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第6話「くそがき」
「うわぁぁぁ!」
「止まれ!止まれ!」
「おい、言うこときけ!」
小雨の降る中、男たちの叫ぶ声と馬の悲鳴が響き渡っていた。
川幅の広い木曽川を渡ろうとしていた馬が暴れ、荷物が落ち、多くの男が慌てていた。
少し先では先発隊がやられ、織田軍の旗がバタバタと倒れていく。
まさしく混乱状態だった。
空はどんよりと曇り、暗かった。
「一旦留まれ!これ以上進むな!」
馬に跨がった信長が叫ぶ。
隣に、同じように馬に乗っていた蘭丸が、信長の言葉を伝えに、叫びながら歩いた。
すぐに近くには数十の敵がこちらの様子を伺っている。
丸い大きな瞳の、整った顔立ちをした壮年の男性が、信長に叫ぶ。
「信長様!ここは俺らが引き受けます!一旦、体勢を整えてください!」
「頼んだぞ!佳秋(よしあき)!」
佳秋は自分の家臣数人を従え、馬ごと川へ入っていった。
訓練されたその馬たちは、水に臆することなく、突き進む。
他の数十人の兵士たちは川から馬を引き上げ、その場を離れることとした。
しかし、それを馬に乗って追ってくる集団があった。
20人ほどにも関わらず、馬術が堪能で、馬はよく言うことをきいている。
敗走する織田軍の集団の外側へ、馬に乗った光秀が移動した。
「信長様!もっと奥へ!中心へ!」
光秀は槍を突き出してくる男をばさりとなぎ倒す。
「やるなぁ、光秀殿」
藤継が遠くから眺めながら、呟いた。
もう一騎、近づいてきた武士を、光秀は馬から引きずり下ろす。
それを見た敵軍は、馬の脚を遅め、だんだんと撤退していった。
「よし、あとは走るだけだ。うわぁ……」
光秀の馬が何かを踏み、体勢を崩した。
そのまま、ずるっと光秀は落馬する。
光秀の馬は周りの馬と共に、走っていった。
「お、おいっ!行くな!俺、さっきまでかっこよかったのに……」
「光秀殿!大丈夫ですか?」
蘭丸がかけよるり、急いで自分の馬に乗せた。
「あずき、がんばって」
あずきと呼ばれた蘭丸の乗る馬は、ヒヒンと鳴き、走り出す。
乗っていたのが、まだ体重の軽い子どものため、男一人追加されても、なんとか走ることができた。
蘭丸の後ろで乾いた笑い声が聞こえた。
「あはは……腕、折れちゃったかも……はぁ……」
「どんまいです」
「たわけ!何をしてる」
死角になる林の中で一旦、織田軍は待機する。
光秀の負傷を聞いた信長の一喝がとんだ。
信長がそれだけで人を殺せるほどの形相で光秀を睨む。
光秀はもう一度、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません……」
蘭丸は光秀の腕に当て木をし、さらしを巻いて固定した。
ざっと、木々を揺らす音がしたかと思うと、砂煙を上げ、七之助が信長の前に着いていた。
七之助のいる一益の軍は、やや離れた山の斜面で待機し、敵の様子を伺っている。
「も、申し上げます!北西より、川と麓を通り、歩兵、300人ほど見受けられました。こちらに向かってきている模様ですが、速度は遅いです」
「……そうか」
信長は軽くため息を吐いた。
椅子に座る。
秀平が持ってきた水を受け取り、一口飲むと、その茶碗を地面に叩きつけた。
パリーンと綺麗に砕け散る。
「ひぇ……!」
周りで突っ立っていた家臣たちが、びくっと体を震わせ、みな、地面を見つめる。
「これはヤバい」「ブチ切れモード」
離れたところに立つ家臣たちが囁き合う。
蘭丸だけがさささと駆け寄ると、雨で濡れた信長の顔を拭く。
「蘭丸、状況を説明してみろ」
「はい。西側は川を馬が嫌がり、進むのは困難。南西の方角より、先ほど馬術に熟練した1師団。北西より300人の兵力が近づき、囲まれようとしている状況です」
「そうだな。秀吉のところへ戻るには、山を一つ越えねばならん」
ふーっと信長が大きく息を吐いた。
「……」
