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アクアパッツァ
こんな夢を見た。
私は小骨になっていて、その時を待っている。
悪魔を召喚して、願いを叶えて貰う代わりに、これからの私の人生をくれてやった。
後悔なんて微塵もない、とてもサバサバとした気分。
ずっと悩んでしょぼくれていた私は、別人格を得たようだ。
早くこうしてやればよかった。
「お待たせー」
彼女の甲高い声が耳障り。あっ、耳、もう、無かった。
「初めて挑戦したんだけどぅ、お口に合うかどうか……」
はにかむ笑顔も白々しい。ああ、目も、もう無いんだけど。
男を自分の部屋に連れ込んどいて、不味い料理を出す女なんて知らない。
ましてや、意中の相手に、初めての料理を出すわけがない。
用意周到に盛り付けられている皿が雄弁に物語っている。
「君が作ったの、すごいね!」
疑いもせず、褒める男も浮かれ過ぎだ。
料理を作ったことのない奴には、手間をかけたように見えるかもしれないが、フライパン一つでけっこう簡単に出来る。材料さえ間違わなれければ、まず失敗はしないだろう。
アクアパッツァ――イタリア語では「狂った水」という意味らしい。
魚介類の煮込み料理。
まるごと一尾の鯛を使っているから、非常に豪華に映える。
「俺、初めて食べるかもしれない」
それはない。
「うふふっ、嬉しいな」
甘ったるい空気の中、彼女が小皿に料理を取り分ける。指に光る指輪はいくらしたのか。
「ありがとう」
手渡されて、お礼を言う。
見つめ合う二人と、小皿の中の私。
伸びきった鼻の下が脂ぎっているのは、お構いなしか。
「骨があるから、気をつけてね」
以前、私もそう言った。
返事は聞こえて来なかったけど。
「ああ、いただきまーす」
子供がやるように、手のひらを合わせてみせる。
男は嬉しそうに、大口を開けて、私も一緒に招き入れた。
その時が来た――。
「んっ……」
眉間を寄せて、苦しい表情になる。
「えっ、どうしたの」
彼女が不安気に声をかける。
「やっ、ちょっと喉が……」
違和感を感じたように、喉をさする。
「だから、言ったのにぃ」
私も言った。
だが、小骨が喉に刺さるとご飯を丸飲みして「もう、いらない」と言って席を立ってしまった。
今、思い出せばいいのに。
喉を詰まらせた男が涙目になって慌てている。
私は今、見えないはずなのにそれを感じながら――
内側から、有らん限りの力で男の喉を刺し貫いた。
目が覚めた。
夢の残り香をぼんやりと嗅いでいると、喉を刺してやった男が、隣でゴソゴソと首のあたりをかいていた。
先に起きて身支度を整え、朝食の準備のためキッチンに立つ。
目をつぶっても出来るようになった、単純作業をテキパキとこなしながら、フッと口元だけで笑った。
少しだけ気分が良いのは夢のせいかもしれない。
悪魔を召喚しなくても、出来ることは沢山あるし、小骨程度で済むものか。
幸せだった時間は、もう影も形もないけれど。
まだ、その時ではない。
調査会社の報告書はキッチンの棚の奥に閉まってあるのだが、死ぬまで彼が開けることはないだろう。
大きな欠伸をしながら、リビングに入ってきたのを背中で確認した。
「夕飯は?」
いつもの玄関先の会話。
「頼む」
本日も一言だけで終了。
「いってらっしゃい」
玄関のドアが静かに閉じた。
今晩の献立は、もう決まっている。
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