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ママが、死んだ。病気だった。癌だった。目の前のベッドは空っぽだ。そのベットに触れると、ママの温もりはもうない。ただ空間があるだけだった。悲しいのに、涙が出てこない。悲しいという感情が抜け落ちている。
パパは、いない。不倫して、発覚して、家を出て行った。パパは大嫌いだ。悲しい感情はないのに、憎しみだけが存在している。
*
私はママの姿を脳裏に浮かべたが、やはり涙が出てこない。ママが居なくなって、三ヶ月。悲しいのに一回も涙が出てこない。泣けないのだ。
私は暗闇で職員さんの話を頭の中で反芻させた。
『なっちゃん、急だけど明日から児童養護施設に入所することになったの』
私が今いる、児童相談所に新しく男の子が入ってきた日、いきなりそう宣告された。
唯一の肉親を失い、次の居場所が見つかるまで預けられた児童相談所。そこは静かで、暗く、外にも行かせてもらえない。
一人、独房室のような部屋の布団に腰掛けているのにも飽きてきた。ここで夜を過ごすのも最後だろう。消灯時間はとうに過ぎていて真っ暗だ。普段ならなんとか眠れているが、今日は無理だった。
施設に行く。それはもう、家が確定されてしまったということだ。仄かに抱いていた親戚の家、という期待も失せて行く。親戚と会う機会がほとんど無かったのに加え、ママの医療費の一部さえしてもらった身だ。貧乏神とも呼べる私を引き取ろうとする人は誰もいなかった。
──不意にコンコン、とノックが鳴らされた。返事をする前にキィ、とドアが開いた。
そこには見知らぬ少年が笑みを浮かべて立っていた。
「なっちゃん」
少年は初対面のはずなのに私の渾名を呼んだ。
「急に……なに? 君は誰? ……それに消灯時間は過ぎてるのになんでここにいるの?」
「なんでっていいよ。僕は……タツヤ。ねぇ、明日施設に行くんでしょ。太陽の家って言う児童養護施設」
どきり、と鼓動が跳ねた。タツヤくんはなんでこんなに知っているのだろう。
「な、なんで……」
声がうわずる。タツヤくんはもう一度「なんだっていいんだよ」と呟いた。
「これは、予言」
彼はポンと言葉を放った。
「予言?」
「朝がくる、太陽の家に行く、“太陽”が昇る、夜は明ける」
詩を読むような口調でタツヤくんはそう述べた。
「太陽が昇って夜が明ける」
タツヤくんはもう一度そう言って「元気でね」と続けた。あっと思った瞬間に彼に姿は消え、ただ柔らかくなってきた闇があるのみだ。
何者だったのだろう、と首を傾げつつ小さな窓を見た。闇は少しずつ白ばんできている。少し、胸が温かくなる。同時にぽろっと涙がこぼれ、膝に顔を埋めた。
──太陽が昇る。朝が来る。夜は明ける。
私はそう呟いた。
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