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prologue of "Ragnarok"
『世界は転じる』
戦いが終わる時だった。
その首を“二人の神の戦士”に討ち取られた “邪悪な王”の声が、戦場を超え、世に轟き、身に命宿す全ての者たちの元へと行き届いたのだった。
『戦いは再来し、平和と安寧は失われよう。空は黒を纏い、わたつ海は血に染まる。そして、死が地を蔓延り、討ち取るのだ。偽善なる貴様らの世界を、ありとあらゆる生を』
『皆よ聞け。我が名は”不滅“。貴様らにこの身を持って世の破滅を齎す者なり。我は消えぬ。決して。貴様らの生を蝕むまで、我はこの世に苦痛を与え続けるだろう』
『それが叶わずとも、いつの日か、いやいつの日までも。我は決して、拭われることはない。この世に終止を打つ、その日まで』
戦いの終わりを告げる角笛の音が鳴り響くと、世界はようやくして神に仇なす悪しき王――“不滅”とその眷属、邪悪なる軍勢”魔族”との戦いが終わったことを確信した。
荒れ果てた世界には希望が宿り、人々は暗黒の時代が終わったことに歓喜する。
そして戦いに敗れた魔族たちは自らが仕える主君の死を知ると、その場に立ち尽くし、静かに身を引いたという。
だが、喜びが人々の内を埋める一方で、敵の首魁を討ち取った二人の戦士は悲しい運命を迎えることとなった。
「すまない。だが、後は任せたぞ。兄弟」
それが友であり、"彼"と同じ道を歩んだ戦士の最期の言葉だった。
深い傷を負った友は、彼の腕に抱かれ、最期は静かに息を引き取る。
”終末“――終わり無き戦争と呼ばれたこの戦いはこうして幕を閉じた。
そして後世、世に生きる初心な子供たちの前でいつまでも語られることになる。
そう、三千年経った今でも。
雲の隙間から見え隠れる月の光が、その場所を照らし出していた。
辺りは静まり返っており、風が吹き流れている。
その場所は一度荒廃したということもあり、殺風景と言えるほど何もない。
ただ細い草々が広がって風が靡くだけの変哲の無い原野だ。
見る者によれば何処か落ち着く場所かもしれない。
平然とした、そんな静かな草原。
だが、その草原を一人、何かを担いでひた走る者がいた。
それはほっそりとした体つきに、二足で走る姿からおそらく人の類に思われる。
だが、月明かりに照らされるその姿は異様なことに、なぜか黒い。
ーーまるで、影という言葉を文字通りにしたような、全身を真黒な闇に覆われた人の形をした者だった。
そんな黒一色の"影人”に対し、一方で、影人がその背に担いでいる物体は月明かりによってはっきりと姿を表していた。
大きくそびえた表面は白く、施された装飾は月光で金属質に照り光る。
ーー長方形に形作られたその物体は、人が死を迎えた者を葬る際に使用する棺だ。
だが、人が入る大きさにしては極端に大きな造りをしている。
辺りに流れる風を切って、影人は広大な草原を走り去る。
自らの体躯を優に超える白の棺を担いで。
その速度に緩まる気配はない。
だが、草原の中枢付近を影人が差し掛かった時だった。
刹那、影人が進む反対の方角から鋭く尖った物体が恐ろしい速さで飛んでくる。
ヒンッと音を鳴らして、それは狙い外れず棺を担いだ影人を標的に飛んだ。
すると、途端に草原の中を衝撃が走り、草原の一部から土煙が湧き上がる。
立ち上る煙が辺りに広がるなか、煙の中から白の棺が乱暴に放り出されると、続いてよろりと影人が現れる。
草と土を抉って横転する棺の側に、影人は歩み寄ると背を向けて乱暴に棺にもたれかかった。ギキッギッ、とよくわからない声と思しき音を出して、息を吐くように肩を下ろしていく。
「それを返してもらおう」
突然に重く響く低い声。
近づいてくる地面を踏みにじる音。
