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「やあ、だいぶ待たせてしまったようだね」
そう言って、微笑む彼の右手に握られているのは、たくさんの赤いバラと白いカスミソウの花束。
百本の真っ赤なバラの隙間に、かすかに白い色のカスミソウが混じる。
本数にも拘ったのだろう。
顔が隠れるくらい大きな花束で、ぎっしりとバラが詰まっている。
バラの本数が多すぎるため、カスミソウとの比率がアンバランスとなってしまっている。
赤と白のバランスは悪く、ほとんど真っ赤で、目をこらさないとカスミソウの白が見えない。
左手は背中の後ろに回されて見えないが、何かを握りしめているようだった。
花束の意味するものは明白だ。
古来より、赤いバラとカスミソウの花束は、プロポーズのお決まりだ。 赤いバラの花言葉は「あなたを愛しています」で、カスミソウの花言葉は「永遠の愛」なのだから。
永遠にあなたを愛し続けますという気持ちをを込めて、プロポーズの際に渡すことは花言葉に疎いものでも知っているだろう。
見えない左手に握られたものは、きっと指輪に違いない。
私は、人生で最上の笑顔で彼を迎え入れる。
クリスマスの夜を彼と過ごすために新調した白いドレスがちょっと早いウェディングドレスのようで恥ずかしい。
「ええ。待っていたわ。貴方がきっと来てくれるって信じてた」
私たちが、付き合い始めて早七年。
年齢もお互いに三十歳になり、決して若いとは言えなくなった。
昨今の初婚年齢を考えると、まだまだ行き遅れたとは言えないのだけれど、それでもやっぱり焦りのようなものや不安はある。
年齢なんて関係ない・・・・・・
そんなのはキレイゴトだと思ってる。加齢による価値喪失は現実にあるし、私だって自覚はある。自分が男だったら、若い女性の方がいいに決まってる。年を重ねれば肌だって張りが違うし、シミだって出てくる。
どんなにかわいらしく振る舞っても、オバサンだという現実は変わらない。
だからこそ、自分の賞味期限を意識せざるを得ないことに、苛立ちを募らせていた。
若いうちは良い。
ただ、若いというだけでちやほやされることだって多いし、許される部分も多いから。自然と男性も周りに集まってくる。
でも、歳を重ねると、それがなくなってくるのを実感する。
本人が気にしてなくても、回りが哀れみの目で見てくるし、訳あり物件扱いしてくる。
男性ならば、独身貴族を謳えるけど、女性の場合はなかなか世知辛い。幸いにして、そういうことを口に出して言われることはない世の中にはなったけど、内心が見え隠れするから結局は同じ。口に出して言うか言わないかの違いでしかない。
幸いにして、私の家は資産家で、お金には一切不自由はしていなかったし、住んでいるタワーマンションも親が家賃を払ってくれている。
そのお陰で、生活の不安だけはなかったけど、女としての不安は別。
どんなにお金を持っていたとしても、老化には抗えない。
お金を持っているからこそ、お金で買えないものがあるということに気付くし、それが欲しくなる。
やっぱり、人並みの幸せは欲しいし、今後の人生でさみしい思いをするのは嫌だ。
長く付き合えば付き合うほど、その状態で落ち着いてしまって、結婚ということにはならないんだなぁって最近特に感じる。タイミングを逃した感じは否定できない。
いっそ、お見合いとかで数ヶ月でゴールインとか、できちゃった結婚がベストなんじゃないかとさえ思う。
何度かお見合いの話もあったけど、煩わしさでしかなかった。
今思うと、あれは数少ないチャンスだったのかも知れない。
付き合い始めの頃は、私も仕事や遊びに夢中で、自由が大事だって感じてた。お互いが好きで、自由な関係が気軽だと。束縛もしないし、したくもない。
そういう感じが重いと感じていたし、許容力のない女だと思われたくもなかった。
依存してると思われるのはプライドが許さなかった。
常に余裕をみせることで、自分の価値が高いと思い込みたかったのかも知れない。
結果、浮気についても、干渉しないことにしていたし、それはお互いが自由でいるために取り決めたルール。
私も付き合っている最中に、別の男に抱かれたりしていたし、それは彼も知っている。知っていても、彼は文句は言わない。
だって、最初にそう決めたルールだから。
彼が何人もの女性と浮気しているのを私は知っている。でも、私も文句は言ったことがない。
だって、最初にそう決めたルールだから。
そんな関係が続いて七年。
私は初めて彼の浮気を罵って、大げんかした。
クリスマスの過ごし方を話そうと呼び出された場所で。
つい、先週のことだ。
けんかの原因は彼が私の妹に手を出したのを知ったから。
六つ年下の妹は異性に対して積極的で、独占欲が強い。
お金に対しても貪欲だし、相手に相応のものを求める。
また、結婚願望もあって、ストレートにそれを口にする。
