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01・再会
ある日私は気がついた。
おや。異世界転生してるぞ。と。
ちょっとしたきっかけで思い出した前世の記憶。それによればここは乙女ゲームの世界で私はヒロインのマリエット。
マリエットは城下町の孤児院で暮らしていたけど、17歳のときに先代国王の落とし胤と判明。故あって公式に認められない代わりにと、侍女見習いとして王宮に上がり、働きながら教養を身につけることになる。で、ここからゲームが開始。定番通りに王子や騎士との恋愛が待っている。
このことに気がついたあとの私の決断は早かった。
よし、推しと結婚しよう!
◇◇
前世の記憶を取り戻してから程なく、私は侍女見習いとして王宮に上がった。ゲームはかなりやりこんでいた。推しとは絶対にハピエンに持ち込めるはずだ。
攻略対象は王子から出入り商人まで多岐に渡る12人。その中で私の推しはベタだけど、近衛兵の部隊長をしている黒い騎士カールハインツ・シュヴァルツ、28歳。黒髪黒瞳の美丈夫で、鍛えぬかれた身体、騎士としての矜持、王への忠誠心、ストイックな性格と、全てが私のツボだった。
彼の女性の好みは清楚で淑やか、真面目な努力家だ。この前半部分は私には全くないものだけど、ゲームのおかげでどう振る舞えばいいかは分かっている。うまくネコを被れるはずだ。
侍女見習いとしての日々は大変だろうけど、推しをゲットするためと思えば乗り越えられる。幸い根性と諦めの悪さだけは誰にも負けないと自負している。
早く出会いたいと願いながらの侍女生活七日目。初めてひとりで仕事を任された。王妃の部屋に飾る花を庭師の作業小屋に取りにいく仕事だ。鼻歌混じりに人気のない裏庭を進む。と。
「社歌!?」
と小さな叫びが聞こえた。足を止める。確かに私が歌っていたのは、前世で馬車馬のごとくに働き愛した会社の『社歌』だ。毎朝始業時間に流れるキャッチーな歌詞とメロディーに、社員はみな自然に覚えてしまっていた。
どうやらこの世界には、私以外に『社歌』を知っている人間がいるらしい。
ガサゴソと音がして、植木の影から男がひとり現れた。第一王子だ。
「今、歌っていたのはお前か?」と尋ねられる。
さあ、どうする私。誤魔化すか。相手はよりによって第一王子ムスタファ・バルシュミーデだ。攻略対象のひとりで『月の王』との異名がある。透き通るような白い肌に銀色の長いストレートの髪。瞳は濃い紫で攻略対象随一の美貌の持ち主だ。
だけど、彼には問題がある。かなりの。
そんな第一王子が社歌を知っている。つまり問題ありの攻略対象の前世は、同じ会社の人間ということだ。一体誰だろう。心当たりは数人いる。人によっては、話したいけど……。
「なぜ答えない。社歌を歌っていたのはお前だよな? 誰だお前? 俺は第一営業部の木崎だ」
「よりによって木崎かっ!」
思わず反応してしまう。
「その反応! 第二の宮本だな?」
「知りませんー」
踵を返し、迂回路をとる。よりによって木崎なんて。
「待てよ、宮本!」
聞こえなかったふりだ。ツカツカ進むけど、歩幅の違いで木崎はすぐに横に並んでくる。悔しいっ。
「なあ、宮本。ちょっと休戦しよう。こんな異世界に来ちまったんだ」
「何のことか分かりませんー」
ツカツカ。
「嘘つけ!」
「異世界だろうが社内だろうが、あんたには関わりたくないのっ!」
「知ってるし。俺だって社内ならお前となんて絡みたくないね」
「そこだけは気が合う」
同期の木崎とは最初から反りが合わなかった。一年後には人間的に許容できないと分かり、二年後には仕事に関する意見の相違で大喧嘩。五年後には向こうは第一営業部、私は隣の第二営業部それぞれの若手トップとなり、完全にライバルとなった。営業成績、出世速度、果てはボーナス査定、交換した名刺の数まで競い合っていた。
そして何がムカつくって。私は仕事一筋で完全に喪女。『恋人はゲームの中にいます』だったのに、木崎は彼女をとっかえひっかえ絶やすことがなく、社内で有名なモテ男。
「なあ、止まれよ。お前は侍女だろう? 俺は第一王子だぞ」
うぬぬ。仕方なしに足を止める。
「卑怯者!」
