私は大丈夫! ごめんね! 私ったらぼうっとしちゃって……いてっ!」
とった皿の破片をフラウが床に落とす。見ると落ちた破片には血が滲んでいる。
「母さん!! 切ってるじゃないか! 手を見せて!」
「いいの!! 大丈夫!!」
その瞬間、フラウが叫ぶように声を出した。まるで拒絶をするように。突然の事にアルメットも唖然となる。
するとすぐにはっとなって、フラウもアルメットの方を見る。
「あの……その、ごめんなさい。急に大きな声を出してしまって……」
「かあ、さん……?」
「どうやら疲れていたのは母さんも同じだったみたいだな」
そこでタスクが歩み寄ってくる。タスクは床に伏せるアルメットとフラウの横に屈みこむと、アルメットの肩に先ほど話を聞いてくれた時のように優しく手を置いた。
「父さん……」
「アルメット。お前はもう寝なさい。あとは俺に任せろ」
「え、でも、母さんが……」
「母さんもきっと疲れてるんだ。日頃の疲れがたまっていたのかもしれない。それが今になって限界を超えちゃったのかもな……すまない、フラウ。割れた皿は俺が片付けるから。二人とももう休みなさい」
「でも……」
「そうしましょう。アルメット」
フラウはアルメットを引きとめた。アルメットは心配にそうにフラウの顔を見つめる。
「私も自分で分かってなかったみたい。今日は早く休んだ方がいいわ」
「母さん……わかった。そうする……母さんも疲れてたんだね。ごめん、俺も気づけなくて……母さんに無理させちゃってた……」
「すまない、俺も気づいてやれなかった。こんな事ならもっと気を付けて入ればよかったのに……」
「気にしないで! 今日は暑い日だったでしょ? 多分きっと、暑さにやられてしまったんだわ。少ししたら治ると思うから、二人ともそんなに気にしないで」
落ち込む様に顔をうつ伏せる二人に、フラウは励ますように言う。
「確かに……今日は少し暑い日だったな。人は熱にやられると倒れてしまう時があると聞く……その所為かもしれないな。それでも、大丈夫か。フラウ?」
「ええ大丈夫よ。本当に、少ししたら治ると思うから……」
念を押すように聞くタスクに、少々うつむきがちにフラウは答える。そんな二人の様子を傍で見ているアルメットにタスクが風呂に入るように促す。
「さあ、アルメット。風呂に入ってこい。お前も汗かいてるだろ。今日は暑い日だったんだから、さっさと風呂に入ってさっぱりしてこい」
「うん、わかった……風呂に入ってくる」
フラウの事がまだ気になったが、タスクに促されるままアルメットは風呂場へと一人部屋を後にした。
そして、その場に残ったタスクとフラウはアルメットの姿が見えなくなると、静かに顔を見合わせるのだった――。
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