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第15話「黄色の輪菊」
たまは先ほどたすけてくれた青年に手をひかれて、城の中へと逃げていた。
涙を溢れさせながらも、懸命に脚を動かしていた。
「う、ひっく、千代麻呂様を死なせてしまいました…………」
「……しょうがない。とくかく、今は逃げて、侠玄(きょうげん)様を守るんだ」
「……はい!」
「たま、戦が終わったら、うっ……!」
角を曲がり、廊下を走ろうとしたところで、青年は崩れ落ちた。
後ろには蘭丸が立っていた。
「え……?」
青年はもう動くことはなかった。
たまが突然叫んだ。
「侠玄(きょうげん)さまぁー!お逃げください!」
たまが叫んだ先の部屋に、蘭丸は障子を体で突き破り、入った。
中には、成人男性と少年の間に、小太りでえんじ色の羽織を着た中年の男を目が捉えた。
「げっ!」
(こいつが斎藤 侠玄)
「誰っ!?お前、らんま……!?」
天馬(てんま)が叫び終わるよりも前に、蘭丸が瞬く間に飛び掛かかる。
和典(かずのり)と天馬が侠玄の前に割り込んだ。
蘭丸は顔をしかめつつも、和典の足元で身を捻ると、回転するように、天馬の首を狙い、刀を振った。
「天馬!」
和典の脚が僅かに蘭丸の肩に当たり、軌道がずれる。
蘭丸はしゅんと体をひねり、軽く飛び、一旦、後ろに下がった。
「え……?」
天馬が違和感のある首もとに、手を添えて目を丸めた。
浅く切れ、血がたらぁと垂れたかと思うと、ぽたぽたと下に落ち、白い着物を汚した。
「残念。やれると思ったんですけど」
ふふふと蘭丸が笑う。
天馬の目からポロポロと涙が溢れ落ちた。
それを和典が覗きこむ。
「天馬!大丈夫か?」
「ちょっと……びっくりしただけだもん」
ごしごしと袖で目元を拭くと、天馬は刀を握り直す。
「今から本気だす」
「おー」
「和典様もだよ!」
「ほい!」
侠玄はその隙にと、お金なのか、何にか包み紙を自分の懐に入れる。
「くろみ、ここまで来たのは、こいつだけみたいだな」
くろみがこくんと頷き終わらないうちに、叫ぶ。
「おい!和典!相手は子どもだ!さっさと殺せ!」
「わかってるっつーの!くそ親父はさっさと逃げろ」
「侠玄様、今のうちに!」
たまが侠玄の荷物を持つと、一緒に走り出した。
くろみも大きな風呂敷を抱え、着いていく。
そこへ、どたどたと思い足取りが複数入ってきた。
「蘭丸ー。遺体ってどこ……」
信長の家臣の一人、敏史(としふみ)が4人の武士を連れてのっそり部屋に入ってきた。
「まだ生きてんじゃん!」
目の前にいる敵に、敏史は指をさす。
年ということもあり、かなりぜいぜい息切れしている。
「敏史殿、助かりました。さすがにこの人数を相手にするのは大変なので」
また戦う羽目になったと、憂鬱そうな顔を浮かべる敏史。
目の前の男と子どもに視線を送る。
「え……あ、で、こいつは……?」
「事前情報から推測すると、ダサい赤色の羽織にダサい金ぴかの被り物は息子の齊藤 和典(さいとう かずのり)。隣は、その寵童(ちょうどう)の天馬(てんま)だと思われます」
「そ、そうか……」
情報では、そこそこ強いはずだった。
敏史は額に汗を浮かべる。
「私は侠玄を追います。こいつらは敏史殿にお任せしますね」
「え、あー」
敏史は瞳だけで、たまを見ると、「ひっ!」と引きつった表情をされ、侠玄の影に隠れた。
「……わかった」
蘭丸は少し下がると、代わりに、敏史とその家臣たち4人が切りかかりに走り出す。