ニヤリとする木崎、ではなかった第一王子。「手段は選ばない。知っているだろうが」
その通りだ。
深いため息が出る。
「なんでよりによって、あんたなのよ」
「それは俺のセリフ。だがこの分なら他の奴がいる可能性もあるぞ」
「……いないにこしたことはないよ」
「勿論そうだ」
木崎と私の死因は一緒のはずだ。営業部合同で二泊三日の若手の研修をしていた施設が火事になった。私たちを含めた数人の責任者で、社員の避難誘導をした。途中からの記憶はない。
だから他の社員なんて、いないほうがよいのだ。
「私は仕事の最中なの。立ち話をしている時間はないよ」
それに木崎にしろ第一王子にしろ関わりたくない。
「夜、俺の部屋に来い。何時でもいい。話がある」
「嫌」
「あのなぁ。俺だって夜に招くならもっと可愛い子がいいんだよ。とにかく、まずいんだ。お前の動き次第で世界が滅ぶ」
「もしや木崎も、ここが乙女ゲームの世界だって知っているの?」
「なんだ、宮本も知っているのか。ならば話は早いな。頼むから俺と第二王子バルナバスはやめろ」
「バルナバスを狙ってるから、ムリ」
「ざけんな、宮本!」
「ふふふふふ。命が惜しかったら『宮本様には勝てません。俺はザコです』と土下座するのね」
ヒロインが第二王子とハピエンを迎えると、第一王子は討伐されてバルナバスが王太子となるのだ。
「お前、何キャラだよ……」はぁっとため息をつく第一王子。
「まあ、いいや。嘘だよ。狙いは別だから安心して。だから私には近づかないでよ」
「了解。話が早くて助かった」
「……というか木崎、王子のくせにこんな早朝に裏庭で何をしていたの?まさかヒロインを待ち伏せ?」
「んな訳あるか。ただのジョギングだよ。日課だから。前世のだけど」
言われて気づく。確かに王子のきらびやかな服ではない。
「あれだけ働いてデートしまくって、ジョギングもしてたの? バケモノ並み体力だね」
「話してなかったか? 俺、陸上でインハイ二年連続出場の実力者」
「なんかムカつく。私に近寄るな」
しっしっと私は手を振って。
木崎のムスタファは、もう近寄んねえよ、と言って去って行った。
その背を見送り、ふう、と息をつく。
木崎は大嫌いだけれど。こんな遠慮のない会話をしたのは前世ぶりだ。そのせいか、変な充足感がある。
いやいやそれは、まずいだろう。
あの木崎だし。
なによりヒロインが第一王子とハピエンを迎えると、世界は滅んでしまう。
ムスタファ・バルシュミーデは覚醒前の魔王で、その覚醒のきっかけは私だからだ。
ゲームでは詳しく明かされないのだけど、ムスタファの母親が魔王の娘らしい。その母親は出産後すぐに死亡。ムスタファは自分が魔族と人間のハーフだとは知らずに育つ。
そして彼と第二王子のハピエンルートでだけ、ムスタファは自分の出自と母親が人間に殺されたことを知る。
第二王子ルートならば覚醒しようとしたところで弟に討伐され、自身のルートならば覚醒して世界を滅ぼし、闇の世界でヒロインと幸せになる。
ムスタファルートだと他ルートと違って、ハピエンに至るまでにヒロインはかなり溺愛される。覚醒のきっかけになるほどに。だからムスタファのハピエンは、ユーザーの間では溺愛ルートと呼ばれていた。
ゲームならともかくこの世界に生きるならば、絶対に避けたいルートだ。だけど大丈夫。
元々ムスタファに興味はないし、中身が木崎なら嫌悪しか感じない。
いくら久しぶりの会話に気分が晴れたからって、あいつのルートに入るなんてことはあり得ないもんね。
ちなみに。私の父親である前国王は、ムスタファの父親である現国王の異母兄だ。だから私と王子たちは従兄弟の関係だ。ムスタファは3つ年上の20歳。第二王子バルナバスは同い年の17歳。
木崎は嫌いだけど、前世で焼死したのに今回もろくな死に方をしないのはさすがに気の毒だからね。
二人の王子からは距離を置き、本命の攻略をがんばろう。
◇◇
一日の仕事を終え自室の戻ると、ベッドにダイブした。
侍女・侍従は高級使用人に当たるからひとり一部屋をもらえる。見習い期間でもだ。
と、コツン、と音がした。
なんだろう?
また、コツン。
上半身を起こす。
コツン。
窓だ。何かが当たっている。
悪い予感しかしない。無視しようか。
コツコツコツン。
連打来たよ!
