年下魔術師が依頼した惚れ薬

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年下魔術師が依頼した惚れ薬

「薬の依頼?」  シンディは大釜をかき混ぜる手を止めて振り返った。幼馴染みの魔術師であるベンジャミンが幾分居心地悪そうに視線を逸らしている。 「この間、回復薬は多めに渡したはずだけど?」 「回復薬はまだたくさん残っている。……そうじゃねえ薬を頼みたいんだ」 「そうじゃない薬?」  心当たりが思い浮かばず、シンディは首を傾げる。ベンジャミンは魔術師として攻撃魔法を得手としており、その特技を生かし冒険者パーティーに加わっている。そのため、薬の調合を生業としているシンディは、冒険に不可欠な回復薬を依頼されることが常であった。 「ええっとな……」  鳶色の髪をぐしゃぐしゃと弄り、なかなか用件を切り出さないベンジャミンの姿に違和感を覚える。いつもは生意気で自信過剰気味である三歳年下の彼にしては、珍しく歯切れが悪い。辛抱強く答えを待っていると、やがてベンジャミンは呟くように小声で口にした。 「……惚れ薬」 「え?」 「だから、惚れ薬を依頼したいって言ってんだよ!」  自棄のように叫んだベンジャミンの依頼に、シンディは目を見開いた。あまりにも意外な依頼に返す言葉を失う。しかし、頬を染めたベンジャミンにじろりと睨みつけられ、シンディはようやく内容を理解した。 「うーん、惚れ薬、ね……。まあ、レシピはあるけど。なに? あんた、好きな人ができたわけ?」  人の心を薬で操るような卑怯な真似は彼に似合わないと思いつつ、それでもシンディはつい尋ねてしまう。ベンジャミンはシンディの紫水晶のような瞳を見つめ、躊躇いながら頷いた。 「こんな薬を頼んでるんだから否定はしねえけど。……こう見えても俺も臆病にもなるんだ。そいつの眼中にないように思えてさ」  苦しげに話すベンジャミンの容姿は悪くない。いささか吊り目ではあるが整った形であるし、鼻梁も高く、血色のよい唇は誰が見ても好感を持つだろう。そんな彼でも不安になるのかと、年上のシンディとしては微笑ましくなった。  口元に笑みを刷いたシンディに対し、ベンジャミンは不服そうに文句を言う。 「お前はいつまでも俺のこと子ども扱いしやがって。俺だってもう十五歳なんだからな。パーティーでだってそれなりに一目置かれてる実力だってあるんだし」 「そっか、そうよね。あんただってちゃんと仕事をしてるんだしね。なんだかいつまでも昔みたいに感じて悪かったわ」  街に出てそれぞれ仕事を始めるまで、二人は同じ村で育っていた。年上としてベンジャミンの世話を焼いてばかりいたシンディは、幼少時代を思い出して懐かしくなる。小さい頃の彼はシンディを姉のように慕っていて、遊んでくれとまとわりついてきたものだ。 (そんなベンジーにも好きな人ねえ)  彼の成長を喜ばしく思う反面、寂しくもある。ずっとシンディとばかり親密であるわけではないことを思い知らされ、ベンジャミンが急に遠い存在になったような気がした。  気持ちを切り替え、シンディは戸棚に向かい、惚れ薬のレシピを探す。そんな彼女の長い栗色の髪にベンジャミンが目を奪われていることも知らないまま。  ♦ ♦ ♦ 「ちょっと材料が厄介だわ。手持ちにないの。レッドドラゴンの牙、バロウ峡谷の滝の雫、十六夜花のエキス」 「レッドドラゴン? 炎のブレスを吐く中型ドラゴンか?」 「そうよ、結構強いドラゴンだわ。どうしようかしら」  冒険者パーティーに討伐を頼むと薬の代金が上がるし……とシンディが悩んでいると、ベンジャミンはローブを羽織った。 「俺が行ってやっつけてくる」 「ええっ! あんた一人で? 危険よ!」 「俺が氷魔法得意なの知ってるだろ。対策はできる。待ってろよ」  宝玉が嵌まった杖を肩に担ぎ、ベンジャミンはシンディの工房から出ていった。あとに残されたシンディはおろおろと狼狽える。 「ベンジーだけじゃ危ないわ。かといって、今からギルドに頼んでも時間がかかるし……。最初から討伐を依頼すればよかった」  後悔してももう遅い。ベンジャミンの無事を祈るのみである。こういったとき、シンディは冒険や戦闘に役立てない己を恨む。しかし、シンディの適性は薬の調合であり、それ以外これといって取り柄はなかった。  ただひたすらにベンジャミンの身を案じていると、やがて日が暮れてきた。他の仕事も手につかず、仕方なく鎧戸を閉め、工房の扉にクローズの札を出す。