家臣たちは絶望的な状況に黙りこくり、物音ひとつどころか、ぴくりとも動かなかった。
「へー、それ、超ヤバくねー?」
突然の聞き慣れない少年の声に、蘭丸は凍りついた。
信長の横にいた蘭丸は立ち上がり、刀を握る。
「ここだよー」
見上げ、声を主を探すと、少年が木の枝に座り、こっちを見ていた。
やはり、見慣れない顔。
武士らしくない、肩までの袖に太ももが見える長さの着物。
蘭丸は、声の主に睨んだ。
「お前、何の用だ?」
「天下一のイケメン、織田信長を拝みにきたんだよ」
ふっと木から消えたかと思うと、蘭丸も消えた。
信長の2メートル手前で、蘭丸は少年の太ももに刃を入れようとしていたが、少年は鋭利な鉄の塊で防いでいた。
その様子に信長は目を細め、笑った。
「へぇ。蘭丸の攻撃を涼しい顔して受けるとは感心」
「なんだよ。信長近くで見たいだけなのに」
「許可なく近寄るな」
蘭丸は少年と刃を合わせたまま、睨む。
「名を名乗れ」
「御影(みかげ)」
蘭丸の覚えている限り、そのような名前の家臣も、家臣の身内もいないはずだった。
御影と名乗った少年は、にぃと笑う。
「蘭丸。噂どおりの美少年だな」
「君も十分美少年だよ」
遠くで、七之助がつぶやいた。
顔に見とれていたのは、織田軍の男たちも同じで、舐めるように御影を見つめている。
「蘭丸、もういい。なおれ」
信長の命に、蘭丸は刀を下げた。
御影も同時に手を下げる。
「…………」
刀を収めつつも、蘭丸はじっと御影と名乗った少年を見ていた。
信長を前にふふんと自信に満ちた笑みを浮かべている。
普通の人は、大人であろうと、信長を前にすれば、そのオーラに固まってしまう。
信長が口を開く。
「お前が、雪が言っていた忍者だな」
「姉上が?」
「おー。いい仕事紹介してもらったんだよ。やっぽ来てよかったぜ。イケメン主君。家臣もイケメン揃いのイケメンパラダイス☆」
御影は自分をじろじろと見ていた男たちをぐるりと眺めた。
その中でも、秀平を見つけると、ウィンクする。
それに、満更でもないように、へらへらと秀平は笑みを返し、手を振った。
「雪の手紙は?」
「はいよ」
御影は懐から、小さく畳まれた紙を取り出し、蘭丸に渡した。
蘭丸が広げると、細い筆で、綺麗な字が書かれていた。
『御影、めっちゃ強いよ!
お金さえ払えば、信用できる。
おすすめ(^_-)-☆』
「確かに、姉上の字です」
それでも蘭丸は厳しい目付きで、御影を見た。
「先日、信忠様を狙ったのは甲賀の忍者だった」
「さぁ。そういうやつもいるかもな。他のやつの仕事なんか把握してねーし。俺は俺個人を信長に売りにきたんだよ」
信長に妖艶と自信に満ちた顔を向ける御影。
それに、信長は薄く笑って応える。
蘭丸の珍しく冷たい声が響く。
「お前、不愉快」
「ふふっ。お前、俺を拒否ってる場合か?ピンチだったんじゃね?」
「…………」
御影はつやつやしたおかっぱの髪を揺らし、信長に振り返った。
顔だけ見れば、女の子に見える。
切れ長の目は、細すぎず、長いまつ毛が揺れていた。
白い肌に長い手足。
信長の小姓にいそうな美少年だった。
その年の子どもではできないよな、妖艶な視線を送る。
「信長、俺と契約しよーぜ。さっき手こずった1師団を敗走させて、見事、秀吉のところまで帰してやるよ」
「どうやって?」
蘭丸が顔をしかめた。
「その方法は契約しねーと教えられねーなー。ま、お前らの把握してない情報も俺は持ってるしぃ」
家臣たちがザワつき始める。
絶体絶命と思われていた状況で、これだけ自信満々に語られては、希望を持たずにいられなかった。
「明日の夜明けまでには帰せるけど、契約するなら、余裕をもって、丸1日間。100貫でどうだ?」
「100貫!?」
蘭丸を始め、多くの家臣たちがザワついた。
「俺の2年分の給料じゃん」
「そんな大金……」
「いいだろう」
「信長様!?」
「さすが、天下の信長サマだぜ!契約成立な!」
御影は胸元から紙をぺろんと出した。
「契約書。ここに名前書いて」