隣部屋の人間に気がつかれてはまずいので、仕方なしに窓を開け顔を出す。予想通り、下には木崎のムスタファが立っていた。頭から外套をかぶって変装をしているけれど、春のこの時季には不審者にしか見えない。近衛に捕まるにちがいない。ほうっておこうか。
「ちょっと降りてこい。聞きたいがある」
抑えられた声。一応周囲を気にしているらしい。
「もう近寄らないって自分で言ったよね?」
「いいから!ほら」と木崎は外套の下から瓶を取り出した。「旨い酒もあるぞ」
それは魅力的すぎる。この世界の飲酒は16歳から可能らしいけれど、貧しい孤児院にお酒なんてなかったし、侍女見習い風情がいただける機会もない。
「すぐ行く」
そう答えると、ショールを羽織って部屋を出た。廊下に人気はなくて、ほっとする。
新人侍女見習いが夜更けに出歩くのは、よろしくないだろう。
気を付けないといけないけれど、木崎はプライドが高いぶん簡単に前言撤回なんてしないし、無意味なこともやらない。きっと重要な話なのだ。
……決してお酒に釣られたのではない。
人の気配を避けながら外へ出て、木崎が立っていた裏庭へと急ぐ。月が満月に近いおかげで明かりがなくても困らない。見回りの近衛に見つからないように植木の影を進む。
と、
「宮本」と小さな声がした。「こっち!」
声の方へ進むと、背の高い植木の影にベンチがありムスタファが座っていた。
「人に会ったか?」
「そんなミスはしない」
「かっけぇな、セリフだけなら」ムスタファはくふくふ笑いながらお酒が注がれた木のタンブラーを差し出した。「酒に釣られたくせに」
「仕方ないでしょ。私、孤児院育ちの侍女見習いだよ? お酒には縁がないの。今世では初飲み」
タンブラーに手を伸ばす。が、それは寸でのところで引っ込められた。
「なら、やれん」
「何で!」
「アブねえだろうが。前世の記憶があるだけで身体は別人。前と同じように飲んだら中毒を起こすかもしれない」
「木崎のくせに正論だな。後輩に俺の酒が飲めないのかって絡みそうなのに」
「やんねえよ。大学の時にいたから。新勧でぶっ倒れたヤツ。大したことなく済んだから良かったけど」
「ふうん」
ちょっと、いや、結構意外だ。木崎は『倒れるヤツが悪い』って言うタイプの人間だと思っていた。営業成績の悪い先輩部下を、『努力が足りない』と平気で切り捨てちゃうようなヤツだったからだ。
「昔みたいな飲み方はしないよ。ちゃんと初心者ペースにする」
「それならいいけど」
再び差し出されたタンブラーを受け取り、こくりと一口飲む。赤ワインだ。
「美味しい!」
「そりゃ王子御用達の逸品だからな」
ほら、と木崎、ではなかったムスタファはチーズも出した。
「そつがない」
「営業なら当然だろ」
「そうだけどさ。私相手に接待するはずがない」
「よく分かってる」
「お互い様」
それにしても、ついつい木崎だと思ってため口で喋ってしまうけれど、ムスタファは第一王子で私は侍女。もし他人に聞かれたら大変なことだ。
「ヒロインなのは嬉しいけど、木崎が王子なのは許せない」
「こき使ってやる、って言いたいけどな。うっかり惚れられたら困る」
「ないから。アホなことを言ってないで、早く本題。聞きたいことって何?」
コクリ、と二口目のワイン。あぁ美味しい。チーズをかじる。こちらも絶品じゃないか。
「いや、俺とバルナバスルートがヤバいのは知っているんだ。だけどこのゲーム確か、攻略対象がわんさかいたよな。他にも俺がヤバくなるルートはあるのか?」
ん? ということは。
「木崎はプレイしてないの?」
「なんで俺が女向けの恋愛ゲームする必要があるんだよ」
「うなずけるけど、ムカつく言い方。それなら姉妹がやっていた、ってとこ?」
「いや、元カノがはまってて、ムスタファ好きだったんだよ」
「デート中にやってたの!? ツワモノだね」
「コスプレ頼まれたときに、ゲーム見せられながら語られた」
「コスプレやったの!?」
それは見てみたい。
「まさか。そんなんできるか。間宮にそんなヘキが……あ」
木崎がしまったというように、顔をよそに向けた。
「なるほど、第三の間宮さんともお付き合いしていたんだ」
第三営業部の間宮さんは、入社二年目。ふわふわした雰囲気と舌足らずな喋り方で、男性社員たちには人気があった。
「いいだろ別に。で、本題。どうなんだ? ヤバいルートはあるのか?」