夕食の野菜煮込みを作ったが、食欲は湧かなかった。  眠れぬ夜を過ごし、明け方ベッドから降りる。普段着のシンプルなワンピースに着替えて鎧戸を開けると、工房の壁にもたれかかっているベンジャミンの姿を発見した。慌てて扉を開けて、シンディは外に飛び出す。 「ベンジー! だ、大丈夫?」  ローブはところどころ焼け焦げ、全身煤だらけのベンジャミンは、それでも強がりのように薄く笑った。 「やっつけてくるって言っただろ。俺の言葉を疑うんじゃねえよ。きっちり牙はいただいてきた」  シンディに向かって放り投げたものは、確かにレッドドラゴンの牙だった。だがシンディはそれに構わず、ベンジャミンの身体を確認する。回復薬を使用したのであろう、怪我は見当たらず、シンディは安堵の息をついた。 「もう、無茶するんだから。私がどれだけ心配したと思ってるの。あんた一人でドラゴンに立ち向かうなんて、今後一切そんな危ない橋は渡らないでよね」 「うっせえなあ。男としてやり遂げたいことはあるんだよ。小言より褒め言葉を寄越せよ」  あくまでも意地を張るベンジャミンに、くすりと笑いがこぼれた。男のプライドというものであろう。シンディは目を瞑って気持ちを落ち着かせ、それからゆっくりとベンジャミンの鳶色の髪を撫でた。 「よくやったわ、ベンジー。大したものよ。ドラゴンと一人で戦ってくるなんて、想像以上に強くなっていたのね」 「そうだろ、俺は強いんだ。見直したか?」 「もちろん、見直したわ。惚れ薬なんかに頼らなくても、ベンジーなら誰だって好きになってくれるわよ」  シンディがそう称賛すると、ベンジャミンはふいと顔を背けた。 「それとこれとは別だ。次は、バロウ峡谷の滝の雫だったか? 食い物食ったら出かけてくる」 「え、もう? 少し休んだら? 大体、バロウ峡谷までだって険しい道のりよ」  今度こそギルドに依頼しようと、シンディは紫水晶の瞳に決意を浮かべる。しかしベンジャミンは、首を横に振った。 「俺が取りに行きたいんだよ。そうじゃなきゃ、薬を使う資格なんかねえよ」 「……」  ベンジャミンの台詞に言い返せない。シンディは黙って彼を工房の中に(いざな)い、昨夜作った野菜煮込みを差し出した。ベンジャミンは余程空腹だったのだろう、あっという間に一皿平らげた。おかわりをよそいながら、シンディは複雑な面持ちになる。彼をそこまで駆り立てる情熱は一体──。 (そこまで好きな人なのかしら。ベンジーのパーティーには美人の女性も多かったわね)  特に意識していなかったが、自分の容姿を比較してしまう。自身の紫水晶の瞳は嫌いではないが、他には取り立てて変わったところはなく、美貌とは程遠い。調合を繰り返している手は荒れていて、女性らしさに欠けているように見える。  そこまで考えて、シンディは我に返った。 (私ってば何を考えているのよ。これじゃ、まるで──)  ──ベンジャミンの特別でいたい。そう気づいたシンディは呆然とする。彼は熱烈に惚れ薬を求めるほど、好いた相手がいるというのに──。  ♦ ♦ ♦  数日後、ベンジャミンはバロウ峡谷の滝の雫をしっかり持参してシンディの工房を訪れた。厳しい道中であったことが窺える汚れた身なり。シンディは風呂場を貸し、彼の衣服を洗濯した。晴れているので、外に干せばすぐに乾くだろう。 「その量で足りるか?」 「十分すぎるくらいよ。余ったら在庫にしちゃうかも」  貸した大きめのシャツとハーフパンツを窮屈そうに着たベンジャミンに、茶目っ気を含ませながらシンディは答える。余裕を持ったふりをしながら、内心焦っていることを悟らせない。それでもシャツから覗くベンジャミンの鎖骨が色っぽいと見とれてしまうシンディは、どうしても落ち込んでしまう。 (今さらベンジーを困らせるわけにはいかないわ……)  気を取り直して、改めてベンジャミンに確かめる。あとの材料はひとつだけだ。 「残りは十六夜花のエキスだけね。夜しか咲かない花だし、ベンジーには見分けがつかないだろうし。今夜、ロヨリの草原に一緒に行きましょう」 「わかった。それまでベッドを貸してくれ。仮眠する……」  欠伸が漏れたベンジャミンは相当疲れているのだろう。ベッドまで案内し、ベッドサイドに水差しの水を用意している間に、彼は眠ってしまっていた。 「長い睫毛ね……」  すうすうと静かな寝息のベンジャミンをそっと観察する。伏せられた瞳の睫毛は長く、また身体にも多少の筋肉がついており、つい見入ってしまう。