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俺は愛人とさよならした後、妻が待っているアパートのドア前で深呼吸を一回する。
あいつは口うるさい。なるべくなら寝ていて欲しい。
それからドアノブをゆっくり捻り、小さな声で「ただいま……」と玄関で靴を脱いだ。ギシギシ軋む廊下を歩いて行くと、リビングのドアの小窓からぼんやり明かりが見えた。
まだ、起きてやがる。
ドアを開けた途端に飛んで来た甲高い声。
「今日の朝、またゴミ捨てしなかったでしょ? ゴミが玄関に置きっぱなしだったわよ!」
パジャマ姿で腕を組み、仁王立ちをしている妻。また始まった。いつもの事だ。
「ごめん……」
「ごめんじゃないわよ!何度目?!」
「人間なんだから……たまには忘れたり……するだろ?」
「はぁ?! あなたの場合はいつもじゃない?!」
ガミガミガミ……本当にうるさい奴だ。その大きな口がいけないんだな。だから、いくらでもイヤミが出てくるんだ。
「何よ? 文句ある?」
「あ、いや……」
あの子の口は、もう少し小さくて可愛らしいのにな……。
「明日はちゃんと捨ててよ! おやすみなさい!!」
「あぁ、おやすみ……」
バタン!
ドアももう少し静かに閉めろ。
はぁ〜本当に毎日疲れる。うるさい妻を持つと大変だな。あの子はおとなしくて、こんな風にガミガミ言わない。そういう所が可愛くて大好きなんだ。
あいつの口なんか開かなくなればいい。
そうしたら、ガミガミ言われなくて済むんだ。
「うるさい口は開かなくなってしまえばいい」
またそんな事を思いながら布団を被り、就寝に就いた。
「おはよー」
リビングのドアを開けると、ソファーに座っている妻の背中に声を掛ける。
「……」
返事がないのは良くある。
「朝ごはん、これあっためればいいのか?」
「……」
いつも口うるさいのに、やけに今朝はおとなしいな。妻の両肩がブルブル震えている?
どうした? まさか、本当に……
「おい!!」
ソファーに寄って、妻の肩をグッと掴んだ。
振り向いた顔は恐怖に慄いていて、口元はギュッと閉ざされていた。
……というより、口元が縫われていた。それは、糸と針で縫い合わせたみたいに見事に閉じられている。
モゴモゴと唇を動かす妻は、全く言葉を発する事が出来ない。糸と皮膚の間からは、赤黒い液体がじんわり滲み、少し青白くなった唇のラインを撫でて垂れた。
「お、おい!!どうしたんだ!!」
「……」
妻は裂けそうな唇を震わせながら、ソファー下のフローリングを指差した。その場所に目を向けると、そこには……
手のひらサイズの黒い小人が居た。
1人ではない。6人だ。
えぇ?!
俺は二度見した。だって、小人や妖精なんて今まで見た事がない。というか、そんなものはこの世に存在するわけがない。
でも、目の前には黒い色をした小さな人間が、ニョロニョロと手足を動かしたり、みんなで楽しく耳打ちなどしている。
「お、お前たちは何者だ?!」
黒い小人たちはみんなで寄り添い、ザワザワ話をすると、その1人が小さな指で俺を指して呟いた。
「われわれはお前の中から生まれた」
「そうだ、そうだ」
「お前の心の中から生まれたのだ」
「昨日、こいつの口が開かなくなればいいと言っただろ?」
「だから、口を閉ざしてやった」
「お前が寝てるうちにおへそから飛び出した」
「お前の汚いドス黒い感情が、われわれを生み出したのだ」
真っ黒い6人は被せるように喋り出し、妻のつま先から足の甲へ登る。
俺の汚い感情から生まれた?
昨日あんな事を思ったから、それをこいつらが実行したというのか?
妻はその黒い物体を見て、額から大量の汗を垂らしながら、首を左右に必死に振って怯えている。首を振るたびに縫われた唇は引き裂かれ、血が飛び散る。
こんな事……起こるわけがない。
俺は頭がパニックになっていた。
そんな時、ギィッとリビングのドアが開く。
ザワザワザワザワ
そのドアから入って来たのは新しい黒い小人。
ひしめき合うように、押し合うように、
ゾロゾロゾロ……
次から次へ、部屋の中に入って来る。
その数は、100人?!
「われわれは二手に別れる」
「あの男とあの女だな」
「じゃあ、ここで半分だ」
「分かった。われわれは男を」
「分かった。われわれは女を」
二手に別れた小人たちは、一足先に妻の体全体によじ登ると、小さな体で何かを探していた。
それを見つけると、一気に穿り出そうと蠢いて暴れ出す。
妻の体が震え、右手だけが助けを求めて天を彷徨う。
助けなきゃと思いながら手を伸ばすと、俺の体中にも黒い大群は押し寄せていて、もう身動きができなくなっていた。
フローリングに倒れ込むと、妻の体から赤い血飛沫が上がるのが見える。不気味にくちゃくちゃ音を立てながら、黒い小人たちは生々しい内臓をみんなで掲げて笑ってる。そこから繋がれた管を強く引きちぎると、こちらに向けてそれを投げた。
ビシャッ!
微かに見える隙間からそれを見る。
たぶん、妻の心臓だ。
綺麗なピンク色が目に焼き付く。
「われわれはミサキの心から生まれた」
「そうだ、そうだ」
「ミサキはお前の妻の心臓を取り出して殺したいと思っていた」
ミサキが?
あのおとなしくて、可愛らしいミサキが?
「そして、お前はゴミだと言った」
「奥さんと別れてくれないから、もういらない。捨ててやると言っていた」
「ゴミみたいに捨ててやると言った」
「うん。言った!言った!」
ミサキが、俺を……ゴミに?
「覚悟しろ!」
俺は首筋にチクッという刺激を感じると、意識を失った。
数時間後、目を覚ますと何かに包まれていた。
ん?
袋?
ゴミ袋?
座り込んでいる地べたは硬くて痛い。
鼻をひん曲がらせる様な異臭。生臭さ。
まさか……
近くで車が停まる音がすると、騒がしい音がする。人がバタバタ走る音も聞こえる。
体が宙に浮く感覚がすると……
「おっもいなー手伝ってくれ!」
「何だこれ? 異様に重いな!」
「人でも入ってるんじゃねーの?」
声が出ない!
俺の口も縫われているのか?!
体が舞い上がり、何かに放り込まれると……
俺の体は金属の羽に巻き込まれて、ゴキゴキと跡形もなく砕かれていった。
脳みそも
内臓も
全て……粉砕した。
この後俺は、生ゴミとして焼却処理される。
人間の心の中にある、汚いドス黒い感情。
明日、黒い小人がやって来るのは……
あなたの所かもしれない。
〈完〉
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