1

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

1

「一緒に抜け出さない?」 その声が耳にふわっと溶けると、私は意識をもう一度取り戻した。 「え?」 顔を見上げる間もなく、私は右手を掴まれて満員電車から突然、降ろされた。 ドアが勢いよく閉まると、ガタン、ゴトン、と電車はまた走り出す。誰かの手によって、私は駅のホームに投げ出されたのだ。 電車の車内は、息が詰まるぐらいの恐怖感がある。 それはあの日からだ。 ようやく乗れるようになったと思ったら、電車の急停車でまた、あの日の追憶。ガタガタ体が震え出し、呼吸が苦しくなり、心臓が大きく振動した。額からは冷や汗が絶え間なく垂れる。 そんな私の様子を見たのか、今、目の前にいる彼が、そんな息の詰まる空間から救い出してくれたのだ。 「あ、ありがとうございます!」 私は恥ずかしくなって、目線を外しながら右手をバッと離した。 「大丈夫?顔が真っ青だよ?」 ホームに爽やかな風が吹き抜ける中、それよりも清々しいほどの優しい笑顔が目の前で弾ける。その一瞬で、鼓動が急に跳ね上がる。 私は彼に一目惚れをしてしまった様だ。 それから私たちは何回か会うようになり、彼からの思いがけぬ告白で、念願の恋人同士となる。彼は本当に優しくて、私を大事に思ってくれて、辛い過去なんて心の奥の隅においやっていたのに。 あの日からちょうど3年が経過したある日。 まだ少し電車は怖いけれど、彼が隣で手をギュッと握ってくれれば大丈夫な気がした。 この後、どこに行こうか?などと話し合っていた時、突然、電車が急停車。 ドキドキドキドキ…… 鼓動が耳の奥を打つ。 甦ってくるあの日の怖い、悲しい記憶。 ◇◇ 通勤電車が突然、急停車したあの日。いつもの満員電車。停車した瞬間、人の雪崩れが起き、私はそれに巻き込まれた。 車内は騒然。 私はあまり巻き込まれなかったから、擦り傷程度だったが、1番下にいた人は人のドミノ、人の肉圧ですごい衝撃を受けたに違いない。 子供の泣き声。 痛い、痛い、と叫ぶ声。 男の人が誰かを呼ぶ声。 ぶつぶつと何かを言いながらイライラを募らせている人も多々いた。 そんな異様な雰囲気の車内は、どんよりとしていて息苦しく、今すぐにでも解放されたいと思った。 それからだいぶ経った時、ようやく駅員さんが車内から出る様に案内をしてくれた。その時にも、人間の醜さや汚さを目の当たりにする。 「大事な会議があるんだ。先に出させてくれ」 「こんな場所1秒でも居たくない。先に降ろしてよ!」 先にその下敷きになっている数人を救うべきだろうが。そんな人々の心ない言動に、大きなため息が漏れる。 私が電車から降りた時、スマホが震えた。出ると珍しく父からの電話だった。 そこからの記憶は、あまりない。 内容が衝撃すぎて、一気に脳の中に飛び込んできたのは覚えている。 その後見た青いビニールシート。 白い救急車。 目の際に映り込む赤い液体。 この時、ようやく、その内容を理解する。 「直樹が電車に飛び込んで自殺をした」 その電車はさっき私が乗っていた電車で。 弟が飛び込み自殺をした事で、私たち家族は大変な思いをする事となる。鉄道会社への損害賠償金は支払ったが、その後、近所からの酷いバッシングに合い、私たちは引っ越しをした。 それから私はずっと電車に乗るのが怖かった。 あの日、弟が電車に飛び込んだという事実。 あの日の車内のどんよりした不気味な空気。 泣き声、叫び声。 人間の醜い部分。 ◇◇ 「……美里、大丈夫?」 「あ、うん。大丈夫だよ」 「すぐ動き出すといいけど」 彼が私の肩に手を回し、優しく支えてくれる。 その時、私のスマホがポケットでブルブル震えた。画面を確認すると、母の姉のまさこ叔母さんからだった。 「もしもし」 「あー、みーちゃん?」 「うん。叔母さんどうしたの?」 「あのね、紀子も隆さんもお家にいないのよ」 「どっかに出かけたんじゃないの?」 「それがね、連絡しても繋がらないし。車も置きっぱなしなのよ。おかしいでしょ?」 それはおかしい。出かける時は車を使うはず。 「おばさ……」 続きを言おうとしたが、隣にいた彼が私のスマホを取り上げ、画面をクリックした。 「え?何するの?」 彼はニタリ、と口元を揺らすと、私のスマホを床に放り投げ、右足で遠くまで蹴り飛ばした。 「僕の事、覚えてないの?」 彼が指差したベンチには、手足を縛られた両親が知らない間に座っていた。 口元をガムテープで塞がれ、2人はガタガタと震えながら、恐怖に慄いた表情を浮かべている。 「蒼?ど、どういう事?」 「本当に覚えてないんだね」 「え?」 「雪乃の復讐に決まってんだろ」 (つづく)
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!