私から見ても、かわいくて、とにかく要領が良い。
成績も常にトップだけど、鼻にかけることもなく、回りから嫌われることもない。
でも、私は妹の裏の顔を知っている。
妹は、非常に狡猾で、計算高いのだ。
損得勘定で動くし、目的のためには手段を選ばない非道な面を持っている。
たちが悪いのは、それに気付く人が誰もいないということ。そう立ち振る舞うことができるだけの頭脳と演技力があるのだ。
そんな妹がよりによって、彼と浮気していたのは意外だった。
だって、私の彼はお世辞にも容姿、収入、資産、家柄などが良いとは言えず、全て並の人だったから。
妹がそんな彼と間違っても一夜をともにすることは考えられなかった。
ましてや、結婚を前提にお付き合いなど絶対にあり得ない。
彼にとっては、私よりも若くてかわいい女と結婚できることは利点に違いない。しかも、私と妹が均等に財産を相続したとしても、散財さえしなければ、一生働かないでもくらせるくらいの資産を得られる。
当然ながら、私と同等の資産を持っていることになるんだから、私のアドバンテージはなくなる。
私だって自分がそれほど魅力的な女性だという自惚れはない。
かわいくて、利発な妹に乗り換えるというのであれば、ある程度の諦めはつく。
ただ、妹は結婚を前提に付き合っていると宣言し、あろうことか、彼を譲ってくれるのであれば、全ての財産を放棄しても良いと言ってきた。
あの妹が、だ。
常に相手のステータスを数値でしか見ず、自分のメリットにないことはしない打算的な子。そんな妹がなんの取り柄もない彼と全てを投げ打ってでも結婚したいなんていうのは意外だったけど、それだけ彼を愛してしまったのだろう。私は、そこに妹の本気を見た。
七年も付き合っている私が言うのも何だけど、彼のどこが良いのかわからない。
夏の終わりに妹に会ったときには付き合っている男を紹介された。
つい数ヶ月前のことだ。
IT企業の御曹司で、彼自身も動画配信サイトを開設しているとのことで、何度か見たことがある有名人だった。
改めて動画を見ると、なかなかに外見も良い。
私は、会ったときに、「ああ、妹が選びそうな人だな」と思ったのを覚えている。その時には年始には結婚すると言っていたはずだ。
それが今は私の彼に手を出している。
クリスマスの打ち合わせをすると呼び出され、彼にはその場で別れ話を切り出された。さして興味も失せていた私は、気軽に承諾したのだが、その後に紹介されたのが妹というわけだ。
妹の財産放棄の申し出が私の自尊心を大きく傷つけた。
年下でかわいく、利発な妹に彼がなびくのは仕方ない。
でも、私と結婚すれば何不自由ない暮らしができる。
今までも自由にさせていたし、一度たりとも結婚なんかの重い言葉も吐かずにいた。
そういった自由や、先々の生活、資産を捨てでも妹を取ることを選んだ彼が許せなかった。
一般の女性と比べたときの唯一のアドバンテージ。
自由や資産などを全て捨てでも、妹の方が良いというのが私には理解できなかった。
お前なんか、数億円もらっても結婚しねぇよって言われたのと同じでしょう?
私を馬鹿にしてると思った。
私の中で何かが崩れる音がした。
その後は、場所をわきまえず、大声で罵倒し、その場を後にした。
今になって思うと、その時のことはよく覚えていない。
後日、少し冷静になった私は、彼にメールを送る。
「もし、やり直して私と結婚する気があるのなら、クリスマスの夜にお台場クイーンズホテルのスイートルーム『あざみ』に来て」
クリスマスの夜、彼はバラとカスミソウの花束を持って現れる。
「やあ、だいぶ待たせてしまったようだね」
着慣れない正装がぎこちなく、こうして部屋に来たことへの気恥ずかしさだろう。視線がどこか定まらず、落ち着きがない。
よくもまぁ顔を出せたもんだと思わなくもない。
でも、それも覚悟の上での来訪であれば、それだけ私のことを好きなんだという裏返しと取ることもできる。
そう考えてしまうようでは、私も都合が良い解釈をする女だなと思う。
我ながら未練がましいというか、馬鹿だ。
私はちょとした意地悪がしたくなり、彼に尋ねる。
「あら、今日は妹は一緒じゃないの?」
私もかわいくないなと思う。
自分でもわかっている。
こういうところが、私が今まで結婚できずにいたところなんだと思う。
彼にプロポーズをさせない雰囲気を作っていたのは私。
もっと、弱い私、素直な私を見せないと・・・・・・
「ごめん。俺、気付いたんだ。誰が一番大事なのかを。七年も一緒にいて、全く気付かなかったなんて、馬鹿だよな・・・・・・」
自嘲気味に微笑む。
私は全てを許しそうになる。
でも・・・・・・
ごめんなさい。
もう、無理なのよ。
私は貴方を許すことができない。
用意した赤ワインには致死量の毒があるけど、白ワインは普通のワイン。
今夜のために、二つ用意したの。
態度と気分次第で、どちらでも出せるように。
あなたは・・・・・・
どちらのワインがお好き?