「ないよ。ムスタファ溺愛ルートとバルナバスのハピエンルートだけ。私はどっちも興味なし」
詳しく聞いてみると木崎の知識はほぼ、自分に関することのみだった。だがムスタファとして生きていくには、それで十分だ。
それにゲームでは終盤に知ることになる母親の死についても知っていて、心境の折り合いもついているという。
「それなら木崎は普通にムスタファ人生を楽しめばいいんじゃない? お母様の件は複雑だろうけど、魔王化したくないならあまり関わらないほうが得策だと思う」
「ああ、俺もそう思う。お前はどうなんだ? 俺ルートだと、結構酷い目に遭うんだろ? 他は?」
「木崎のくせに心配してくれるんだ」
「同僚の不幸を喜ぶほどの人でなしじゃないぞ」
「それはそうか。私だってさすがにあんたが討伐されるのは可哀想だと思う」
つい、と差し出される拳。
迷ったけれど、私も拳を作りタッチした。
「まさか木崎とする日が来ようとはなぁ。なんか泣けてくる」
「何でだ。そんなに感激したか」
「バカじゃないの? 本当にもう違う世界に生きているんだなと思ったの。会社じゃ絶対にあり得なかったもん」
「……だな」
しんみりとして、一口お酒を飲む。
「ところでお前の狙いって誰だ?」
「カールハインツ・シュヴァルツ」
「近衛の?」
「そう」
「趣味悪くねえ?」
「どうして」
「絶対むっつり」
む……。
絶句する。
ストイックと言ってよ!
「木崎みたいにチャラくないの」
「それに昭和のオヤジっぽい。女は家を守り、夫の三歩後ろを歩けとか言いそう」
それは……言わないと言いきれない気がする。カールハインツの女性の好みって、古風だから。
「そうか。性格と男の好みが合ってないからお一人様なんだ」
「余計なお世話」
ああ、本当、ムカつくヤツ。しかも核心をついている気がする。
「もう帰る。お酒、ごちそうさま」
タンブラーを置いて立ち上がると、ふらりとした。
「おっと!」ムスタファが私の腕を掴んで支えた。「大丈夫か、座れ」
悔しいけれど、素直に腰かける。
「吐き気は?」
「……平気」
「水が欲しいが、こんな所に女をひとりはマズいよな」
「大丈夫だって。急に立ち上がったせいだよ。もう行ける」
そう、と言ったヤツは、何故か私が置いたタンブラーに手をかざし、ブツブツと呟く。
「……まさか魔法を使おうとしている?」
この世界には魔法が存在する。といってもほとんどの人は簡単な生活魔法しか使えない。そしてどういう訳なのか覚醒前のムスタファは、生活魔法すらも使えない。魔力はゼロらしいのだ。
「やっぱ使えねえな」
木崎、ではなかったムスタファは、ワインを水に変えようとしてくれたのだろう。物質を変化させるなんて魔力ゼロの人間にできるはずがない。
「自分が魔王になると思い出してから、魔法が使えるんじゃないかと色々と試しているんだが」とムスタファ。「覚醒しないとムリみたいだ」
弟バルナバスは強大な魔力の持ち主だ。もしかしたら魔力ゼロのムスタファは、劣等感を抱いているのかもしれない。
ましてや木崎ならば、悔しくてたまらないだろう。
「別に。水はいらないし。魔法なんて絶対、魔王覚醒のストーリーを作るための後づけ設定だよ。ゲームじゃたいしたことには使ってないから」
「きもっ。宮本に慰められた」
「あんたねえ!」
息をつくと、今度は静かに立ち上がった。大丈夫、なんともない。
「帰る。もう二度と私に近寄らないでよ。王子とプライベートで話しているのを見られでもしたら、私の処遇がまずくなる」
「そりゃそうだ」とムスタファ。「俺、この世界でもモッテモテだからな。宮本の元にカミソリ入り手紙が山ほど届くな」
「ほ、」
滅びろと言おうとして、慌てて言葉をのみ込む。彼は(私もだけど) 一度死んでいる。適した言葉ではないだろう。
「ほ……どほどにしなさいよね。じゃ、お休み」
ベンチを離れると背後から、くくっという笑う声。
「お休み。攻略、がんばれよ」
足を止め振り向く。
月を背にした植木とベンチ。
「見てなさい。華麗にハピエンを勝ち取るから」
「見物させてもらおう」
そうして今度こそ本当に、踵を返した。
カールハインツとの結婚は確定だけど、木崎に見られているのなら絶対に絶対、失敗もミスも無様な様子もするわけにはいかない。
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