「天馬!」
「はい!」
和典の声かけで、二人は同時に走り出した。
「ぐあぁぁぁ!」
窓から、挟玄のところへ近道しようとしていた蘭丸は顔をしかめ、振り返る。
敏史と連れて来た家臣5人全員が床に倒れた。
「…………」
「弱」
「年いってるやつばっかだったしね」
天馬は服についた木くずを払い、蘭丸を見た。
「蘭丸、応援に来たやつ、みんないなくなっちゃったよ。どうする?」
天馬はふふんと自信満々に、蘭丸に笑いかける。
蘭丸はにっこりと笑って返した。
「美濃一、可愛い小姓は、刀握らず、ちんこばっか握ってると聞きましたが、ちゃんと鍛錬もしてたんですね」
「してるもん!誰情報!?」
蘭丸は一瞬で姿を消すと、天馬へと切りかかった。
天馬が首ぎりぎりで止めると、さらに刀を押し進めようとする蘭丸の首へ、和典の刀が振り下ろされようとした。
蘭丸は身を捻り、和典の腕を蹴り上げる。
一旦離れると、すかさず天馬が切り込んできた。
天馬の攻撃をかわし、和典の攻撃をかわしを繰り返す。
敏史とその家臣たちが倒れている場所から、だんだんと遠ざかっていった。
お互い、致命傷を負わせることはできず、攻撃と防御を繰り返すばかりだった。
それもどんどん壁がどんどん破壊されていく。
振動で、屋根の瓦が落ちていく。
蘭丸が太い大きな柱を切り倒した。
蘭丸と天馬、和典の間に、ギギギと倒れおち、長押の上に飾っていた絵ががたんと落ちる。
「おっと」
天馬たちも、一度、動きを止めた。
蘭丸がボロボロになった柱の後ろから笑っていた。
「すごい息ぴったり!綺麗な動きだね!いつから和典殿の寵童なの?」
「詳しく聞きたかったら、まずは自分から言いなよ」
「そうだね」
蘭丸は右肘をあげ、刀を背中に下ろしたポーズで妖艶に笑う。
「私は信長様の寵童の森蘭丸。10歳のころから、信長様に仕えております。えっち大好き。いじめられるのもっと大好き。よろしくね」
「ドMって噂本当なんだ」
目を丸めた天馬は気を取り直し、刀を持つ右手を顔の近くに持ち上げ、蘭丸に笑う。
「俺は藤井 天馬(ふじい てんま)。斎藤和典様の寵童。11歳からやってるから、今日でちょうど1周年。好きな体位は正常位で、大好きなのはむぎゅーってしながら、イくの」
「ふふ。天馬は顔も可愛いけど、服も可愛いね。金柑の刺繍が入った白の着物に、その赤い襦袢の差し色、めっちゃえっち」
「ありがと。……和典様にいただいたんだ。ぜったい、切らせないから」
天馬はにぃっと笑って返す。
「死ね!」
不意を狙った侠玄が、叫び声と共に、横から蘭丸に切りかかる。
それと同時に、大きな影が侠玄の刀を弾き飛ばした。
大きな物音の中から、低い、色気を帯びた男の声が響く。
「蘭丸すまん。遅くなった。というより、お前が想像以上に早くここに着いていて驚いた」
蘭丸の前に信長が立っていた。
「ッチ……」
いつの間にか距離を取った侠玄が舌打ちをする。
「いえ。私こそ、侠玄を目の前にもたもたしてました」
「こいつが、織田、信長……」
ぽつりとつぶやく和典の隣で、威圧感に怯えた天馬が、小さく震えていた。
とんと小さく、和典が天馬の背中を叩いた。
「息、吐けー」
「はぁぁぁぁ。よし」
不思議とそれだけで、手の震えは収まった。
信長が目の前に立つ、和典と天馬を見た。
「あのダサい男より、寵童のが、有能そうだな。反射もいい。勘もいい。あの男のもとにおいとくにはもったいなさすぎるな」
「……確かに、動きはいいですね」
