第8話「あやめの紋証」

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第8話「あやめの紋証」

ザ……ザ……。 落ち葉を踏む、軽く、静かな足音。 蘭丸が、山の中の獣道を進んでいた。 チラリと後方の木々の中に視線を送る。 さっきから、自分のたてる物音とは別に、木々の葉を揺らす音が聞こえている。 カサ……バキッ……ガザ………。 一人……二人……子どもじゃない。大の大人だ。 追ってはきているが、そこまで接近している様子はなかった。 蘭丸はザザザ……と真竹(まだけ)の生い茂る、急な坂を転がるように降りた。 ガサッ!ガサッガサッ! 続けて大きな物音がする。 敵はもう、バレることを覚悟し、大きな物音立てて追いかけてくる。 蘭丸は走る速度を上げ、道なき道を進む。 気をつけなければ、方向を見失い、目的地から遠ざかってしまいそうだった。 「は……は……」 急な勾配。岩や木など障害物。敵の位置の把握。 どんどん息が上がっていく。 簡単に撒けるかと思いきや、どこまでもついてくる。 思った以上に動きがいい。 これは、戦闘もかなりの実力であると、推測できる。 (厄介だな) 蘭丸は先日の戦で痛めた右手首が、未だに本調子ではなかった。 こんなことに使って、快復を遠ざけたくなかった。 「はっ……」 クナイが体の横を通りすぎ、木に突き刺さった。 「チ……!」 やや開けた山道まで出ると、蘭丸は振り返り、刀を抜いた。 「こそこそしてないで出てこい!」 「…………」 辺りの気配を伺う。静かだが、絶対にいる。 二つの黒い影が同時に飛び込んできた。 蘭丸はやや到達が速かったほうの刀を受けると、体を捻り、反対側の影の頭を蹴った。 「くっそ……!」 蹴られたほうはよろめく。 黒い服に身を包んだ男が二人。 蘭丸は体勢の整わない男の太ももに刀を入れる。 「ぐぁ……!」 もう一人の男の刃先が蘭丸の左腕に入ろうとした。 (切られる……) キィンと金属同士の当たる音がし、男の短刀が天高く飛んでいった。 何が起きたかと目を見張れば、また別のところから、人が飛び出してきていた。 今度は小さな少年。 蘭丸と男の間に入ると、今度は男の肩、腹、太ももが順番に切れいく。 まるで、鮎が水の中を泳ぐような、綺麗な動きだった。 男は痛みに思わず、膝をついた。 「ぐっ……撤収……」 男たちは切られたところを押さえ、逃げて行った。 地面に片膝をついていた蘭丸は、男を切った少年を見上げた。 すらりとした立ち姿に、綺麗な横顔。 首にややかかるくらいの襟足。長い首。 その少年が振り返った。 「蘭丸殿、お怪我は?」 「大丈夫。右手首はもともと痛めてたんだ。助けてくれて、ありがとう」 少年に手を差し出され、蘭丸は躊躇なく握り、立ち上がる。 「君、正興(まさおき)殿の寵童だよね?」 「はい」 「信長様の寵童の蘭丸だよ。呼び方、蘭丸でいいし、敬語じゃなくていいよー」 「え、あ、うん。えっと……私は井内 染五郎(いうち そめごろう)です」 おそらく12、3才だと思われるが、落ち着いたしゃべり方で、ずいぶんと大人びて見えた。 「紋証(もんあかし)、見せてくれない?」 にこにこ要求する蘭丸に、染五郎は若干恥ずかしそうにためらう。 短袴の帯を緩め、少しだけ下げると、着物の裾を持ち、ゆっくりとまくりあげた。 太ももに蘭丸と同じように、刺繍が施された布が巻かれていた。 蘭丸は腰を曲げ、顔を近づけて、じーっと見た。 織田の紋。主君である池田正興の紋。井内の家紋である組み井桁(くみいげた)、そして、染五郎を模したあやめの刺繍。 (本物だ) 「ありがとう。はい。じゃあ、蘭も」 蘭丸はさっと、短袴を下ろし、指先で裾を掴むとまくりあげる。 太ももには、蘭丸を模した椿の紋証が巻いてあった。 「あ……うん。確認できた」 チラリと見ただけで染五郎は目をそらす。 蘭丸が服を戻したのを確認すると、すっと手の平をさしだした。 「正興様への手紙、預かるよ」 「悪いけど、この手紙は送り主に直接、自分で手渡しするんだ」 「でも、まだ、敵が隠れてるかもしれない。もし、君が渡す前に死んじゃったら?」 「そしたら、俺の死体から抜き取って、渡してくれる?」 