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第17話「己を律する」
ヤマという男を追い、坊丸はかなり遠くまで移動していた。
(ヤマ……あと一人……)
手が空いたら応援に行くわと言っていた仲間の姿は見えなかったが、坊丸はまったく気にする様子はなく、目の前の仕事に集中していた。
矢を持ち、弓をひきかけながら、足元の悪い山の中を歩き続けてきた。
「はぁ…………う……」
それほど速く走ったわけではなかったが、まだ体力が幼い坊丸にとっては、体への負担は大きく、息が上がり、呼吸を乱していた。
おまけにかなりの急斜面。
気を抜けば、岩肌が丸出しの崖に落ちていきそうだった。
一方で、ヤマたちとは別の、視界に入らない人の気配もなんとなく感じていた。
負傷していないであろう男たちの呼吸。土を踏む足音。向けられる視線。
だんだんと近づいてくる。
(……敵の気配……俺を狙ってる……あと一人。これを射れば、向こうのやつは殺し終わる……今)
ヤマの動きが止まり、視界を遮るものがなくなり、絶好の機会だった。
坊丸は近づいてくる男たちに自衛することを諦め、矢を放った。
「やっ!」
手から矢が離れた瞬間、男たちの腕が坊丸を鷲掴む。
「暴れんなよ」
「離せ!やめろ!」
男が腕を力任せにぐっと持ち上げ、坊丸の顔を覗きこむ。
「お、こいつ、めちゃくちゃかわいいじゃん」
坊丸は暴れながらも、自分が放った矢の方へ視線を向ける。
狙いを定めていたヤマの首には矢が刺さり、ばたりと倒れていった。
「離せ!いたい!触るな!」
坊丸を取り囲んでいる男は四人。
小汚い格好で、戦から抜け出してきた斎藤軍の連中か、山賊といったところだった。
「ひっ!」
男たちの手が体中を撫でまわる。
狙っているのは、命ではなく体なのだとわかり、鳥肌が立った。
「こいつが噂の蘭丸?」
「あの、絶世の美少年で、信長の性玩具の?」
「ラッキー!」
坊丸は腰にある、戦ではあまり使わない刀へと手を伸ばした。
しかし、刀を抜く前に、男に簡単にその腕を掴まれて、刀は鞘ごと盗られてしまう。
背中にあった矢をいれていたつつもまた、男によって、奪われる。
「離せ!もうすぐ、援護が来る!俺は信長様のお気に入りだから、手を出したとわかれば、確実に殺されます!いいんですか!?」
「どうでもいいわ。たまたま生き残ったんだし」
「もう我慢できねぇんだよ」
「いったい!」
褌をはぎ取られ、男の太い指が尻の穴を無理矢理こじ上げる。
坊丸の脳裏に主君の顔がよぎった。
「くっ……」
坊丸は男を睨みつけると、腹を思いっきり蹴った。
「おい!」
男たちは目を丸める。反動で、坊丸はそのまま、崖の下へと落ちていった。
絶壁から生える木々を揺らし、下へと落ちていく。
「うわ、自分で落ちていきやがった」
「あーぁ、死んだな、あれ」
蘭丸たちは、陣へと戻ると、負傷した兵士たちの手当をしていた。
怪我をしているのは、ほとんど下級武士や足軽で、死者もほとんどでていない様子だった。
地面に座り、脚を投げ出している足軽に、蘭丸は丁寧に傷口を洗い、薬を塗り、布を巻いていく。
手当てをしてもらっている足軽の脚は血まみれでどう考えても痛みが強そうなのに、目の前の蘭丸を見て、天国にでもいるかのような幸せそうな顔を浮かべていた。
隣で順番待ちしている足軽も同様だった。
「蘭丸ちゃんだぁ、脚の骨折れたけど、来てよかったぁ」
「蘭丸……福眼……」
「尊い」
「次、俺も手当してー。突き指しちゃったぁ」
「はーい」
蘭丸は笑顔で薬を塗りながら、水を運んできた雪に振り返る。
