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少年の目覚め 1
――あれ、ここはどこだ。
気が付くと、少年は真っ暗な空間に一人立っていた。
真っ暗とは文字通りに、視界いっぱいに暗闇だけが広がっていて、上を見ても下を見ても、左を向いても右を向いても、振り返ってすら、目に見えるのは一面に広がる闇だけ。
そんな場所に、いつの間にか少年はぽつりと立っていたのだ。
一瞬のこと、目隠しをされているのかとも思ったが、そうではない事がすぐに分かった。自分の姿だけがなぜかはっきりと見えていたからだ。足元を見れば、己の二足がしっかりと地に着いており、手をかざしてみれば、ちゃんと腕から先までの身体も見えている。まるで、光に照らされているかのようにはっきりと。
念のため、頬っぺたに手のひらを当てて確認をしてみると、肌身の感触もちゃんとあった。腕を伸ばしてぐっ、ぱっ、と握ると、その感覚も確とある。身体に異常は無い。一通り確認をし終えると、少年は再び目の前に向き直る。
「なんなんだ……これ。一体……」
突然の出来事に、少年は戸惑った。どうしてこんな所に自分はいるんだろう。ここは一体何なのだろう。頭の中を様々な憶測が瞬時に飛び交う。
そもそも、ここへはどうやって来たのだっただろうか。さっきまで全く違うところにいた気がするのに。
「……あれ?」
そこで少年はふと気が付いた。さっきまでの記憶、いやそれ以前に、これまでの記憶が全くない事に。
胸の内が高鳴った。まさかそんなことは無いと思って、もう一度頭を回してみるがこれと言ってめぼしい記憶が全く出てこない。
それどころか、自分の名前すら出てこなかった。
「そんな…………」
思わず、少年はその場に膝を着いた。そのうち手足がカタカタと揺れ出して、いつの間にか両手で頭を抱えていた。
何度頭を回しても、何度思い当たることが無いかと必死に考えてみても、結局、自分が何者かもわからず、記憶もない。
何も分からなかった。
次第に呼吸が早くなり、少年の胸の内もだんだんと強く脈打ちだす。
「……はあ、はあ」
何も思い出せない。どうしたらいい。どうしたら。
いっそ、夢であってほしい。そんな想いがこみ上げるが、頰をつねっても何も変わらないという事は先ほど確認したばかりだ。認めたくないがおそらく、この状態は夢ではない。
「はっ……!!」
無意識のうちに少年の足は地を蹴った。真っ暗で、何が在るかも分からないこの空間の中を。当てになる何かをひたすらに探し、今のこの自分の救いとなる手段を求めて。
けれども、いくら走り続けても、いくらあたりに目を向けようとも、見えるものはただひたすらに続いている闇だけだった。見つかる物はない。見つかる人もいない。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
ついに少年は足を止める。不思議なことに疲れを感じることは無かったが、疲労の代わりに底知れない不安と虚無感が少年の体を蝕んでいた。
「はあ……はあ……」
怖くて仕方がない。今をどうしようにも、思いつこうとして焦ってしまう所為か頭がまわらない。
怖い。怖い――。
「……っ!」
するとその時、少年の耳に"ある音”が聞こえる。
一瞬の事でほんの少しだったが、それはまるで”金属が擦れる”ような音だった。
「今のは……」
少年は息を整えると、静かに耳を澄ます。
耳を澄ましてしばらくすると、微かに”足音”のような音が響いているのが分かった。少年ははっと、息を飲む。
――自分以外に”誰か”がいる。
そう思うと、少年は恐る恐るもう一度暗闇に向けて耳を澄ませた。
また辺りが静まり返ると、どこからか微かに音が聞こえてくる。一拍、また一拍と置いてゆっくりと聞こえてくるその音は、地を踏む音以外考えられなかった。
――やはり誰かがいる。こんな暗闇だけが広がる異様な空間に、自分以外に一体誰が?
胸の内がまた一つ、高鳴った。心臓の音がやけに大きく聞こえてくる。手に汗が滲み、足のつま先から冷たい何かが這い上がる。
怖い。とても怖い。記憶も無く、自分さえも分からず、得体の知れない何かが自分と同じこの不気味な空間に一緒にいる。
少年は目をぎゅっと瞑る。そして静かにその場に膝を着き、息を潜めると、両手を組んで力強く祈った。
――どうか、夢であってください。ああ神様、どうかこの夢から覚めさせてください。どうか、何も起こらないで。
「っ……!」
そこで少年は気が付く。辺りが静まり返っていることに――。
念のためもう一度耳を澄ませてみると、先ほどは微かでも聞こえていた足音が完全に消えていた。
「祈りが、通じた……?」
もしかしたら、今の足音の持ち主が遠くに離れていったのかもしれない。
少年は安堵すると、小さく声を漏らした。
その直後――。
「え」
少年の背後に大きく得体の知れない”何か”がとてつもない勢いで迫ってくる。
少年が後ろを振り向くと同時に、”何か”は”鋭くて大きなものを振り上げ、少年の首めがけて放った――。
「はあっ!!」
少年は勢いに任せて体を起こした。何が起きたのか、訳が分からないでいると視界が一瞬眩んで明滅する。すると、見慣れた覚えのある一室の光景が目に飛び込んできた。
最初に目に留まったのは部屋の壁に備え付けられた机だった。使い古した大きなその机にはだらしなく散らかった文具や開かれたままの本が置いてあり、机の側にはしっかりとしまわれなかったらしい椅子が斜めに向いている。
隣の窓からは陽の光がもれていて、机の上のものや椅子に当たって照っていた。窓の外はもう大分に明るくなっているようで、一目で見てわかる通り、早朝が過ぎているのは明白だった。
「ここは……」
少年は部屋の中の光景を呆然と見つめた。すると、部屋の側の壁にある扉の向こうから甲高い声が聞こえてくる。
「アルメット!? アルメットー!! いつまで寝てるの!! ティアちゃんがさっき迎えに来てたわよ!! 早く起きなさい!!」
馴染みのある女性の声。その声を聞いて、少年は静かに我に返った。
「今の……夢は」
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