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少年の目覚め 2
「ただいまあ」
遠くの丘の上の空が真っ赤に染まった日暮れの頃。古木でできた家の玄関の扉を開けて、アルメットは帰宅した。
「おかえり、アルメット」
部屋の奥から女性の穏やかな挨拶が返ってくる。声のした方を見ると、そこには料理で使う木べらを片手に、白い三角巾を頭に被った馴染みのある女性の姿があった。
「ただいま、母さん」
「うん、おかえり。あの後は大丈夫だった?」
母――フラウは目の前にある鉄釜の中をひとかき混ぜしながら、ふいとアルメットに質問をする。テ―ブルの椅子を引くと、腰かけながらアルメットも返事を返した。
「あの後って?」
「もう、寝坊した後の事よ。ティアちゃん怒ってなかった?」
「ああ、怒ってたよ。かなりこっぴどく叱られた」
「でしょうね。不満げな顔だったもの」
くすくす、と可笑しそうにフラウが笑う。そんな母の様子にアルメットもつられて苦笑する。
「今日は大分遅れちゃったからな……ちくいち様子を見られたよ。おかげでかなり参っちゃった」
「あら、珍しい。あなたは根っからの疲れ知らずなのにね。ティアちゃんの事になると焦っちゃうのかしら~?」
釜の縁にとんとんと木べらを叩く音が聞こえると続けてそんな言葉が振ってくる。言われた言葉に遅れてはっとなり台所を見ると、じっとこちらを見つめていじわる気に笑っている母の姿が目に映った。
「ちょ、何その言い方。ティアに対しては何もないよ! ただ、四六時中見張られて疲れただけっ!」
「ええ~? 本当かなあ~? 顔が赤くなってるよお~?」
「っ……! そんなことないって!」
くっ、と顔をしかめてアルメットはそっぽを向いた。その姿を見て、楽しそうにフラウが笑う。
すると、その時。先ほどアルメットが帰宅してきた玄関の扉が開いた。ゆっくりと扉が開いて入ってきたのは、短髪の黒髪を汗で濡らした男だった。男が部屋に入ってくるや、アルメットとフラウは声を合わせて男を出迎える。
「おかえり、タスク」
「父さん! おかえり!」
男――タスクはふう、とひと息ついて一拍置くと、二人に笑顔を向けて返事を返した。
「ああ、ただいま。やれ、今日は疲れた。放牧してる時に羊の一匹が群れから離れてな。そいつを捕まえるのに今日は一日手を焼いたよ」
はあ、ともう一度大きく息を吐くと、言いながらタスクはアルメットの隣の席へと座る。
「あら、そんな事があったの? 二人とも今日は大変だったわね。もうすぐご飯ができるから、ちょっとの間待っててね」
「……ん? ”二人とも”? アルメット。お前も今日は何かあったのか?」
フラウの言葉に、疑問に思ったタスクは隣に座るアルメットへと顔を向ける。
「う、母さん……」
「何よ? 今日は二人とも大変だったわねって言っただけじゃない」
言いたげに体を乗り出すアルメットに、フラウがつんとした様子で釜の煮物を木の椀によそおう。二人のそんな様子を見てタスクも口を開く。
「あー……何があったんだ?」
「えっと、それは……」
「今日アルメットがカーターさんの荷造りの遅刻をしたの。それでティアちゃんを怒らせちゃったのよ」
タスクの言葉にアルメットが言おうとすると、それよりも早くフラウが答える。
「ちょっと!? 自分で言おうと思ってたのに勝手に言わないでよ!」
「えー? だってアル、言いづらそうだったじゃない?」
「それぐらい自分で言うから!!」
「なんだ、遅刻したのかアルメット」
父の言葉に顔がう、と引きつるとアルメットは動きを止めた。そして落ち込んだように肩を落とす。
「……そうなんだ。それでティアにかなり叱られちゃって……父さん、今日は疲れたよ……」
「そうか……まあ、そんな時もある。そんなに落ち込むな。誰だって失敗の一つや二つ、起こす時は起こすんだから。気にするんじゃない」
「うん……ありがとう、父さん」
話を聞いて、タスクは頷きながらアルメットの背中をぱんぱんと叩いて励ました。しょげながらも、そんな父の言葉にアルメットも少しだけ元気をもらって返事をする。
「さあて、お話は終わりよ! 今日のご飯が出来ました! メインは豆のトマト煮ね! ご飯もたくさん炊いたから、今日の事は水に流してたくさん食べてちょうだい!」
気付くと、いつの間にかテーブルの上に料理の品が満と並んでいた。目の前の椀によそおられたトマトの煮物からは湯気が昇っており、食欲をそそられる良い匂いが漂ってくる。
「おいしそう……!! ありがとう母さん! いただきます!」
「ああー!! アルメット待ちなさい! みんなで手を合わせるのよ! 一人だけ先駆けちゃダメ!」
アルメットがスプーンを片手にトマト煮を頬張ろうとすると、フラウがすかさず制止した。
「ええーいいじゃんか! いつも思うけど、なんで食事の前にお祈りしなくちゃならないの?」
「大切なしきたりなの。今日あるごちそうに感謝をして、大切にいただくためよ。お祈りも無しに食べちゃダメ」
「……はーい」
「はは、それじゃあみんな手を組むか」
タスクが二人に呼びかけると、フラウも席に着き、食卓を囲んで三人は静かに腕を組んで目を瞑る。そして、タスクが二人を先導するように口を開いた。
「大いなる天の神に捧げます。天の神よ、我らの祈りをお聞きください。あなたの導きたまう巡りに、あなたのお与えくださる恵みに、我らは感謝を捧げます。今日の恵みに感謝を」
「「感謝を」」
最後に言葉をそろえると、三人は深く頭を下げて祈りを捧げる。そして少ししてから、頭を上げて目の前のテーブルに静かに向き直った。
「さあて、それじゃあ頂いてちょうだい! 早くしないと冷めちゃうからね。あ、おかわりが欲しかったら二人とも遠慮なくいってね」
フラウは優しくアルメットたちに微笑みかけた。アルメットも笑い返すと、目の前の料理が待ちきれないと言った様子で勢いよく答える。
「もちろん! たくさん食べるよ! もう食べたくて仕方ないから! いただきます!!」
スプーンを鷲掴み、トマト煮の入った椀を片手に持つと、アルメットは遠慮なしに口に頬張った。
「ああ、ああ! そんなに勢い余っちゃって、服汚しちゃうわよ! もう少しゆっくり食べなさい!」
フラウはそんなアルメットの様子を見て、困ったように見つめる。
「いいじゃないか、腹が空いてる時くらい思いっきり食べさせてやれ。その方が満足するだろうさ」
タスクもそんな二人を見て、嬉しそうに笑う。
そのうちに勢いよく料理を食べた所為で咽だすアルメットに、フラウが慌てて背中をさすった。その様子を見てタスクが一層笑い出す。
つられて、アルメットとフラウも笑い出した。
スタニスラス家の夕食は、そうして賑わうのだった――。
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