「姉上、坊丸見ませんでしたか?」
「ううん。見てないけど。てゆーか、佳鷹にぃにと御影もいなくない?」
雪の問いに、塗り薬を取り分けていた寿々晴が振り返る。
「あっちで、えっちしてました」
「ふざけんな」
「坊丸、どっかで寝てんじゃない?」
「坊丸って、集中力切れるとぽんこつ丸になるよね」
「はぁ……。ここに帰りつくまで気を抜いたらいけないと言ったのに」
すかさず、雪が腰に手をあて、蘭丸に少し強い眼差しを向けた。
「そんななら、ついてなきゃ。それができなかったら、他の人を坊丸につかせなきゃだめでしょ」
「はい……」
そのやり取りを休憩していた男たちがニヤニヤ見ている。
「しゅんとしてる蘭丸可愛い」
「お兄ちゃんしてる雪ちゃん可愛い」
「二人とも可愛い」
蘭丸の隣でご飯食べていた、きなこ色の柴犬のと鷹に声をかける。
「きなこも、よもぎも知らない?」
きなこと、よもぎは一緒に首をかしげる。
「ちょっと他の方にも聞いて回るので、姉上、お手当て代わってください」
「はいはい」
蘭丸は、休憩している男たちや城へ帰る支度をしている男たちの中を声をかけて回った。
「坊丸ー!坊丸知りませんか?」
蘭丸の声に、部屋で一益と話していた信長が顔を出した。
「蘭丸、坊がいないのか?」
「はい。男を一人追って、山の中へ入っていったそうなんですが、探してきてもよろしいですか?」
「俺が行こう」
「そ、そんなこと信長様にお願いできません!私が行きます!」
「蘭丸は、手紙をいつもの連中宛てに書いておいてくれるか」
「でも……」
蘭丸が言い終わらないうちに、信長は一瞬で消えた。
「……」
主君を一人で行かせてしまい、どうしようと口を開けて固まっている蘭丸に、一益が声をかけた。
「いいよ。行かしておけば。死ぬことないし、坊丸が心配なんだろ」
「はぁ……」
山の中、二人の少年が並んで歩いていた。
百姓が山の中で山菜を取るような恰好で、背中には籠を、それぞれかついでいた。
今までしていた手ぬぐいの頬被りは、すでに人気のない場所で、邪魔だということもあり、外している。
よく見えるようになったその顔は、二人とも綺麗に整った顔立ちをしていた。
背の高い少年は、まだそれほどの歳でもないだろうに、しっかりとした眉に、男らしさを感じる顔だった。
一方、背の低い少年は、少し、色素の薄い髪と瞳、丸みを帯びた顔で、可愛いらしさも感じる顔だった。
その少年が薄い唇を開ける。
「織田は……強かったですね」
「そうだな。それぞれ兵を分散しても、余力があったな」
「はい」
「次はうちだな」
「…………」
「律(りつ)」
張り詰めたような息遣いに気づいた己一(きいち)は、そっと律の手を握ると、優しく笑いかけた。
「そんな顔するな。大丈夫だ。律。そのために俺たちはいろいろ準備しているじゃないか」
「はい。そうですね。己一様」
その一言と、声と、手の温かさで、今まで心臓をぎゅうと締め付けていたものがほどけた。
ふぅっと息を吐く。
「すみません。取り乱して」
律の顔を見て、己一は頭を撫でながら笑う。そして、その手をまた繋ぎ、歩き出しだ。
山の中にいるりすを見つけて、笑い合ったり、形のおもしろい枝を指さしながら、帰っていると、人らしきものが木々の中いるのを見つけた。
「ん?……あれは」
10歳くらいの少年だった。
木の枝に服が引っかかり、中途半端な状態だ。
ヒビの入った枝が折れてしまえば、落ちてそのまま下の岩に頭をぶつけてしまいそうだった。
「あんなに小さい子が……はっ、まだ、生きてる」
己一と律は迷わず駆け寄った。