蘭丸はぽんぽんと自分の股を叩いた。 「褌?に、はさんでるの?」 「さぁ?そういう状況になったら探してね」 「…………うん、じゃ、行こう。案内するから」 「道わかるよ」 「もっと近道あるから。怪我してるのは右手首だけ?」 「うん」 「ちょっと、歩きづらい斜面とかあるけど、キツかったら言って」 染五郎は茂みの中を歩き出した。ほとんど道という道はない。 通り慣れた染五郎が木の枝の角度や長さ、花や岩の位置などで通っても安全な場所を歩いているようだった。 何度も振り返り、手負いの蘭丸を気遣うように、ときには手を差しのべた。 蘭丸はにこにこと話し出した。 「染五郎は次男?」 「うん」 「蘭は三男だよ。誰が家督を継いでるの?」 「父の孝雄」 「お元気?」 「うーん。もうそろそろ引退したいって言ってる」 「正興殿、左膝怪我してたの治った?」 「……左膝じゃないよ。右」 蘭丸の顔を見た。笑ってる。 わざと左膝と言ったんだ。 今までの質問も、みんな、仲良くなるために聞いてたんじゃなくて、あらかじめ知っていた情報と合致するか確認して、本人か確かめてたんだ。 …………怖。 「会えるかわからないのに、染五郎はよく蘭を迎えにきてくれたね」 「正興様が、蘭丸に手紙を持ってこさせるだろうって。最短の山道でくるけど、手怪我してるし、忍者がうろうろしてるだろうし、迎えに行くように言われたんだ」 「やっぱり、正興殿は頭がいいね」 正興は織田家の下級武士に過ぎなかったが、仕事内容が評価され、この度出世していた。 染五郎の案内で、数分で正興の待機する地に着いた。 木曽川攻略のために、設置された簡易的な待機所。 いつでも出陣できるよう、馬や荷台が用意してあった。 小屋の中に入ると正興がいた。 「蘭丸ー!怪我してるのに、わざわざありがとう!」 人の良さそうな笑顔で手を振り、蘭丸を出迎える。 池田 正興(いけだ まさおき)。20歳にして、師団をまとめ、信長に直接命令を受ける者としては、かなりの若手だった。 「遅くなり申し訳ありません」 蘭丸は喋りながら、人目もくれず、短袴を脱ぎ、褌をほどいた。 染五郎は驚いた顔で見ていたが、すぐに視線を移した。 褌の中から、薄い布にくるまれた紙がでてくる。それを両手で持ち、正興に差し出した。 「信長様からお手紙でございます」 「あったかいね。確かに受け取りました」 あははと愛想笑いしながら、紙を広げた。 急に真剣な顔つきで、目を通す。顔を上げた。 「染五郎、みんなを集めて」 「御意」 染五郎は正興の家臣たちに声をかけに小屋を出た。 正興は少し柔らかい表情に戻る。 「蘭丸はここで待ってる?」 「いえ。信長様には、無理のない範囲で、正興殿の援護をし、のちに合流するように言われました」 「わかった」 ものの数分も経たないうちに、小屋の周りに、正興の家臣たちが集まった。 50人足らずの師団としては少人数だったが、それと同じくらい馬も数がいた。 武器もそれなりにしっかりとしたものが揃っている。 20前後の若い男がほとんどで、その顔はみな、目がギラギラと光り、闘争心に満ち溢れていた。 みな、一心に、正興を見つめている。 正興の隣には染五郎が立ち、蘭丸も立っていた。 染五郎は緊張した面持ちだった。 正興がその場にいる全員に聞こえるよう、張り上げる。 「ただいまより、木曽川攻略作戦を開始する。計画通り、我々は少人数に別れ、山を下り、いち早く川を越える。そして、現在、木曽川付近で戦闘している、大将の三島 達介(みしま たつすけ)の首を取る」 「御意!」 男たちの低く、太い、声が返ってきた。 正興が少し笑顔を見せた。 「俺が武将としての初出陣だ。これだけ、準備を重ねてきたんだ。みんなと手柄を上げたい。がんばろう!」 「おぉー!」「正興、やってやろう!」「まかせろ!」 今まで闘気と殺意に包まれ興奮状態だった男たちに、仲間意識を思い出す余裕が生まれた。 それを確認すると、正興が歩きだした。 「出陣だ」 山の中をなるべく目立たぬように馬を歩かせる。 この険しい山を、馬がすんなり歩いてくれるのは珍しいことだった。 集団だった正興の家臣たちは、途中で、3人ほどの集団に別れ、それぞれ、山の裾野へと、散っていった。 