蘭丸は信長を見た。
筆を持ってこいという表情に、蘭丸はすぐに用意し手渡す。
信長本人がさらさらと自らの名前を書く。
蘭丸はその紙をじっと眺めた。
『御影』と目の前の少年の名前が書いてあった。
それを手渡すと、また丁寧に折りたたみ、胸元にしまった。
「さぁ、敗走方法を教えろ」
「焦んなって。じゃ、まず、お前らの把握していない情報を教えてやる。お前らが手こずってた騎馬隊。あれは、長年、斎藤に仕えていた武士でもなんでもなくて、ついこの間雇われた忍者だ。それが約10名。そいつらが目立って戦っているだけで、鍛錬もしていないほぼ農民の足軽が、その後ろでうろうろしてるだけなんだよ」
「お前の同僚なのか?」
「同郷なだけで、同僚じゃねぇよ。顔はチラっと見たことあるだけで、面識はない。俺はお前と契約してんだから、殺す状況なら、例え、同郷だろうと殺す」
御影の今までのけらけらした表情から一点、冷徹な表情に変わった。
その顔に、本気だと蘭丸は確認した。
「つまり……」
御影の作戦に、周りで聞いていた家臣たちはザワつき、蘭丸は声を上げた。
「そんなの、失敗したら、損害が大きすぎます!」
「お前、小姓のくせに、すげー意見言うなぁ」
「おもしろいな。いいだろう」
「信長様……」
信長は立ち上がる。
「光秀、御影に馬を用意してやれ」
「え、あっ、はいっ」
「七之助。一益のみ、こっちにくるよう伝えろ」
「はいっ!」
「俺は少し休む」
信長は兵士たちの集団から離れ、垂れ幕で覆った囲いの中へと入る。
蘭丸も静かについていく。
汗と雨で濡れた服を着替えるのを手伝いながら、蘭丸は少し拗ねた感じで言った。
「……信長様、顔で判断してませんか?」
「しとらんが」
「あの子どもを信用しすぎです」
「雪から、多少話しは聞いていた。なにより、俺を前に、あの堂々とした態度だ。散々、死戦を潜り抜けてきたのだろう」
「んー、まぁ、実力があるのは、そう思いますが、途中で裏切ったりしないのでしょうか」
「それを判断するには時期尚早だな」
「それに、あの子ども、性欲強すぎです。瞬く間にうちの武士全員ヤられちゃいますよ」
「はははっ。自己責任と言いたいところだが、あいつの手の内に使われてはかなわんな」
「ホントですよ」
「じゃあ、蘭丸。お前は御影を見張っていろ」
「御意」
「それと……」
信長は蘭丸の頬を、両手で包み込み、自分に向かせた。
「その顔はやめなさい。せっかくの綺麗で、可愛い顔の蘭丸が台無しだ」
「はい」
頬を赤らめたかわいい笑顔で蘭丸は返事をした。
それに満足そうな表情を信長も返す。
「さ、口でしてくれるか」
「はい!喜んで!」
蘭丸は信長の脚の間に座り込むと、信長の帯へと手を伸ばした。
信長のお相手が済んだ蘭丸は、御影のところへ行った。
借りる馬を試しのりが終わり、降りたところだった。
蘭丸はやや不満そうな顔のまま、お辞儀をした。
「信長様の寵童の森蘭丸と申します。信長様の言付けございましたら、私をお使いください」
「別に敬語じゃなくていーぜ」
「……うん。じゃあ……そうする。……何歳?」
「13」
「ふーん」
「お前12だろ」
「うん。伊賀出身?」
「うん」
伊賀は三重の山奥にあり、忍者を育成していることで有名な場所だった。
伊賀出身の忍者は、蘭丸もたびたび見かけ、一緒に仕事をしたこともあったが、こんなに幼い少年は初めて見た。
蘭丸は笹の葉でくるんだおにぎりを御影にさしだした。
「お腹、減ってない?」
「お、減ってるー。気が利くじゃん。さんきゅー」
御影は両手で受け取ると、おいしそうに食べだした。
こうして見ると、ただの可愛い男の子だった。
「いつから仕事してんの?」
「10歳」
「好きな体位は?」
「騎乗位」
「好きそう」
蘭丸は、御影の顔を見た。
「御影は、これだけの大金をもらって仕事を引き受けたわけだけど、失敗したらどうするの?」
「お前らと同じ、切腹だ」
御影がニヤァと笑う。さっきとは違う顔だったが、蘭丸は確信した。これも本気だと。