選ぶのは私だけど、ね。
私はどちらのワインを提供しようか考える・・・・・・
と、いうのはないの。
実は、もう決めておいたのよ、貴方が来る前から。
貴方には、赤ワインを勧めることにすると。
それが、この七年間の気持ちよ。
もちろん、今日、この日までも含む七年間のことよ?
十日前までの七年間という都合の良い区切りはできないわ。
むしろ、大事なのは、現在に近い過去じゃないかしら?
私は夜景が見える場所にセットされたテーブルの上にあるワインのボトルを開け、グラスに注ぐ。
無論、自分のグラスにも注ぐが、毒入りワインを飲むつもりはない。
残念だけど、お一人で召し上がって。
私は白いワインをいただくわ。
「ワイン用意してあったのかい? 俺が来ると信じてくれていたのか・・・・・・」
彼はその場から動かずに私に尋ねる。
まだ、私が笑顔で迎え入れたことに戸惑いを覚えているのだろう。
「ええ。貴方ならきっと、妹ではなく私を選んでくれると思っていたわ」
嘘。
彼は妹の本性を知らない。
あの子がどれだけ狡猾で、打算的な子なのかを。
貴方に会う前に、すでに妹とは話をしたわ。
元々頭が良くて、損得勘定が得意な子・・・・・・
冷静になって話をしたら、すぐに貴方への気持ちは薄れていった。
結局、元の御曹司と結婚をすることにしたそうよ。
私へのお詫びと言って、二種類のワインをくれた。
無情の赤ワインと、有情の白ワイン。
姉思いのかわいい妹・・・・・・
そして、恐ろしい子。
貴方は妹に捨てられ、泣く泣くここに来たのでしょうね。
すでに妹に振られたことは知ってるの。
あなたにメールを送る前日、本人から聞いたんだもの。
だから、来るしか選択肢はなかったのでしょう。
正確には、妹と私という選択肢で私を選んだわけじゃない。
独りと私という選択肢の中で選んだのよ。
でも、いいわ。
それでも来てくれたことは事実だから。
妹に捨てられたからといって、私の元に戻ってくる保証なんてないもの。
経過はどうあれ、貴方は私を選んだということよ。
それは本当に嬉しく思うわ。
今なら、自分の気持ちに素直にそう言える。
「いつまでそこに立っているつもり? もう怒ってはいないわ。乾杯しましょ」
怒ってなんかいないわ。
むしろ、喜んでいるのよ?
貴方が来てくれて。
今、私はこの七年間で最も裸に近い心で貴方に接することができていると思う。
最初からこうしていれば良かったのかも知れない。
過ぎたときは戻せないけど、本当に後悔しているわ。
これからがあるのなら、私はできる限り、自分を晒してみたいと思う。
もちろん、すぐに完璧にはできないと思うけど。
「そ、その前に渡したいものがあるんだっ」
声が上擦りながら、彼は叫ぶ。
目は泳いでいて、緊張なのか、額から汗が出ている。
最近は女性からというのもないわけじゃないけど、男性ってこういうときに大変よね。
一世一代の大勝負って感じがして、緊張感が伝わるわ。
って、本当は私も当事者なんだから、緊張しなければおかしいんだろうけど。
高校生が、異性に放課後桜の木の下に呼び出されるのと同じで、バラの花束もって、左手を背中の後ろに回していれば、余程の馬鹿じゃなければ用件はわかる。
何よりも、前もって結婚を仄めかしているわけだから。
こんな時、女性ならばどう対応するのが良いのだろう。
何もわからないフリをするのがかわいいのかな。
指輪をもらった後は、泣いた方が良いのかしら。
それとも黙って抱きついた方が良いのかしら。
彼の安月給じゃ、たいして指輪には期待できないけど、気持ちよね。
そこは態度に出さないようにして、彼の面目を潰さないようにしないと・・・・・・
妹ならば、最も感動的な演技ができるのにな・・・・・・
私は、敢えてキョトンとした顔をして、彼に近づく。
我ながらちょっと、わざとらしいかなとも思う。
でも、彼にとっては半分はサプライズ要素があるんだから、これも優しさよね。
「あ、ま、まずはこの薔薇の花束を受け取って欲しいんだ」
女性に花束など渡したこともないのだろう。
急に私の目の前にバラとカスミソウの花束が突きつけられる。
透明のラッピングが鼻先をかすめ、視界のほとんどが赤いバラの遮られる。
