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禁断の愛は呪縛
平穏は神によってもたらされる奇跡である――。
平和な日常は、私の贖罪を浮き彫りにして、足元を何度もさらおうとする。神が与えし陽光の当たらない場所で、私は目を閉じて血の涙を流す。
「神よ、私は同性を愛してしまった。どうか、罪深い私をお赦しください」
言葉の輪郭を持たない低い響きが真っ暗闇の中で聞こえてくる。私は振り返り、肩よりも長い髪を淫らに揺らす。
まるで存在を赦さないと言うように、闇が私に迫ってくる。罪の意識に苛まれ、力なく膝を地面へ落とし、私は懇願する。
「神よ、私はお兄さまを愛してしまった。どうか、罪深い私をお赦しください」
今度は反対の方から低い声が意味なく響き、私は髪を揺らして振り向くと、視界がいきなり変わった。まぶしさに目を細める。
「夢……?」
カラダの熱を遠ざけるように、寝返りを大きく打って、かすれ気味の声が部屋に舞い散る。
「性に踊らされた、私は傀儡……」
気怠いベッドの上で、羞恥心から逃げるように片腕で目を覆った。また真っ暗になった視界で、いつまでも色あせない日々――正確に覚えている追憶を突き崩す。
罪という砂に埋もれてゆく感覚が襲ってくる。しっかりとつかむところがなく、手足は意味をなさない。魂、心が嫌でも神の御前にさらされる。
あのタイムトリップから解放されて、一週間も経たない頃からだ。
お兄さまを愛しているのだと、私が自覚したのは。
幼い頃から、そばにいることが当たり前の日々が壊され、離れ離れになったのが原因かもしれなかった。
私の心は強く揺すぶられているのに、お兄さまは相変わらず毎日を楽しんでいるみたいだ。
私はお兄さまから心理的距離を取るために、言葉遣いを僕から私へと変え、丁寧語にしたのだ。
「しかしながら……」
言葉を紡ぐ唇はいつも、兄――ルナスの素肌を求めてやまない。私の体は空想世界で、とうとう砂に埋もれて、ぐるぐると回り出す闇の中で――その時、トントンとドアがノックされた。
「ええ?」
「中へ入ってもいいですか〜?」
兄の凛とした澄んだ儚く丸みのある女性的でありながら男の声が聞こえた。びくんと体が反応すると、じわり嫌な汗をかく。それでも、私は平常心を装って返した。
「どうぞ」
ドアが開いて、入ってきた兄の姿に、今度はどくんと大きく心臓が脈を打つ。白い清楚なワンピースを着て、いつもひとつに束ねているマゼンダ色の長い髪は綺麗にとかされ、胸の前に落ちていた。
兄はあのタイムトリップした世界で、女装を覚えてきてしまっていた。しかしながら、私はそんな兄――ルナスに欲情してしまうのだ。
「何かあったのですか?」
枕を縦にしてベッドヘッドへかけ、何もなかったように私は寄りかかる。
「実は重大な秘密が僕たちにはあったんです〜」
「どのようなことですか?」
私は思い返す。先日のチャイナドレスのスリットからのぞく、兄の足に思わず見惚れた自分がいると、認めざるを負えない現実。
そんな私の前で、兄は穢れのないニコニコの笑みでうなずく。あのまぶたに隠れているヴァイオレットの瞳は魔性で、私の心を捕らえて離さないのだ。
「僕たちはあの核戦争の中で、混乱に巻き込まれた被害者だったんです〜」
「どのような被害だったのですか?」
私の気持ちを知らずに、兄はゆるゆる〜とのんきに語尾を伸ばす。
「驚かないで聞いてください〜」
いい加減、私はイライラして口調がキツくなった。
「驚きませんから、早く言っていただけませんか?」
そして、ルナスのベビーピンクの口紅をつけた唇から言葉が溢れでた。
「僕たちは兄弟ではなかったんです〜」
「…………」
私の罪はひとつだった。神は赦してくださったのだ。
思わず言葉をなくした。ルナスのまぶたが珍しく開いて、ヴァイオレットの邪悪な瞳が姿を現す。
「やはり、驚きましたか〜」
「どちらから、そちらの可能性を導き出したのですか?」
私はついっと瞳を細めた。
「あのタイムトリップから戻ってきてから、ヒカリの言葉遣いは変化しました。そちらに何かあると思うのが普通ではないでしょうか〜?」
お兄さまは手強い――。
私と同じ思考回路をしている。事実から可能性を導き出して、小数点以下二桁の可能性の数値に変えて、物事を秤にかける。当然、生まれてきてから今までのことは、全て頭の中にすぐ取り出せるように記憶されている。つまり、忘れることが起きない。
私は頭上から神からの光が当たったような気がした。私の罪はどこにもなかった。神は私の全てを赦してくださったのだ。
「うふふふっ。ヒカリが返事を返してこないということは、図星だったみたいです」
気がつくと、兄は私の膝の上に仰向けに寝転がっていた。ヴァイオレットの瞳が私を恋の業火にくべる。
「お兄――」慌てて言い直す。「いいえ、ルナス、私の気持ちを知っていて、わざと女装をしていたのですか?」
「ええ、僕の気持ちに気づいてほしかったんです〜」
「そうですか」
ハニートラップにまんまとはまったのだ。快楽の海へ背中からダイブするような至福の時を迎えた。
私は気怠く髪をかき上げ、シーツになだれ込んでいるマゼンダ色の髪を視界の端で捉えて、逃さなかった。流れるような仕草で、ベッドの上に手をつく。
「私の気持ちを受け取っていただけますか?」
「ええ、もちろんです」
見つめ合う。視線が絡まり、体の交わりを予感させる。誘惑に駆られ異端と罪悪感に苛まれる、そんな日々はもう終わりを告げたのだ。この女性的な男にすぐさま触れたい。
「あなたに私の一生を捧げると誓います」マゼンダ色の髪を私はすくい上げ、甘美な香りを吸い込んだ。「愛しています」
「ええ、僕も愛しています」
私は前にかがみ込み、恋い焦がれてやまなかったルナスの唇に、神の前で跪くようにそっと触れ、禁断の果実に翻弄される。そして、貪るように少しずつ深くなっていくのだった。
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