死出の旅路で/1

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死出の旅路で/1

 悪霊がいるという噂を聞きつけ、俺と夕霧は人里離れた山奥にある洞窟へときていた。民家は近くになく、携帯電話も圏外で繋がりはしない。ふたりして遭難したら、どうにもいかなくなってしまうところだ。  俺は文献から拾い上げた地図を頼りに、夕霧の前を歩いている。真っ暗闇で、静まり返った洞内に滴が落ちる音が鳴り響く。  男ふたり、おしゃべりなタイプでもなく、黙々と前へ進む。  俺と夕霧は物心ついた時から、そばにいた仲だ。大抵のことはお互いよく知っている。あえて言わないことはあるが。ただ、問題なのはお互い腰が重いということだ。新しい変化を招き入れない性格。恋心もそうで結局お互いにはぐれたまま、今年で二十八になる。  あともう少しで最奥部の行き止まりだ。その時だった、ゴウッと地の底から揺れるような轟音(ごうおん)が響くと、ガラガラと天井から瓦礫が落ちてきたのは。 「っ!」  慌てて、両腕で目をふたりとも覆う。動けずにしばらくいたが、ドスンと大きな物音が響くのを最後に、にわかに静寂が訪れた。  目を開けると、今きた道は瓦礫で覆われていた。明かりは頭につけているライトのみで、他に抜ける道はない。完全に閉じ込められてしまった。  男ふたりきりの密閉空間。それぞれで手分けして、壁をあちこち押してはみるものの、隠し扉さえも見つけられなかった。 「悪霊の仕業か?」  夕霧の地鳴りのような低い声が言った。俺は霊感を研ぎ澄ましながら、ヒヤリと冷や汗をかくのを誤魔化す。 「そうならよかったんだけどねえ。特にそばにはいないから、ただの土砂崩れだね」  物理的な事故だ。それ故に、解決策が人里離れたここにはない。幽霊の仕業ならば、退治するなり交渉をもちかければいいことだが。 「どうやって、そとへ出る?」 「この地図に、逃げ道は書いてない」    今更、広げる必要もない。覚えてしまっているのだから。 「ということは……」 「空気がなくなるまでの命ってとこかねえ」  後ろで結んだままの髪をいじりながら、俺があっけらかんと言うと、夕霧はあきれため息をついた。 「(よう)は昔からそうだった」 「何の話?」  ごちゃごちゃ動くだけ、酸素を無駄遣いなだけ。俺は早々と地べたに座り込み、壁にもたれかかった。 「命の危険が迫っているというのに、切羽詰まった感じがせんかった」 「それはお互い様でしょ。夕霧だって、そうだったでしょうよ?」  ただ突っ立っているだけで、動きもしないのだ、この男は。座ったという動きをしただけ、俺の方が少しは身に堪えている感が出ていると思うのだが。  薄闇の中で、夕霧の無感情、無動のはしばみ色の瞳が見つめてくる。 「俺はただ感情を表に出さんだけで、命の危険に恐怖はあった」 「そう」  そして、幼い日々で同じような目に遭った時刻へと、俺と夕霧の意識が飛んだ。 「あの時は、助けにきてくれた人間がいたが、今回は助けは呼べん。終わりだ」 「そうだねえ。獣もいないくらい気配なかったからね」  絶望的だ。もう直ぐ日が暮れる。明日の朝までは空気はもたない。夢を見ながら、死出の旅路へと洒落込めそうだ。 「お前に恐怖心はないのか?」  いつもと違う夕霧が見れて、これ以上ない至福の時だ。俺はそんな気持ちを微塵も見せず、口が達者というように長々と流暢に言ってのける。 「あったとして、それが何の意味をなす? 焦っても、落ち着いてても、空気は一定時間でなくなるようになってる。人間いつかは死ぬ。その時がきたのかもしれないでしょうよ」  余裕ぶっている俺に夕霧が聞く。 「そこまで落ち着いていると、何か得策でもあるのか?」 「ないねえ」 「くくく……」  夕霧は握った拳を唇につけて、噛み締めるように笑った。俺は珍しくため息をつく。 「お前だって、笑ってるでしょうに。こんな命があと少しの状況で、どうなってるんだか」  お互い様だ。岩みたいに腰の重たい俺たちには、動揺ということが天地がひっくり返っても起きないのだ。俺はおもむろに口を開く。 「最後に何か言い合うのもいいかもしれないねえ」 「何を言う?」 「親友同士でも打ち明けられなかった秘事を、冥土の土産にするってのが乙でしょうよ」  死ぬまでまだ時間もあることだし、罠でも仕掛けようか――。俺は素知らぬ顔で提案するフリをした。  夕霧は座らずに立ったまま軽く壁に肩をつけ、腰の位置で腕組みをして物思いにふける。 「言えなかったことか……」 「そう言えなかったこと」  先を促して、俺は薄明かりに浮かぶ男の顔をじっとうががう。 「幼い頃、今みたいに閉じ込められた時があった」 「そんなこともあったねえ」 「お前が花飾りを作っていた」 「やることなかったからね」 「でき上がったのを、俺に被せて、お前は似合っていないと笑った」 「あれはほんと似合ってなかった。夕霧は男っぽいんだね、小さい頃から」  こんな時に不謹慎だが、あれほど似合わないものが世の中にあるのかと思ったほどだった。俺はライトから外れた薄闇の中でくすりと笑う。 「俺はムキになって、燿に被せ返した」  その時の夕霧の息を飲む仕草が何を意味していたのか、俺はずっと気になっていた。 「黙ってたけど、どう思ってたの? それは今是非とも聞きたいねえ」
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