僕が押すと決めたんです

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 空に輝く大きな丸い月。  それを見上げる僕は後ろ手に縄をくくられ、邪魔な棒切れのように地面に転がされている。この月をこんなみじめな状態で見上げる日が来るなんて、今までこれっぽっちも想像なんてしたことが無かった。  月に見下ろされながら、僕はどうしてこんな状況に陥ったのだろうとズキズキと痛む頭で考える。  僕の父親はこの村の権力者で、僕はそんな彼の一人息子。だからついさっきまで僕は何一つ不自由のない生活を送っていた。酒場でお酒を飲んでいい気分で盛り上がっていた僕は、店を出て家に向かって歩いている時に後ろから誰かに殴られた。ああ、そうだ。そして気がついたらこうなっていたんだ。  確かに僕は他の人達よりもいい思いをさせてもらってきたけれど、決して村の人達を見下したりなどはしなかった。今日だって僕のおごりで皆楽しんでいたじゃないか。それなのに村人たちは僕のことを排除した。どうしてだ。許せない。絶対に許さない。僕は生きて戻った際には村人達全員に復讐してやろうと心に固く誓う。  しかし、どれだけ復讐心を煽ってみても状況は何一つとして変わらない。  はあ。僕はこのままこの場所で朽ち果てていくのだろうか。  いつもなら綺麗で慈愛の象徴のように感じる月がとても憎々しいもののように見える。月の明かりってこんなに冷たいものだったっけ。  ぼんやりとそんなことを考えていると、少し離れた場所でパキッと枝のようなものが折れる音がした。 「誰?」  僕は体をよじり、音がした方へと顔を向ける。  砂を踏む足音がだんだん僕に近付いてくるに従って、月の明かりでその人物の顔がはっきりと見えはじめた。 「チキ?」  僕が彼女の名前を呼ぶと、彼女は口元に人差し指を当てて「しーっ」と小さな声で言い、辺りをきょろきょろと見回しながら僕のそばにしゃがみ込んだ。 「今解いてあげるね」  ポシェットから出した小型ナイフが月の光をキラリと反射する。助かったという安堵感からか、その光は怖いものでは無く、どちらかというと聖なる光のようにその時の僕には見えた。  チキは村では異質な存在として扱われている女性。そして村の誰もがその姿などないかのように振舞う対象。何らかの理由があるのだろうけど、誰一人としてその理由について口にすることは無い。だから、どうしてチキがそういう扱いをされているのか僕は知らないし、なんなら僕の友達たちだって知らないだろう。  僕もチキに対してそういう態度をとらくてはならないのだろうけど、年上にも見えるし年下にも見える、小柄で可愛らしいチキに対してどうしてもそれが出来なくて、誰にも見られていない場所ではたまに話をしたり、食べ物を分けてあげたりしていた。村の権力者の一人息子にはあるまじき行為なのだろうけど、僕にはチキを無いことにすることが出来なかったのだ。  もしかして、これが村の人たちが僕を排除しようとした理由なのか?
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