何者かの声が辺りに響いた。
影人はピタリッ、と動きを止めて静かに声が聞こえてきた前方へと顔を向ける。
土煙の舞う向こう側、ぼんやりと見えるのは大きな人影。
重たい足音と混じって、分厚い金属が擦れる音が聞こえてくる。
影人はその何も見えない真黒な顔で、近づいてくる存在の朧げな姿をじっと見つめる。
舞っていた煙が大分に散り、雲に隠れていた月が現れる。
そして、土煙で姿が見えなかった謎の"声の主"の姿が明るく照らし出された。
影人とは異なる漆黒に染まった甲冑姿。
双角のような突起の生えた兜を被り、体は頑丈な鎧で覆われている。
肩より垂れたケープは灰色に汚れて所々が破け、片手には自分の身の丈ほどある強大な黒剣を持つ。
――黒い鎧を纏う騎士の姿がそこにあった。
騎士と影人、相対する二人。
一陣の風が吹き流れ、辺りの草々が一層ざわめく。
黒い騎士は大剣の柄を強く握りしめると、影人の首筋に向かって剣先を向けた。
「それを盗み出してどうするつもりだった。
……吐け。吐かねば今ここでお前の首を落とす」
また一つ、風が吹く。辺りの草がざわめきだす。
影人は向けられた剣先をじっと見つめるが、騎士の言葉に返事を返すことは無い。
騎士の持つ大剣がギシリッ、と音を立てる。
「吐かぬつもりか」
影人はその言葉に騎士を見つめるが、変わらず、返事をすることは無い。
ただ騎士の方をじっと見つめるだけで、ピクリとも動かない。
騎士は剣先を向けたまましばらく影人の反応を待ってみたが、その後も影人は何かをするといった素振りを見せる様子はなかった。
沈黙が二人の間を流れるーー。
我が身に怖気て応えられぬのか。
はたまた応える気など無いという意思の表れなのか、騎士に対する影人の反応はまるでなかった。
「……ならばいい。それを盗み出したこと、その身を持って償うがいい」
ギシリッ、騎士の持つ大剣が振り上げられる。
騎士は身構え大きく振りかぶると、大剣の刀身を影人の首めがけて放った。
すると直後、影人の何も見えない真っ暗な顔の中に”笑み”がこぼれる。騎士の目に、その姿が映った。
「やぁ、ヴァルヘルド」
「!!」
背後から発せられた声に、騎士は影人の首の手前寸前で大剣の剣筋を止めた。
騎士は体を身震った。
この異質な感覚。異質な声音。
どこからか湧き上がってくる畏怖の情――。
騎士は真っ暗な顔に笑みだけ浮かべてこちらを見つめる影人をよそに、背後を振り返る。
騎士の背後にいたのは男だった。
だがその姿は騎士の鎧よりも黒く。
影人の素肌よりも黒く。
そして、なお黒かった。
その男の相貌は先ほどの影人のように真黒で、一目見てわかる通り人の類ではない。
どこかの異国の装いを思わせる見慣れぬ格好をしており、その衣装さえ黒一式であるために全身真っ黒な印象を覚えさせる。
一見すると、不気味を感じさせる姿。ましてやこの場においていること自体が畏怖を感じさせる。そんな男だった。
だが騎士にはこの男の姿に見覚えがあった。
遠い昔、遥か昔、相まみえることとなったその姿は大昔より別れて以来、変わってはいない。
「その姿……エヴァンか」
騎士の放った言葉に、男は嬉し気に、にこやかに騎士に微笑み返す。
「よかった。忘れられてしまっているかもと心配していたんだよ」
「……もう用は無いはずだ。何をしに来た」
「用ができたから来たんだよ。久しぶりだね」
くつくつと声を漏らして、男は嬉しそうに笑う。
相も変わらない。
飄々としており掴みどころがない。
そして、男から発せられるその異様な気配がより一層畏怖を感じさせる。
「用ができた?」
「そうだよ。大昔に終わったはずだった、"大切な用"がどうやらまだ終わっていなかったみたいでね。それをキミに、頼みに来たんだ」
「どういうことだ」
「ふふ、分からないかい? 君も分かっているだろう? 彼がどうなったかを」