馬の足音と共に、数人の男たちが帰ってきた。
丸く大きな瞳をし、整った顔した男がふらふらと歩いてくる。
御影がキラーンと目を輝かせた。
「はぁ……疲れた。みんなが落としてった荷物も持ってきたよ」
「あ、父上、いたんですか」
「いたよ!最初っから!蘭丸たちが逃げきれるように、俺らが後始末してきたんじゃん!」
御影が目を丸め、力なく指をさした。
「え、あれ、お前の父親?」
「うん。そうだよ」
「マジで!?若っ!」
「37だよ」
「37!?見えねー!」
「よく言われる」
「蘭丸の兄貴で全然イケんじゃん」
「つまり、威厳がないってことでは?」
「え!?これでも、数百人の家臣を従える大名なんだけど」
しょぼんとした顔で蘭丸の父親である佳秋(よしあき)がつぶやく。
先代から織田家へ仕え続けてきた家柄であり、それなりの実力者だった。
「へー。めっちゃタイプ。決めた!戦終わったら、こいつとヤる!」
「でも、父上は、信長様の使い古し……」
「ちょっと待て。父親よりノブナガのほうがだいぶ年下じゃね?」
「そーなんだよ!それで……」
「一益殿が到着されました!」
坊丸の声があたりに響いた。
盛り上がっていた蘭丸と御影は名残惜しそうに、信長のところへ向かう。
信長の周りに重臣が集まった。
一益、その寵童の七之助。光秀。蘭丸の父親である佳秋。蘭丸と信長。この6人が今、この場で単体で一番実力のある6人だった。
信長と御影が作戦を説明している最中、蘭丸はじっと黙って聞いていた。
「……作戦は以上だ」
一益が呆れと笑いが混じったような顔をした。
「まーた素っ頓狂なことやるんだな。ま、お前がそれを命令するんだから、勝算はあんだろ。いっちょ、やってやるか!」
「か、一益様!七之助がしっかり護衛いたします」
七之助が一益の服を掴み、泣きそうな顔で言った。
一益は七之助をぎゅーっと抱きしめる。
「七之助ー。頼りにしてるぞー。とにかく武器を払い落とすんだ。敵を追うんじゃなく、武器を追う」
「ぎょい」
「あのー。俺は……?」
佳秋の問いに、信長がめずらしく、小さく笑みを浮かべた。
「佳秋、ご苦労だったな。お陰で逃げ切れた。お前は後方で待機していろ」
「はい。そうさせてもらいます」
最後の打ち合わせを終えた男たちは、垂れ幕を出ると、それぞれの愛馬を乗りに向かった。
光秀が疲れた顔で呟く。
「はぁ。俺、腕折れてるのに……」
馬に乗り、数十分かけ、静かに、敵の近くまで詰め寄った。
敵は雑木林の中で待機していた。
足軽たちは、騒ぎながら食事をつまんでいた。
「不自然ですね」
蘭丸は隣にいた信長に囁いた。
「そうだな」
「あちらに10人の男が固まり、話しながら食事をとっていますけど、その周りに付き人らしきものが見当たらない」
「な、俺の言ったとおりだろ」
御影がにやにやと笑う。
「あの10人が雇われ忍者だ。だから、お前らみたいな、いたせりつくせりしてくれる付き人はいねーんだよ。きっと今ごろ、このままだらだら戦(いくさ)引き延ばして、契約終了しようぜって話してるぜ」
「今チャンスじゃないですか?」
光秀の言葉に、信長が静止させる。
「まぁ、待て。うちの歩兵たちが全員到達するまで待て。その間に、あの10人の顔をしっかりと覚えろ」
「御意」
蘭丸は、目の前の敵の顔や背格好を記憶した。
今は身なりが他の足軽よりも重装備なため、わかりやすいが、装備を捨て、逃げることも考えられる。
御影はその蘭丸の顔をじーっと見た。
「お前って、ホント可愛い顔してるよな」
「うん」
「謙遜もしねーのかよ。ムカつく」
「ま、自信を持ってやってるからね。信長様ほどの武将の寵童、これくらいのレベルじゃないと」
「へー。んじゃあ、えっちも自信あるのか」
「当然」
「へー」
蘭丸のお尻に柔らかいものが触れた。
「はぁ!?むやみやたらに触らないでくれる!?信長様のものなのに!」
「何、純情ぶってんだよ(笑)」
「べつに……」
後ろにいた信長の手がぽんと頭に乗る。