「侠玄様、信長が来てしまいました!もう逃げましょう!」
たまが壁の影から呼ぶ。
微笑を浮かべ、信長が侠玄を見た。
「侠玄、久しぶりだな」
「信長、まだ生きてたのか。ずいぶんとおっさんになったな」
「どうだ?俺は親父より強いだろう」
「ははっ、それは、俺を殺してから言え!ここは俺の城だぞ!俺に歩がある!やれ!」
壁が破られると、刀を構えた侠玄の家臣が一斉に走ってきた。
「蘭丸」
「はい」
信長の声に短く返事をすると、二人は同時に動き出した。
近づいてきた家臣をそれぞれ一人ずつ順番に、といっても、瞬きするほどの速さで、切り倒していく。
「はや……」
一瞬怯む天馬に、和典が声をかける。
「天馬」
天馬はこくんと頷くやいなや、走りだすと、大きく飛ぶ。
侠玄の家臣たちをさばいていた信長への首へ刀を伸ばす。
それと同時に、下から和典が刀を腹へと伸ばす。
信長はその刀を左手の甲でばちんと振り払うと、刀は簡単に飛んでいった。
「はっ……!」
それに気を取られた天馬は、横から飛んできた蘭丸に、切りかかられる。
「うっ、ぐぅっ……!」
なんとか衝撃を受け流すも、そのまま、離れたところに転がってしまう。
それに、蘭丸がさらに切りかかる。
ギインと金属同士が当たる嫌な音が響き、二人の顔の間で、刀が押され合う。
「んっ……!」
「く、うぅ……!」
蘭丸の力の方がやや強く優勢だったが、どちらも引けず、膠着状態になった。
「やはり、寵童の方が動きはいいな」
信長は天馬に視線を送る。
蘭丸に、刀を切りかかられながらも、なんとか押し返し、視線は和典を探していた。
「和典様ぁ!」
天馬が目を見開いて叫ぶ。
「う、動かない……!?」
信長の目の前に膝をついていた和典は動かなかった。
信長に、左の人差し指で、額を押されている。
「天馬と言ったか?顔立ちもいいし、あの前髪が可愛いな。よく似合っておる」
「天馬には手ぇ出すなよ!」
ふふっと笑うと、右手一本で軽く振り下ろされた信長の刀が、和典に大きく入った。
「ぐ……ぁ……!」
「死ねぇぇぇぇ!」
和典の血しぶきが大きく上がる中を、侠玄の投げた短刀が一直線に信長へと飛んでいった。
天馬と切り合いながら、動けない蘭丸が叫ぶ。
「信長様!」
たまが飛び出した。
信長の前に立つと両手を広げる。
ぶすっと短刀が、たまの胸に刺さった。
「たまちゃん!?」
侠玄も、天馬も、たまの不可解な行動に目を丸めた。
胸から液体が溢れ、着物を濡らしていく。
無色透明で、血ではないようだった。
「たま………!?」
「ふふふ」
たまは笑っていた。
「会いたかった、雪」
後ろにいる信長の腕が、雪の体に周る。
指が頬をなぞり、首をつたい、鎖骨にいく。
そのまま後ろからぎゅっと抱きしめた。
「潜入、ご苦労だった。雪」
「信長様、雪もお会いしたかったです」
雪は信長の腕に、うっとりと顔を傾けた。
「雪、いい子?」
「あぁ、いい子だ」
驚いた顔をしている天馬の一瞬の隙をつき、蘭丸は腰に隠していた針を取ると、天馬に振り降ろそうとした。
しかし、片手を離した蘭丸の隙をつき、天馬が身を捻って逃げる。
長時間、力を入れ続けていた蘭丸ははぁっと息を吐き、信長の前に立つ人を見た。
「……姉上、やっと参戦してくれるんですね」
和典は、傷口を天馬に布できつく縛ってもらいながら、睨む。
「くっそぉ、あの女、間者かよ……」
「たまちゃん……?」
天馬が目を丸め、顔を見つめた。
そこにいたのは、お菓子や下ネタで盛り上がる、たまの顔ではなかった。