夜空を照らす月を見つめながら男はスッと片腕をのばすと、騎士の後ろを静かに指さす。
男の指し示すままに、騎士も横目にちらりと後ろを見やった。
そこには先ほど、騎士を見つめていた影人の姿がなぜか消えており、横転する白い棺だけがそこにあった。
騎士は背後の光景を見終えると、静かに目の前の男に向き直る。
「棺を盗み出したのは貴様の仕業か」
「おいおい、貴様とは何とまぁ歓迎されていないねぇ。私ってそんなに信用ならないかなぁ。悲しいなぁ……」
「答えろ。なぜこの棺を盗みだした」
「そうだねぇ……何から話すか……ではまず昔話からしようか」
ヒンッ、と刀身が空を切る音が響いた。騎士は男に向かって大剣を向ける。
「手短に話せ。これを盗み出して何がしたかった」
「アルヴス」
「!」
「いや、残念だったよ。彼はとてもいいヤツだったのに。実に名残惜しい。私は彼が好きだったのに……」
どこかわざとらしくも、そう言って"男"は残念そうに肩を落として騎士に告げる。
「手短にという事だから、では手短に。キミは最後、”不滅”にトドメをさしたね。彼の首を落として」
「……っ」
二人の会話に沈黙が入り、風が大きく唸りを上げる。
夜空に浮かぶ雲が忙しなく流れだすと、月明かりが明滅し、風が激しく吹きすさんだ。
やがて辺りは静まり返る。
「……そうだ。私がそうした。それで終わったはずだ。戦いも、”奴”も。……だが、まだ終わっていなかっただと?」
「その通り、まだ終わっていなかったんだ。キミたちも知っての通り、"不滅"とはその身が滅ぶことが無いと謳われた"不滅の怪物”だ。キミたちの力をもってしてもその討伐は容易ではなかった。
そしてようやくにして討ち滅ぼしたはずだったけど、うっかりしていたね」
「"不滅"はアルヴスが倒さなくてはならなかった」
男は月を眺めるのをやめ、騎士に向き直り、その姿を見つめた。
「”終末”はまだ終わっていない」
「ぉぎゃぁぁぁっ、ぉぎゃぁぁぁぁっ」
「!?」
すると突然、小さな産声が騎士と男の会話を遮った。
騎士が声のする方を見ると、その産声は騎士の背後の棺の中から響いているようであった。
「あらまぁ、目が覚めちゃったか。まだ目覚めないと思ってたんだけどな。さすがにあんな乱暴に放ったらそりゃあ起きるか。
さてと、ヴァルヘルド。後は君次第だ」
「待て、エヴァン。これはどういうことだ。アルヴスの棺から……まさかっ」
また大きく風が吹き出し、男は月光を背にして騎士に告げる。
「それじゃあね、古き知人よ。君が事を成し遂げられることを祈って、また見守っているから。
あぁ、そうだ。彼をどうするかは君に任せるけれど、万が一の時は私も手を下させてもらうから。じゃあ、またね」
男は最後に薄く笑うと、男の黒い体が散り散りになって消えていく。
そして、男の姿はやがて完全に消えて無くなった。
大きく吹いていた風はもう止んでいる。
「おぎゃぁぁぁぁぁぁっ」
目の前で散り散りになって消えた男のいた場所を騎士が呆然と見つめていると、また小さな産声が棺の中から沸き上がった。
大剣を傍らの地に突き刺すと、騎士は急ぎ、白い棺へとそっと歩み寄る。
草の上に膝を着き、騎士は棺の照った表面を優しく撫でおろすと、ふっと言葉を発した。
すると、棺の白の表面が灰色に濁りだし、白い棺が暗い鈍色へとあっという間に早変わる。
その様子を確認し終えると、騎士は棺の蓋を静かに動かす。
重たい蓋が軋むと、鈍色になった棺がゆっくりと開かれた。
そして開かれた棺の中の光景に、騎士はヘルムの面頬越しに息を呑んだ。
「……お前は」
棺の中にあった光景。
ーーそれは金色の双眼を宿す小さな人間の赤子が産声を上げ、横たわる姿だった。
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