律が少年の体を抱きとめ、己一が背中に背負っていた籠から刀を出す。
かなり年季が入っているが、大切に使われてきたのがわかる代物だった。
枝に引っかかった服を切ると、安全な岩の下まで下ろす。
少年の頭を切れ、血は固まっていたが、スネが赤く腫れていた。
他にも、体中、切り傷だらけだった。
「こんな小さい子どもまで戦わせて……かわいそうに」
律は、籠から巾着袋を取り出し、中から薬箱を出した。
切り傷に紅色の薬を塗り、赤く腫れた脚に当て木をして、布を巻いた。
「鎮痛剤を飲ませてやるか」
「はい」
粉薬を水に溶かし、口の中に流し込むと、こくこくとゆっくり飲んでいく。
少年の着物の裾が破れ、露わになった右の太ももには紋証(もんあかし)が巻いてあるのに、律は気づいた。
「織田信長の紋証です。すずらんの花なので、家臣である森家の四男、坊丸ですね」
「弓の名手の坊丸か。こんな小さな子どもだったんだな」
「すごく、目がいいようですよ。獲物を狙う隼(はやぶさ)の羽の数まで数えられると」
「ははっ。なんだそれ」
「だ、だって、よねさんがそう言ってました!」
朗らかに笑う己一に、律が少し顔を赤くして返す。
「律はすぐに人の言うことを信じるからな」
「よ、よねさん、物知りじゃないですか。たまに話盛りますけど。こないだだって……」
「はっ……!」
己一は律の体を引き寄せ、抱きしめる。律はその腕の中で刀を握る。
あたりを気配を配るも、それ以上人が隠れている場所はわからなかった。
「やな気配だ。行くぞ」
「はい……」
立ち上がり、歩き出そうとした律は心配そうに、坊丸を振り返る。
「そいつは連れてけない」
「はい……」
二人は一瞬で消え、どちらへ行ったかもわからなかった。
木の陰から気配を消し、二人を見ていた信長が現れた。
坊丸に近寄ると、横向きに抱き、蘭丸たちのもとへと急いだ。
「ん………」
馴染みのある体温に坊丸がゆっくりと目を開いた。
「坊丸、大丈夫か?」
「はっ……の、のぶながさま……!?すみません……私……」
「このまま動かない」
「はい……」
「ヤマを一人で追いかけて仕留たようだな。遺体確認したぞ。がんばったな、坊丸」
信長は、体を持ち上げると、額にキスした。
坊丸は頬を染め、もじもじとする。
「仕留めたあと、男たちに襲われてしまって……信長様とは……まだなのに、いやで……自分から崖に飛び降りてしまいました」
「可愛いことを言うなぁ。が、自ら崖から落ちのるのは危険すぎるぞ。もう少し、接近戦でも逃げれるように鍛練しないといかんな」
「はい……精進いたします」
坊丸をだっこして帰ってきた信長を見つけると、蘭丸と七之助が駆け寄ってくる。
「坊丸!」
「あにうえ……」
「よかったぁ!生きてた!」
「もう心配したんだからね!」
「信長様がお手当てを……?」
「……いや、俺が見つけたときには、手当てが施された状態で寝かされていた」
「え!?」
「坊は手当てしてくれた人わからないの?」
「はい。気を失っていたようで」
「誰だろね」
「案外、敵かもよ。味方だったら、手当てしただけで放置しないし。それに、この塗り薬、織田軍が使ってるのじゃないし」
蘭丸はめざとく、坊丸に巻かれた手ぬぐいの下の塗り薬を指さした。
独特の紅色で、ほんのりゴマのような香りがした。
七之助は両手を絡め、頬赤らめた。
「坊丸ファンの敵が、手当てして、本当は連れて帰りたいんだけど、なくなく諦めたんだよ。あー、素敵。禁断の恋」
「また七之助の妄想が始まったよ」
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