目すら合わせてくれず、少しだけ、眉尻を下げ、申し訳なさそうにつぶやく。
「ごめんね……天馬」
「え?どういうこと?たまちゃ……」
「こいつは俺らを騙してた性悪女だったってことだ。どーせ、いろいろ情報も流してたんだろ。じゃなきゃ、小介と平尚がこんなに早くやられるわけねぇ。天馬、もうこんなやつ、心配したり、慕ったりしなくていーぞ」
「ひどい」
天馬は涙を溜めた目で雪を見たが、見られていることに気づいているのか、雪は視線をやることはなかった。
「あのハゲおやじにベッタリしてて、怪しいと思ったぜ」
「ッチ……。くろみ!くそ女を殺せ!」
侠玄の命令に、くろみがでクナイを同時に3本投げた。
雪は手元を見ずに、背後にいる信長の、腰にあったもう1本の刀の柄を掴む。
抜いた瞬間、くろみのクナイは当たり、転がっていった。
「信長様、くろいのは私にお任せください」
雪は振り返り、背伸びをして、信長の頬にキスをした。
「蘭丸!ちゃんと信長様をお守りしなさいよ!」
「はい!」
雪はそのまま、くろみに切りかかろうとした。
くろみはまた服から短刀を出し、構える。
しかし、向かってきた雪はくろみの足元の床を大きく切った。
「なっ!?」
信長の刀は切れ味がよく、そのまま二人は階下へと落ちていった。
体勢を崩しながらも、くろみは手持ちのクナイをどんどん投げる。それを雪はすべて払い落としていった。
「女の動きじゃ……」
「もぉ、邪魔」
雪は、着物の右肩の布を、肩からがばっと下ろした。
破れたサラシから、ぼたりとウサギの皮に入った水袋が二つ落ちる。
つるぺたの胸が現れた。
「え!」
目をやるくろみに、落ちていたクナイを投げた。
くろみも、クナイを投げ、空中で当たると、二つともそのまま下へ落ちていく。
「きゃっ!」
雪が足元の木の破片に脚をひっかけ、体勢を崩す。
くろみは、その隙に接近すると、背中に隠していた短刀を取り出し、切りつける。
それがわかっていたかのように、笑った雪は刀で受けた。
ぐっと刀の角度を変えられると、くろみの短刀は、ぽきっと折れてしまった。
くろみは一旦、雪から距離をとると、次の武器を掴もうと、手を体に這わせる。
「ハッ……!」
くろみは固まる。
「どうやら、武器になりそうなものは、もうないみたいだね」
桃色の着物をはだけさせ、右肩を出し、刀を持った雪が笑っていた。
「くっ……!」
背を向け逃げ出したくろみに、雪は音も立てずに一瞬で近づくと、胸から腹にかけ、大きく切った。
「ぐあぁ……!」
そのまま、仰向けに寝っ転がったくろみの上にのった。
「さっき、私の体見てたでしょ」
首には刀が突きつけられていた。
くろみは、雪の太ももをぽんぽんと優しく、撫でるように叩いた。
「も……もう致命傷ついたし、武器とかないから。たまちゃん、最後にプロフィール教えてよ」
「いいよ」
にこっと笑うと、雪はくろみの胸に右足を乗せ、膝を立てた。
着物の裾がめくれ、太ももが露わになる。
そこには、蘭丸と同じように、布が巻かれていた。
織田の家紋である織田木瓜(もっこう)、蘭丸と同じ鶴の丸の家紋。
そして、黄色い輪菊(りんぎく)の刺繍。
「織田信長様の寵童、森 雪成(ゆきなり)。15歳。男でーす!」
「……ははっ。ほぼ、ちんこがある女じゃん」
雪は左手で、くろみの顔の布をはぎ取った。
「ふーん。やっぱぶさいくだった。さようなら」
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