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第一話 椿という名の娘、つばきと名乗る娘
椿という名前の少女が、その奇妙な娘と蛇に出会ったのは――年越しの市でのことでした。
年越しの市は、例年通り、おろち川と街道とが交わった辺りで開かれていました。
おろち川はお城まで続く長い大きな川なので、先の方へ目を向ければ、高台に建てられたお城をぼんやり眺めることができました。高い石塀に囲まれたそのお城は、白い素肌をほんの少ししか見せないまま、悠然と座り込んでいます。このお城の中に、領を治める領主さまが住んでいるのでした。
そんなお城の爪先で開かれた年越しの市。
その道のわきで、椿という少女は辛そうにため息をついていました。
息を吸いこんだ途端、砂とほこりとが混じった空気が鼻に入り込んできたので、椿は思わずくしゃみをしてしまいました。
肩が中途半端に上下に揺れ、背負い籠の中のものがガタガタ重たく揺れました。
冬だというのに、年越しの市は独特な熱気に包まれていました。
椿は普段の寂しい河原の風景をよく知っていたので、今目の前に広がる光景が少し奇妙に見えていました。
――川の方にはぷかぷか浮かんだ荷船と、冬だというのに半裸で荷を運び出している男たち。
――ぎゅうぎゅう詰めに並べられた、掘っ立て小屋の多さ。
――荷車を引く馬たちの鼻息の荒さ。
――何かを蒸した匂い、何かをあぶっている匂い。
――売り手と買い手が早口で言い合う、不快な大声。
大きな桶を持って魚を振り売りしている男をよけながら、椿はくらくらと目が回ってきたような気がしました。しかし、何とか足を踏ん張って前へ前へと動かします。
(……あと少しで、先生のお使いは終わる)
心の中で呟きながら、精一杯足を動かします。
椿が歩くたび、背負い籠の中がごとんがたんと重たい音を上げました。
椿は、養生所で患者さんたちの面倒を見ている先生の代わりに、新年を迎える為の準備を揃えるお使いをしているのでした。
去年はもう少しゆとりがあったので、先生と椿とで買い物に出かけたのですが、今年はそうもいかず、椿ひとりになってしまったのです。
餅や干物、海藻に野菜、……これらの上にたっぷりと塩の入った袋まで詰め込まれたのですから、華奢な体型の椿には辛いものでした。冬のはずなのに椿の額には玉のような汗が浮かんでおり、体も居心地悪く火照ってきました。
ざ、ざざっ、ざざ。ざ、ざざっ、ざざ。……。
べたら、べたん、べたべたべたっ。……。
良い商売しやがって。ふざけるなこっちは毎年これでやってんだから。
ちょいとアンタどこで油売ってたのサ。高い声でうるせえなあ。
きゃははきゃはは。おいコラ、待てクソガキが。
年越しの市独自の熱が、椿の体を飲み込んでいきます。
ゆうらりゆらり、体を揺らしながら、椿は何とか歩いていきます。
(あとは、塗り薬に使う薬草さえ手に入れば、もう買うものはない。ああ、早くこの場から立ち去りたい……。)
視線を地面に固定したまま、椿が何度目か分からないため息をまたつこうとした……その時でした。
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