幼馴染みとしか思っていなかった彼が男性であることを否が応にも意識してしまい、シンディは微かに溜息をついた。 (この想いは心の奥に秘めて──ベンジーの役に立つことだけをしたい)  そう思い切って、シンディは寝室を後にした。  ♦ ♦ ♦  夜も更けたロヨリ草原で、カンテラを持ってシンディとベンジャミンは十六夜花を探していた。探し回ること数刻だろうか、やがて淡い山吹色の花弁の美しい花を見つけた。太陽の光を浴びずに咲く花には月の加護を感じる。  シンディは持参した乳鉢で十六夜花の花弁をすり潰し、エキスを抽出した。それから天秤で各々量りながら、丁寧に砕いたレッドドラゴンの牙とバロウ峡谷の滝の雫を混ぜ合わせる。物質が分離しないようにレシピ通りに作り上げ、惚れ薬は完成した。 「出来上がったわ。はい、ベンジー」  手渡すと彼は宝物のように厳かに受け取り、まじまじと惚れ薬を見つめる。物質がどう反応したのか、それはシンディの瞳の紫のように輝いていた。 「綺麗だ……」  思わず口をついて出たようなベンジャミンの言葉に、シンディは自分の瞳を表現されたように感じてしまい、恥ずかしくなって俯いた。  長い沈黙が訪れ、不思議に思いシンディは顔を上げる。その途端、ベンジャミンに口づけされ、そして口中に液体が注ぎ込まれた。咄嗟に飲み込んでしまい、何が起きたか事態を把握できず、間近に迫ったベンジャミンの顔を見返す。整った顔立ちは朱に染まり、少しばかり気まずそうにシンディに問いかけてきた。 「その……俺に惚れたか?」 「……は?」  意味がわからず、ひたすらシンディは呆気に取られていた。しばし考え込み、自身が飲み込んだ液体の正体に思い当たった。──まさか。 「惚れ薬……私に飲ませたの?」 「……ああ」  ばつが悪そうなベンジャミンの表情を眺めていると、次第にシンディの身体は火照ってくる。するりと流れるように素直に心情を吐露していた。 「好きよ……ベンジー」  秘めようとしていた想い。しかし、抗えない力で心の奥底から引き出されてしまう。ベンジャミンはそれを聞いて、僅かに頬を緩めた。 「俺もだ、シンディ」  でも、と表情を曇らせる。切なげなベンジャミンは泣きそうに見えて、シンディの胸は締めつけられた。 「結局は薬の力なんだよな。──お前の本心じゃない」 「ベンジー、違うわ」  反論したシンディにベンジャミンは目を丸くする。熱い身体を抱えたまま、シンディは言い募った。 「あのね、惚れ薬は本当の心を聞き出す薬なの。騙すつもりはなかったんだけど、惚れさせる薬じゃないのよ」  惚れ薬を飲ませるような相手は近しい関係。普段は言えないような本当の胸の内をさらけ出す作用がある薬なのである。きっと成就する想いだから。  そう伝えると、ベンジャミンは驚いたように、だが喜びが混ざったように口の端を歪めた。 「お前は……俺のこと子ども扱いばかりして、弟みたいに接しているようだった。俺のことなんて男として見ていないんじゃねえかと思ってたんだ」  だから薬に頼ろうと思ったと瞳を揺らすベンジャミンに、シンディは愛おしさが増す。 「私のこと好きだったのね、ベンジー。そのために無茶して……。でも、そういうところも大好きよ」  ベンジャミンが惚れ薬を依頼しなければ、シンディは感情に気づくことはなかっただろう。遠回りしてしまったが、結果的に想い合うことができたのは、ベンジャミンの努力の賜物である。 「幼馴染みの関係も心地よかったけど、恋人同士ならもっと素敵な関係だわ」  シンディは彼の端整な横顔にキスした。未だ実感が伴わないのか、ベンジャミンは震える手でシンディの身体を引き寄せる。 「昔からずっと好きだった、シンディ。お前と対等になれて、すっげえ嬉しい」 「私もとっても嬉しい。今度、ベンジーの魔法を見せてね」  彼の得手とする魔法を見たら、シンディはさらに魅了されるだろう。ベンジャミンは得意げに頷く。 「任せておけ。とびっきりの魔法を見せて、お前をもっと惚れさせてやる」 「期待しているわよ、未来の旦那さま」  シンディが明るく告げると、ベンジャミンは面食らったように頬を赤くした。 「そ、そういうことは軽々しく言うんじゃねえよ!」 「ふふ。可愛い、ベンジー」  まだまだ若いなあと笑いながらも、そんなベンジャミンとの未来を想像し、シンディは幸せに浸るのだった。
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