蘭丸は正興、染五郎と共に、川の目前へと待機した。 少し離れた、広い土地では、すでに光秀と佳秋の軍勢が、三島の軍勢を相手しようとしていた。 突然の戦に対応できていないのか、三島軍の動きは悪い。 何百メートルも川幅のある対岸で、馬に乗り、派手な兜を被った男がいた。 のんきにあくびをしている。 「ふぁぁ、寒……。こんな時間から戦とか……」 「兜の柄、太い眉毛、青髭。身長185センチほど。広い肩幅。三島達介、あの男に間違いありません」 染五郎が超高級品の望遠鏡で、男の顔を確認する。 「光秀殿と佳秋殿の軍勢に意識がいっているようです」 「信長様たちもそろそろ来るかな?」 正興が蘭丸を見た。 「はい」 「よし、行ってくれ」 正興が自分たちの前に待機していた家臣を向かわせた。 それを察し、数メートル先で待機していた集団が、ぞくぞくと、川へと進んで行く。 「蘭丸はここにいて。景色がよく見えるでしょ」 正興が言った。 「これ、持っててくれる?壊すと始末書だから」 染五郎が望遠鏡を手渡し、蘭丸は両手で受け取った。 「うん」 「よし、行こう。染五郎」 「御意」 染五郎と正興が馬に乗り、川へと向かっていった。 正興たちの家臣の馬たちは、冷たい川の水に臆することなく、どんどんと突き進む。 その様子にやっと、三島軍は気が付いた。 「なんだ。なんだ」 「馬、めっちゃ来るけど」 「いつの間に」 三島は慌てたように、声を張り上げた。 「誰だ!?誰が率いてる!?」 「わかりません」 「あっちだ!あっちも人をやれ!」 三島軍がもたもたと、正興の家臣の前へと向かった。 「おい、待て!人、行き過ぎだ!佳秋のとこが手薄になっとるやん!」 たくさんの兵を揃えたにも関わらず、三島の指示が悪いため、兵はおろおろ動くだけだった。 「いいタイミングだ。正興」 南西より、信長と一益の軍が侵攻しながら、この戦況を眺めていた。 「川の攻略を、まーくんに任せて正解だったね」 「そうだな。あいつは地味にコツコツ対策を練るのが得意だからな」 「俺らの出番はなさそうだ」 「かかれー!」「やー!」「おー!」 三島軍に到達した正興の家臣たちは次々に、兵士を倒していく。 対峙すれば、普段から鍛錬を重ねていた正興の軍勢が、はるかによい動きを見せていた。 「お、おい、どーなんている!?」 三島が焦った顔で喚く。 自分を守る砦となっていた兵士たちが、次々に倒れていく。 そして、自分に一直線に向かってくるものが二人。 染五郎と正興だった。 「あ、あいつらを止めろ!」 10数人の側近たちが、三島の周りを固める。 正興たちの道を作るように、家臣たちも集まり、刀を振るった。 しかし、今まで蹴散らしていた兵士よりは強いのか、攻撃を阻まれ、切り返される。 三島軍の数に、押され気味になる正興の家臣たちだったが、目はまだギラギラしたままだった。 「正興様!そのまま!」「正興さん!!右!う……!」 仲間の負傷に正興はチラリを目をやった。 「正興!いけ!」 しかし、そのまま正興と染五郎は真っ直ぐ向かっていった。 「チッ……!」 三島は馬を降りると刀を抜く。 「殺してやる!若造!」 正興と染五郎が馬から降りた。 両側から、三島に切りかかる。 それを、三島の側近である背の高い男と、小太りな男が防いだ。 にやっと笑うと、三島は染五郎に刀を振り下ろす。 正興は自分と刃を合わせていた背の高い男を振り切り、首を切るとその流れで三島の刀を払った。 その隙に、染五郎は小太りな男の足元を切ると、男は崩れ落ちる。 正興と染五郎は腰を落とし、大柄な男の三島を下から睨んだ。 「……!」 後方から矢が飛んでくる気配を、正興は感じた。 やや体をひねり、避けると、矢は三島の兜の紐を切った。 がさっと落ち、左目を隠す。 「うわっ!前がっ……!」 左側より、染五郎が脇を狙い、右側より、正興が首を狙い、刃を入れようと振りかぶった。 「っ……!」 正興も構える。 「「池田流 奥義 一番 共鳴」」 同時に正興と染五郎が三島に刃を入れる。 正興が首を、染五郎は脇の下に大きな切り傷を作る。 「うがぁぁぁ!」 うめき声を上げ、三島が倒れると、動かなくなった。 「うわぁぁぁ、三島様がやられた!」 「逃げろ!