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「お、良かった。まだ残ってたか」
ミヨイとヤンが外に出たところ、慌てた様子で所長がやってくる。
よく見ろ、残ってない。もう退社してんだろ。
そう思ったことはおくびにも出さず、ミヨイは「おつかれさまです」と会釈する。
「どうかしましたか?」
「ああ、悪いんだがどっちか残業頼めるか。急な依頼が入ってさ」
「あ、じゃあ俺やりますよ」
すかさずミヨイは手を挙げた。
「いいのか」
「ヤンさん、奥さんとお子さん、待ってるでしょ。俺、この前もお世話になっちゃったし、早く帰ってあげてください」
「やあ、すまないな。じゃあよろしく頼むよ、ミヨイくん」
恐縮するヤンに微笑むと、何を勘違いしたのか所長が微笑み返してきた。
お前じゃねえよ。
そう思うけど、やっぱり言わない。
愛想笑いもそこそこに、いま閉めたばかりの事務所の鍵をミヨイは開ける。
ランプに再び火を入れ、資料を用意しようとして、そういえばどっちの依頼者が来るのかを聞き忘れたことにはたと気が付く。
事務所の依頼者は転職者を採用したい企業と転職希望者の二種類に分かれる。
経験上、所長がいきなりこういう話を持ってくるときは大体が企業側の依頼だけど、それならなおさらちゃんと聞いておけば良かった。何系の会社かによって用意する資料も変わってくる。
所長のやつ、言うだけ言ったらさっさと帰りやがって。
怒り混じりの溜息をつくと、音もなくドアが開いた。
ミヨイは瞬時に営業スマイルを顔に貼りつける。
入ってきたのは長いマントにフードまでかぶった長身の男と、背丈は彼の胸くらいまでしかない、これまたマントとフードを着た女の二人組だった。
「ようこそ、お待ちしていました。所長の紹介の方ですね?」
にこやかに挨拶をしつつ、相手を観察する。
ああいうマントを好んで着るのは魔術業界が多いからそっち系の企業だろうか。
魔術系は一番メジャーな魔法使いから、専門性に特化した白魔導士、黒魔導士、武術系と掛け合わせたパラディン等、人気の職業が多いのだが、その性質上、ほとんどが世襲かコネだから一介の転職紹介所に情報が出回ることはかなりめずらしい。
期待に胸を膨らませながら応接用の椅子をすすめると女だけが座り、男は彼女を守るようにそのそばに立った。
「あの、私、仕事を探していて」
座るなり、女は切り出す。
なんだ。企業側じゃないんだ。
内心、がっかりしたが、ミヨイはスマイルを崩さない。
「左様でしたか。ではご紹介するにあたり、まずはお名前などの簡単なプロフィールと職務経歴をお聞きしたいのですが」
「職務経歴って?」
「これまで経験されたご職業のことです。どんな業界をご希望かにもよりますが、現職の経験が生かせる場合もありますし。企業様にお客様をご紹介する際も、なるべく詳しい情報を伝えられた方がよりよいマッチングに繋がりやすいものですので」
そういうとなぜか女が戸惑った様子でかたわらの男を見上げる。
「失礼ですが、読み書きはできますか?」
ミヨイの質問に女はうなずく。
「では、こちらにご記入ください。先ほど申し上げたのと同じ内容になります」
笑顔ですすめると、ためらいながらも女はペンを握った。
ネネフの民の識字率は5割程度だという。
転職希望者が字が書けるとは限らないため、いつもなら聞き取ったことを自分で台帳に書き込むのだが、ミヨイと話すのになにか憚りでもあるのか、さっきから女は目も合わせてくれないし、声も小さい。そういう相手に無遠慮に質問しては信頼関係が築けない。
一方、男の方はミヨイの一挙手一投足のすべてを見逃すまいとでもしているのか、フードの奥からずっと睨みつけてきている。
身なりは良いし、読み書きもできるなら一定以上の階級の人だとは思うが変な二人だ。
職務経歴を書き出してもらっている間に、ミヨイは裏からメルビーを連れてくる。
基本的に昼しか働かないメルビーはむりやり起こされて少々ご機嫌ななめの様子だ。
「なんですか、その虫?」
カゴに入ったメルビーを見た女が眉を顰める。
すかさず男が女を守るように一歩前に出た。
メルビーは子どものこぶしほどの大きさがある。転職エージェントぐらいしか目にする機会のない珍しい虫でもあり、警戒されるのも当然だ。
二人を安心させるため、ミヨイはより一層笑顔をつくる。
「これはメルビーといって転職をご希望する方の向いている職業、つまり適性を調べる能力を持った虫です。弊社ですとご紹介にあたり適性検査の結果を資料として紹介企業様に必ずお渡ししていますので、ご協力いただけますか」
「協力ってどんなことをするんです?」
「そうですね。お客様の血液をいただければと思うのですが」
「血液!?」
青ざめた女を守ろうとまた男が前に進み出た。
威嚇のつもりか、ダンっと机をたたいてミヨイを睨みつける。
うわ、怖。
ミヨイはびびる。
しかしこれで弱腰になってはエージェントなんてやっていられない。
脅えを気取られず、相手を刺激せず、なるべく穏便にことをすすめなければ。
改めて笑顔を浮かべたミヨイだが、それが火に油を注いでしまった。
「お前、さっきからなにをヘラヘラしている」
男が唸るように言う。
業務を円滑に進めるためにやっているだけで、それ以上の他意はない。
ただの営業スマイルにそんな怒んないでほしい。
