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1.クラッシュ
「映画、見に行こーぜ!」
ここ何日か元気の無い僕に相部屋のリチャードが言った。映画どころじゃない。せっかくまとめた締め切り間近のレポート。余裕で仕上がるはずだった。
エウシュロフネ・トゥキディデス教授は冷酷非情なギリシャ女性。だいたい、名前からして一筋縄ではいかないことがありありと分かる。しかもこの教授はきちんと名前を呼ばれないと返事どころか振り向いてもくれない。
「トゥキディデス教授!」
「なんですか? Mr.フェリックス・ハワード」
こんな調子。綺麗な人なのに、ほら、きれいなバラには棘があるってことさ。
本来なら3月にある中間テスト。それが『学会』だとか 『私にもいろいろあります』 とかいう一方的な言い分で、
「今回のレポートに全てをかけなさい」
というお達しが出た。とばっちりもいいところ。で、教授の定めた提出期限が、明後日の2時25分。
「私は2時30分に待ち合わせがあるので1分たりとも遅れは認めません」
提出出来ないと、なんと留年だ。なぜ、このレポートにそれほどの比重をかけるんだ!
僕のラップトップはいい調子で仕事してくれてたのに、なぜか もう少し! というところで機嫌を損ねてクラッシュしてしまった。電源を入れても即落ち。何回かの再起動を試みてもやっと現れたボンヤリした画面さえ、あっという間にブラックアウトしていく始末。
僕もパソコンには詳しい方だと思っていたけど、とうとう今回は「何でも屋」のロイに手を合わせた。
彼は……金を取るんだ、僕は貧乏人なのに。
「それはそれ、これはこれ!」
と、結構仲がいいのに割り切りのいいヤツ。なんで僕の周りにはこんな冷酷な連中ばかりいるんだよ!
バックアップは? と聞かれパソコンの中だと答えた。
「バカなんじゃないの? なんでメディア使わないの?」
温かいお言葉をいただく。
確かに今考えれば正論だけど。いや、当然だけど。
画面がなんとか復旧。
「さすがロイじゃん!」
思わず褒め称え、褒めちぎる。レポートが復活さえしてくれればいい。
「ああ、これさ、いつデフラグやったの?」
若干鼻にかかったようなロイの声。ごくたまに鼻をすするのを聞くたびに、思わず『耳鼻科行けよ!』と言いたくなる。けど、今は『ロイ様』だ。
「え? 一昨日やったんだけど」
「エラーチェックやった?」
急におずおずと小さく答える。
「……今回はしてない。毎月やってたからいいかと思って」
なんだか悪いことした子どもみたいだ。
「毎月? 半年にいっぺんでいいんだよ、デフラグなんて。お前、そんな神経質なヤツだったか? やり過ぎるとダメージ残んのはセックスと同じ。分かるだろ?」
――いや、分かるほどやってないから分かんない
けどそんな反論を許すようなロイじゃない。
「しかも不良セクタのエラーチェック忘れた? 初歩じゃん、それ。ファイルの復旧、諦めた方がいいよ。OSイカレて再インストールだから無理!」
20ドル払った結果がこれ…… 金返せ! の言葉には、
「原因は突き止めただろ」
の一言が返って来ただけだった。
僕は涙流しながら
――いや、流しちゃいないけどそれほどの気持ちだったってことだよ、分かれよ!
OSの再インストールをやり、設定を組み直し、取り敢えず頭に残っているレポートの片鱗をテキストに書き出し……
力尽きてしまった。
※ラップトップ=ノートパソコン
※デフラグ=パソコン内の不要データの整理
※不良セクタ=データを正確に読めない部分
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