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「おかえりなさい。どうだった」
サン・グリンドルにほど近い山の、今にも崩れそうな炭焼き小屋。
昨晩からここに隠れていたアリストリーネが戻ってきたフレドを出迎えた。
「転職紹介所の人、ケガしてなかった?」
「ああ」
「壁は?すぐ直せそう?」
「知らん」
うるさくまとわりつく彼女をフレドは面倒くさげにあしらう。
「もう、それじゃ町まで様子を見に行ってもらった意味がないじゃない」
頬を膨らませた彼女にフレドは舌打ちする。
せっかく逃げおおせたというのに「あの転職紹介所の人の無事を確認しない限りここを動かない」というアリストリーネのワガママのために朝から偵察に行かされたのだ。
「それにしても昨日は驚いたわ。急にあんな乱暴なことをしてはだめ」
「そもそもお前が働くなどとバカなことを言いだしたことが悪いのだろう。なんだあの金ピカの虫は」
昨夜の騒動を振り返ってフレドは溜息をつく。
アリストリーネが働きたいと騒ぐからわざわざ王都から離れた異国人の多い港町まで来て、素性がばれないよう夜に紛れて転職紹介所などという妙な場所にまで連れて行ってやったというのに。
この国の姫であるアリストリーネと偶然の重なりでパートナーとなる契約をして以降、フレドは頭の痛い日々が続いている。
「仕方ないじゃない、お金持ってくるの忘れたんだもの。冒険にお金は必要でしょ」
なじられたアリストリーネがしゅんとする。
この無鉄砲なわりに堅物なアリストリーネという姫は半年前に魔物に攫われるもすぐに逃げ出し、城には戻らずそのまま打倒魔王の旅に出たという変な女だ。
道中で自分の偽者が国を跋扈していることを知り、それを知らせてくれた純朴な若者を勇者に仕立てあげ共に凱旋することで王国の危機を救ったのが四日前。
改めて旅立ちを宣言し、父である王をはじめ大臣たちの大反対の中、フレドの首にかじりついてむりやり城を出たのが三日前。
金など竜人である自分がいくらでも作ってやるというのに、自力で稼ぐことに固執した結果がこのザマだ。
「あんな虫のことは知らなかったもの。フレドも知らなかったでしょう?」
「ふん。あんな目立つことをしては城の追手に見つかるのは早まるだろうな」
「もう!そりゃ虫は私のせいだけど、壁はフレドのせいじゃない」
「知らん。だがおかげで面白いものはみれた」
含み笑いをするフレドをアリストリーネが不思議そうに見上げる。
「今朝、あのヘラヘラした男のもとに魔術師が来ていた。おそらく絶佳の塔だな」
「絶佳の塔?」
首を傾げたアリストリーネにフレドはあきれる。
「お前たちが嘆きの夜と呼んでいる過去の災厄があっただろう。貴様、本当に無知だな」
「嘆きの夜は知っているわ。東の防人の町が魔物に陥落された事件でしょう」
「おめでたい姫君だ。あれは内乱だぞ、『絶佳の塔』を名乗る魔術師たちがお前たち王家の打倒を目指して蜂起したのだ」
「ウソをつかないで。それが事実なら王家の人間である私が知らないはずないわ」
「知らされなかったんだ、王宮でもごく一部の人間以外にはな」
納得のできない表情のアリストリーネにフレドは説明してやる。
五年前に起きた「嘆きの夜」はネネフの東のはずれ、王国の中でも対魔物情勢は穏やかだと思われていた東コペル地区に設置された城塞都市ハナムラが一夜にして滅んだ事件だ。
人も建物も業火に焼き尽くされ、三年が経つ今も満ちた瘴気のせいで草木すら生えない。
ただでさえ魔物におびえる日々だというのに、内乱が起きたなどと知っては民の動揺は計り知れない。混乱を恐れた国の中枢は捕らえた絶佳の塔のメンバーを速やかに処刑し、ハナムラ滅亡の理由をおおやけには魔物の侵攻であると発表した。
しかし話はそれで終わらない。ネネフの秩序を守る王立対反転魔術師対策調査兵団は主犯であるひとりを取り逃し、今もなお秘密裡にその行方を追っている。
「町民風情に化けていたが、あんな歪んだ魔力はごまかせない。その魔術師め、昨晩のヘラヘラ男に金の虫のことをしつこく聞いていたぞ」
「どういうこと?」
「さあな。お前を捕らえて王との交渉の道具にでもしようとしてるのやもしれぬ」
「なにそれ!?」
アリストリーネが悲鳴を上げた。
「フレド、それのどこが面白いの?私は連れ戻そうとするお城の人と王家を倒そうって悪い魔術師と二人に追われてるってことじゃない!」
相変わらずの不敵な笑みを浮かべているフレドにアリストリーネは詰め寄る。