甘いバラの芳香が鼻腔を突き抜け、脳に甘美な感情を引き起こす。
「もう!顔に突きつけるようにして渡したら、貴方の顔が見えないじゃないの。ふふっ」
笑いながら、花束を両手で受け取る。
「・・・・・・っ。あ、あぁっ」
突如、私の胸に急激な熱と痛みが走る。
受け取った花束を一度握りしめたが、少しずつチカラが抜けて、床に落としてしまった。
まるでスローモーションのように落ちていく花束を目で追っていくうちに、私のドレスが血で真っ赤に染まっていることに気付き、彼が背中の後ろで左手に持っていたものがナイフだとわかった。
今、そのナイフは彼の左手にあるのではなく、私の左胸にある。
深く刺さった状態で・・・・・・
「ごめん。俺、気付いたんだ。誰が一番大事なのかを。七年も一緒にいて、全く気付かなかったなんて、馬鹿だよな・・・・・・」
先ほどと同じ台詞を言っているが、今度は自嘲気味などではない。
実に下品な、なにか成し遂げたような顔・・・・・・
私はその表情を見て、全てを理解した。
薄れゆく意識の中で、彼の声がかすかに聞こえる。
「ふふふふふ。誰が一番大事なのか。それは、君の妹さ。七年もあったんだ。最初の一年で紹介してくれれば良かったのにな。そうすればお互いに無駄な七年を過ごさなくてすんだのに」
チンっとグラスを合わせる音が聞こえる。
「せめて、君が入れてくれた白ワインを献杯の代わりとさせてくれ」
もう視界は真っ暗で、声も聞こえない。
ただ、感覚が失われ、寒気がする。
眠くなってきたみたい。
実際に飲んだかどうかはわからない。
でも、間違いなく飲んだという確信があった。
七年も付き合った彼の行動くらいわかるわ。
ああ、こんなことなら白いワインではなく、赤いワインを注げば良かったかしら。
私の白いドレスが血で赤く染まったように、今からでもワインを白から赤に変えられたら・・・・・・
ううん。
結局はどっちでも一緒。
私は彼を許してしまった。
絶対に赤いワインを飲ませると決めていたのに・・・・・・
私のプライドを傷つけ、裏切った彼を許すことはないと思ってた。
でも、貴方の持ってきたバラとカスミソウの花束を見たときに、不思議と殺意が消えてしまったの。
赤いバラの方が目立つはずなのに。
バラの方が主役のはずなのに。
なぜだか、カスミソウに目を奪われてしまったの。
真っ赤なバラの中にほんの少しの白いカスミソウ・・・・・・
大部分が見栄やプライドなのに、わずかばかりの素直さがあればと思う私自身の気持ちと重なったのかも知れない。
真っ赤な嘘で塗り固められた本心の中に、ほんのわずかに残った純真無垢な白・・・・・・
普通の人には赤い花束に見えたかもしてないけど、私には白い花束に見えたのよ。
だからかしら?
赤よりも白を選んでしまった。
でも、今回ばかりは後悔はないわ。
多分、いえ、間違いなく私は貴方を本当に愛していたのよ。
じゃなきゃ、何の取り柄もない人と七年も付き合わないもの。
私は最後に自分の気持ちに気づけた。
それで幸せ。
最後に素直になれた。
白いワインを選んだのが何よりの証拠よ。
だから、後悔なんかしていないわ。
私を待っていたものは・・・・・・結婚なんかではなく、死。
でも、
彼を待っていたものも・・・・・・結婚なんかではなく、死。
意外と、私たち、あの世で結婚できるかも知れないわね。
私の気のせいかしら・・・・・・
何かが私の手に触れたような感じがする。
これは多分、彼の手。
何度も握った彼の手。
できれば、十日前に握って欲しかった。
私は様々な思いがこもった笑みを浮かべ、永遠の眠りについた。
「お姉ちゃんも、二十年以上一緒に過ごしてきて、私のことがわからなかったのかなぁ。お姉ちゃん、甘いんだよなぁ。私が意地悪しても、必ず最後は許すんだもん。きっと、今回も彼を許しちゃうんだよね・・・・・・きっと。だから、どちらのワインにも毒は入っているに決まってんじゃん。どっちのワインを選んでも、お姉ちゃんたちを待っていたものは死だよ」
「私を待っていたものは・・・・・・莫大な財産と幸せな結婚だね♪」
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