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月満ちる/1
屋敷の中を流れる小川のそばへ座り、浴衣をたくし上げ素足を水の中へつけて、夕涼みをしていたが、とっぷりと日が暮れて、東の空に大きな満月が昇っていた。
虫の音があちこちで奏でられ、時折ボクたちの髪を揺らす、昼の灼熱を失った涼しい風が吹き抜けてゆく。傍に置いたガス灯がゆらゆらとオレンジの穏やかな光をもらす。
ボクは貴増参と肩を並べ、今日こそ聞いてしまいたいことを聞こうかと考えあぐねている。さっきから続くジレンマのせいで酒をぐいぐいと煽り続け、いい感じでほろ酔い気分だった。
水の流れる音はボクの心の淀みを洗い流してくれているようで、心強い。湿った空気を吸い込み、何気ないフリで話し出した。
「ねえ、許嫁がいるってどんな感じ?」
「改めて君が聞くとは、どうかしたんですか?」
貴増参はボクへと振り返った。違和感が起きないように、ボクも顔を向き合わせ、薄闇の中で彼の瞳をじっと見つめる。
「いつ追い出されるかと思って冷や冷やしてるボクが聞いても、バチは当たらないと思うけどなあ」
「ふむ」と、貴増参はうなずいて、「物心ついた時からいましたから、普通のことです」
「そう」
「ええ」
ふと会話が途切れた。虫の音と水の流れる音だけになる。そして、何度か頬を過ぎる風を感じたあと、
「ボクさ、本当は小さい時から恋をしてたんだ」
胸がチクチク痛んだ。貴増参がボクの方へ少し驚いたように振り返る。
「孔明がですか?! 今まで一度もないと、仕事に必要ないと言ってましたが、君の心を射止めたのは一体誰なんでしょう? 気になります」
「好きになってはいけない人を好きになったんだ、ボクは……」
「そうですか」
気のない返事。もしかして――ボクは足で水をかき混ぜるようにジタバタした。しんみりした気持ちがすっと消え去る。
「ねえ、これって罠だったりする?」
「ええ、実はちょっとしたものでした」
幼い頃から知っている仲。何を言っているのか、ボクはすぐにわかった。
「ということは? 婚約お披露目パーティーはいつまで待ってもこないってこと?」
「ええ。僕も彼女も他に好きな人がいたんです。ですから、お互いのために破談にしちゃいました」
「それじゃ、家の人に怒られるんじゃないの?」
貴増参は財閥の御曹司だ。しかし、当の本人からの返事は、あっけらかんとしたものだった。
「その時はその時です。僕が好きになった人は同性ですから、そちらの方がもっと問題になり、小さなことは気にならなくなるということで、破談の話はお咎めなしです」
「策略的〜!」
ボクはふざけた感じで語尾を伸ばした。
「君ほどではありません」
「ボク、いつそんなことしたっけ?」
嘘だと気づいて。嘘だと言って。貴増参からその通りの言葉がやってくる。
「君から策略を取ってしまったら、何も残らないではないですか?」
でもね、今日は――
「今はしてないよ。大事な時だから……」
「何が大事なんですか?」
「ボクの心をこの水面に綺麗に映す時だから」
ゆらゆらと揺れるボクの顔を貴増参が見ているのかと思うと、ボクの視線は月へ自然と移るのだった。
「見えた?」
「君の真剣な顔が見えます」
「そう? 心臓がバクバクいって……。口から出そうだよ」
こんな気持ちは初めてだ。それなのに、貴増参ったら――
「君はやはり嘘をつくのが上手みたいです。どんなことをしても心臓は口から出ません」
「比喩表現!」
ボクは声を荒げたフリをした。貴増参はくすりと笑う。
「冗談です。君が言えるようになるまで僕は待ってます」
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