「まあ待て。もうひとつあるんだ。昨夜のヘラヘラ男、あいつはウツセミだ」
「ウツセミ?」
またもやアリストリーネが首を傾げる。
「あの曲者の魔術師を見て気がついたのだがな。ウツセミとは後ろ暗い奴が正体を隠して民衆に溶け込むための古い魔術だ。シルシをつけられたものは魔術師の意思にのみしたがってその心身を相手に明け渡す呪いをかけられる」
「それって、つまり?」
「つまり、あのヘラヘラ男はずいぶん前に絶佳の塔によってウツセミにされていたということだ。よもや嘆きの夜の生き残りか何かなのかもな。殺したふりをしてこっそりシルシをつけ、あいつを市井の暮らしに戻す。そうして自分が成り代わりたいときにあいつの人生ごとのっとる腹づもりなんだろう」
「それ、乗っ取られた人はどうなるの?」
「人格も何もかも消え去る。だてに禁呪じゃないからな」
「やっぱり全然面白い話じゃないじゃない!」
アリストリーネが青ざめた。
フレドはほくそ笑む。
正義感だけは一人前のこの姫君が次に言いそうなことは大体予想がつく。
ねえフレド、あの人を助けましょうよ。
目を潤ませて言う姿まで想像できる。
あの魔術師が去り際にヘラヘラ男にかけた「ちゃんと約束守るじゃん」という言葉。
あれはあの男がフレドの言いつけを守ったことを揶揄していただけではない。
自らウツセミの呪いをかけておきながら、あの男が自分がウツセミであることを完全に忘れていることを皮肉ってもいた。
ウツセミであることに本人が気づいた時点で呪いは解けるというのに、ずいぶん不遜なことをする。それだけ自分の魔術に自信があるということだ。
傲慢な奴だ。そんな奴が自分の契約者であるアリストリーネを狙っている。
人間と魔物が各々抱く正義のどちらにもフレドは興味がないが、ああいう輩の鼻っ柱を折ってやるのは嫌いではない。
フレドとアリストリーネの契約では行動の意思決定はアリストリーネにある。この娘の意識があいつに向けば向くほど、フレドにはあの魔術師を弄んでやる機会が増える。
「ねえ、あの転職業者の方を助ける方法はないの?」
案の定だ。
自分を見上げるアリストリーネにフレドは微笑む。
愚かな娘である。
それはつまり自身の身をさらなる危険に冒すという意味だということに気づいていない。いや、気づいた上で言っているのかもしれない。それぐらいこの娘は愚かだ。
しかしそれでいいのだ。
アリストリーネは危険など一瞬も顧みることなく、その愚かさのままに突き進めばいい。自分がこの娘の契約者であるかぎりすべての危険は自ら身を引くだろう。そうでない不届き者は竜人の力でねじ伏せるのみだ。
「ねえ、フレド」
「ふん。それより移動するぞ。こんなとこにいてはすぐに見つかる」
そういって大股で歩き出すフレドの後ろをアリストリーネが慌ててついてくる。
下生えの朝露もとっくに乾き、小鳥のさえずりも聞こえる山道をフレドとアリストリーネは進む。
すべての者に時間は平等に流れる。生きている限り、新しい一日は勝手に始まり、連綿と続いていく。
フレドとアリストリーネが歩き出したその頃、サン・グリンドルの明るいカフェでは今日もミヨイが幾度となく聞かされた農夫の魔物使いへの情熱に相槌をうっている。
「俺、向いてないんすかね」
「うーん、どうですかねえ・・・」
曖昧に頷いて、どうすれば彼の納得いく結果になるのか突破口を探しながら。
安易に戦士を勧めるわけにもいかない。
平凡な今日はいつだって未知の明日に続いている。ミヨイには日常である転職先紹介も、彼にとっては人生を左右する重要な選択のはずだから。
「お客様、もう一度ご希望を整理してみませんか」
農夫が落ち着いた頃合いを見計らってミヨイは微笑む。
転職エージェントとして「ないです」は言えない。その代わり「こんな道があります」は言える。とことん話し合うことで明るい未来を予感できたらこの農夫も魔物使いへの執着を忘れられるかもしれない。
ミヨイは背筋を伸ばす。
明るい表情の彼は、実は今朝事務所を訪れた奇妙な男の放った使い魔が今も自分を見張っていることも、昨夜訪れた奇妙な二人組とそう遠くなく再会することも、そのときには昨夜以上の災難に遭うこともまだ知る由もない。
農夫の話を聞きながらミヨイは台帳に彼の新しい未来への道筋を書き留めていく。
明るい海辺のカフェでは今日も平凡で特別な時間が流れている。
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