逃げろー!」 「三島様がやられたぞー!」 大将がやられ、三島軍の軍勢は一目散に逃げで行く。 「はぁ……はぁ……」 「はぁ……みんな、大丈夫!?被害は!?」 正興が振り返り、自分の家臣の状況を確認した。 三島の周りで戦っていた家臣たちが、それぞれ状況を報告する。 「大丈夫です。腕をちょっと切れただけで」 「俺も、軽傷です」 「確認してきます!」 家臣の一人が広範囲に散らばった仲間の安否を見に行った。 正興が見る限り、倒れているものはいなかった。 それどころか、家臣たちは笑顔で叫びながら正興の周りに集まる。 「やりました!正興様!」 「正興さん!お手柄です!」 「まさおきー!!!」 「染五郎もがんばったな!」 家臣たちがもみくちゃに抱きしめ合う。 「正興様!死者、重傷者いません!」 その報告を聞き、正興はやっと顔を緩ませ、笑顔を見せる。 「やった!染五郎!」 正興は刀を投げだし、がばっと染五郎を抱き締めた。 腕の中で染五郎は頬染め、嬉しそうに笑った。 「かわいい」 蘭丸のぽつりとつぶやいた声が聞こえたのか、染五郎は恥ずかしそうに正興を軽く手で押し、離れた。 蘭丸がにこにこ笑いながら近づいてくる。手には弓を持っていた。 「染五郎、笑うとかわいいじゃん」 「え、あ、そ、そぅ……?」 何と返していいのか、視線を泳がしていると、正興が笑った。 「染五郎、蘭丸に緊張してたもんね」 「そうなの?」 「だ、だって、信長殿の寵童で、めちゃめちゃ優秀ってきくし……」 「染五郎もいい動きだったよ」 「……蘭丸に褒められるとうれしい」 染五郎は小さく笑った。 「矢、打ったの蘭丸でしょ?」 「うん。本当は左目を狙ったんだけど、外しちゃった」 あの激しい動きの中、兜の紐に当てただけでも、なかなかの腕前だった。 「援護、ありがと」 てへへと笑っていた蘭丸がはっと振り返る。 「信長さまぁ!」 こちらに向かってゆっくり歩いてくる信長に、蘭丸は走りよった。 信長は蘭丸の脇の下に手を入れ、だっこした。 「信長さまぁ!勝ちましたねっ!」 「蘭丸、お前が走ってくれたおかげだな。矢も上等だった」 染五郎は信長のもとに駆け寄ると、片膝をつき、頭を垂れた。 「信長様、ご挨拶が遅くなりました。池田 正興の寵童、染五郎でございます」 「顔を上げろ」 かなり緊張した様子で染五郎は顔をあげた。 信長は手を伸ばし、顎を掴むと、さらに上に上げさせる。 一瞬、目を閉じた染五郎だったが、なんとか目を開け、硬い表情で信長を見つめる。 信長は目を細め、笑った。 「なかなか綺麗な顔をしているな。お前が抜擢しただけある」 正興に視線をやると、焦ったように手を振った。 「いや、べつにっ!顔で選んだわけでは!染五郎は雑務も優秀で、剣術も……」 「すごかったんですよっ。信長さま。染五郎と正興殿の共闘。息ピッタリで」 蘭丸の言葉に、緊張していた染五郎の肩が緩む。 顔には出さないようにしたいのに、小さく笑ってしまう。 「あぁ、遠めから見てた。息の合った連携だったな。正興、軍の動きも迅速、川の攻略も計画通りいったな。ありがとう」 正興は子どものように跳び跳ねると、染五郎を強く抱き締めた。 「そめごろぉ!!信長様に褒められたぁ!」 「い、いたい……」 ついこの間まで少年だったような正興の、屈託ない笑顔が染五郎の顔に顔を近づく。 が、さりげなく、染五郎に手で押し返される。 囮役だった光秀と佳秋も、ちんたらしゃべりながら、合流した。 光秀は未だ腕に包帯を巻いていた。 「正興、やったね」 「大手柄じゃん」 正興は、先輩たちにぺこぺことお辞儀をする。 「囮をやってもらったお陰です!ありがとうございました!だいぶ待たせましたか!?」 「ううん。ちょうどいいくらいだったよ」 ぞろぞろと光秀と佳秋の家臣たちが木材や大工道具を持って、その後ろを通り過ぎていく。 川を押さえ、次はこの辺りに戦闘準備をする小屋を建てるのだ。 そして、目的の岐阜城は、目の鼻の先だ。 信長が満足気に言った。 「正興、片付けが済んだら、城に来い。祝杯だ。染五郎も来るように」 「はい!」「はい」
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