そんな本音を言えるわけもなく、やっぱりミヨイはヘラヘラしてしまう。
それを挑発ととらえたのか、男がミヨイの胸倉をつかんだ。
避ける暇もなかった。
机越しにも関わらずミヨイの体は男に軽々と引っ張り上げられ、締められた喉から声にもならない音が漏れる。
「やめて、フレド!大丈夫だから」
女が意外なほど凛々しい声を上げた。
すると男がすぐミヨイを解放する。
圧迫された気道が一気に開いてミヨイは激しく咳き込んだ。
何なんだ、この二人。
苦しさで涙目になるミヨイだが、ちょっと待っても男からも女からも謝罪される気配はない。
仕方ないので自分が謝罪した。
「申し訳ありません。私の説明不足でした。メルビーの針は人の髪より細く、採る血液もほんの少量です。刺された際の痛みもありません。もちろん毒もありません。弊社ですとメルビー検査にご協力いただけない場合は企業のご紹介もできないので残念ながらお引き取りいただくしかないのですが」
恐怖で震える喉をなんとか抑えてミヨイは説明する。
「安全だと言うならば、まずお前がやってみせよ」
怒気をはらんだ声で男が言う。
これ以上の揉め事はごめんだった。
男の言葉にミヨイは従う。
メルビーを腕に止まらせ、少し血を吸わせたら反対の手でそっと引きはがす。
ややあってミヨイの血を吸ったメルビーは透明だった羽を白に変化させた。
「まあ」
「このようにメルビーは血を吸った者の適性によって羽の色を変えます。例えば私の白は「調停色」と呼ばれ、人と人の調和を重んじる者に多いタイプだと言われています。どうです?転職者の皆様と採用企業の橋渡しをする転職エージェントにぴったりでしょう?」
場を和ませようとムリにおどけてみたのに、不発だった。
ミヨイのことなど無視して男と女は互いを探るように見つめあい、やがて決意したかのように女が細い腕を差し出す。
「よろしいですか?」
女がうなずく。
ミヨイの血を吸ったばかりのメルビーはすぐには食欲がわかないようで、しばらく所在なさげにその辺を飛んでいる。
その間にミヨイは受け取ったばかりの職務経歴書にざっと目を通した。
名前はリズリー、年齢は16歳。前職は「管理職」とだけ書いてある。
管理職?この若さで?というか何の管理職だ?
たずねようと顔を上げた瞬間、ミヨイは自分の目を疑った。
女の血を吸ったメルビーの羽がまばゆいばかりの金色に輝いていたからだ。
玉貴色!?
叫びそうになるのをギリギリで我慢する。
メルビーの羽は基本的に7色にしか変化しない。
調停色の白、挑戦色の赤、自由色の黄、癒治色の緑、魔術色の紫、武術色の青、支配色の黒。
一般的に多いのは白で、ネネフの民の大概はこの色だ。
魔王征伐に向かう冒険者に向いているのは断然赤で、特別な才能を持つ者たちがそれぞれ他の色に振り分けられる。
金色。
こんなの新人研修のときに雑談として聞いただけで本当に存在するとさえ思っていなかった。まさか目にする機会がくるなんて。
16歳。リズリー。管理職。
金のメルビーの羽に導かれてミヨイの脳でありえないパズルがはまり始める。
「・・・アリストリーネ、姫?」
つぶやいた瞬間、ミヨイは男によってテーブルの上に組み伏せられていた。
「フレド!?」
「リーネ、さがれ」
身体がピクリとも動かない。
痛みと恐怖でミヨイはうまく息ができなくなる。
フレドとかいうこの男、信じられないほどの怪力だ。
それに変な音も聞こえる。
地鳴りのような、体の芯が震えるおぞましい音。
よく聞けばそれは自分を組み伏せている男からしていた。
目だけを動かして見ると、男の姿はさらに大きく強靭な体躯となり、露出した腕や首から顔にかけてまではところどころ銀に輝く白い鱗に覆われている。
魔物!?いや、違う。
噂で聞いたことがある。
こいつはきっと竜人とかいう奴だ。
人型と竜型に自在に姿を変えられ、強大な力を持つが魔物にも人間にも肩入れせずあくまで中立だとかいう。
ネネフの姫君、アリストリーネが魔物に攫われたのは今から半年前になる。
ネネフ王は姫君を見つけ出したものに破格の褒美を与えるというお触れを出したものの、その成果は芳しくなく、それどころかネネフには偽者を姫に仕立て上げた不届き者たちが現れる有様となった。
そんな中、一人の勇者が魔王の目を盗んで本物のアリストリーネを連れ帰ったのが三日前。大々的な祝宴が行われていたのだがそのさなかに再び姫が姿を消したのはつい二日前のことだ。
アリストリーネ姫は16歳。その母君は名前をリズリーという。
そしてメルビーの輝く黄金の羽。玉貴色というそれは王家の血を引く者の血を吸ったときにだけに表れるという伝説のシロモノだ。
間違いない、この女は行方不明のアリストリーネ姫だ。それがなんで竜人なんかと一緒にいるのだろう。
冴えわたる脳とうらはらに呼吸はどんどん苦しくなる。背後で竜人がひときわ強くミヨイを締め上げた。
「このことを誰かに言ってみろ。貴様も貴様の一族もすべて咬み殺してくれる」
フレドと呼ばれた竜人の姿はみるみる竜に変わり、アリストリーネ姫をその背に乗せると大きく羽ばたく。
痛みと恐怖にあえぎながらミヨイはそれを呆然と見送る。
目も開けていられないほどの風が吹き、月のない夜空に竜人と姫は忽然と消えた。
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