「お前たち。そろそろ行くぞ」
「御意」
「かかれ!」
信長の大声と共に、馬が走り出す。
「なんだ?」「騒がしいな」
休憩していた敵軍が、馬の足音にザワつき始める。
「うわっ、織田軍だ!」
「武器を持て!」
「立てー!奇襲だー!」
動きのいい10人が先に馬に乗った。
その後ろをおろおろと、足軽が武器を探し、歩き出す。
馬上の男たちが、顔をしかめる。
「誰が指揮してる!?」
「織田信長?信長だ!!」
「あっちは一益だ!」
「光秀……!?」
「なぜ大将が先頭に!?」
本来、バラバラで師団を指揮する実力者たちが、集まり向かってくる。
その状況が理解できず、10人は対応に悩み、固まっていた。
「ぐぁぁぁぁ……!」
そうこうしているうちに、一人が、瞬く間に近づいてきた一益に切られ、馬から落ちていった。
「わぁぁ!栄六さんがぁぁ……!」
「ひぃぃぃ……!」
織田軍の勢いに、足軽たちは半分以上が遠くで、引きつった顔して固まっていた。
「矢、矢を放て!」
誰かの指示に、数人の足軽が、矢を放った。
一益のところへ5本の矢が飛んでいく。
(武器を追う……武器を追う……)
馬から飛び降りた七之助が、無駄のない動きで一益の前に出ると、刀ですべての矢を払い落とした。
すぐに体勢を整え、馬の邪魔にならないよう離れ、また別のところから放たれた矢を払い落とす。
今まで不安な顔で、おどおどしていた七之助だったが、目が違っていた。
研ぎ澄まされたような目。
そして、洗練された動き。
「やるじゃん。あいつ」
御影が頬高揚とさせ、七之助を見ていた。
馬に乗りそこなった敵の男が仲間に声をかけた。
「俺らで信長を!」
「おう!」
三人が信長に向かって走っていった。
「周りもみろよー」
御影が何かを縄でつないだものを振り回し、馬に乗っていた男に飛ばした。
「ぐあぁ!!」
男は馬から落ちた。
「このくそがき……ぐあっ……!」
その隙に蘭丸がとどめをさした。
蘭丸は御影に笑う。
「やるじゃん」
「伊達に100貫もらわねーぞ」
「さーてと、2人やったぞー」
ニヤニヤと御影は敵に向かって笑った。
経験豊富と思われた敵の雇われ忍者1人が、こちらの様子を伺う。
「…………」
蘭丸たちも様子を伺う。
今倒した二人よりは、実力がありそうだ。
一瞬、瞬きした間に、馬の上から消えていた。
「はっ……!」
雇われ忍者が二人、姿勢を低くして、走りこんできた。
蘭丸と七之助が姿勢を低くし、構えると飛び出していった。
蘭丸が敵の右側、七之助は敵の左側に大きく回り込む。
「七之助、右だ」
周りの男たちの怒声や火薬が爆発する音の中、かなり離れていたところにいた一益の声が、七之助には聞こえた。
その瞬間、七之助は左に踏み込む一歩をやめ、右へ大きくジャンプした。
左には飛んできた大きな槍が地面に突き刺ささる。
七之助は蘭丸に当たりそうだった矢を払い落とした。
「っ……!」
蘭丸が雇われ忍者の刀をはじき飛ばすと、それが隣の男の首に刺さった。
「ぐわぁ!」
刀を失い、固まっている男の首に七之助が刀を入れ、あえなく男二人が地面に倒れた。
七之助と蘭丸は手を取って、ポーズをとると、信長と一益にアピールした。
信長が拍手を贈る。
「いい動きだった」
「さすが七之助ー。蘭丸ー。8歳のころから入れっこしてるだけあって、息ぴったりだね」
「えへへ」
一益が上機嫌で七之助の頭を撫でる。
御影の目がきらりと光る。
「入れっこ?」
「あとで見せてあげる。えっと、これで、3人殺したね」
「あの!4人です!俺も殺してます!誰も見てませんでしたか!?」
光秀が少し離れたところから、声を上げた。
「4人か。あと6人」
「御影の開始1分で、10人殺す案は失敗だったね」
蘭丸が顔を見つめると、御影が少しだけ罰の悪そうに視線を反らした。
「相手が思いのほか、気配消すのがうまかったな」
(つーか、信長やる気ねーのかよ)
先頭で馬を走らせていたものの、信長は刀の柄さえ、触れていなかった。
「あーぁ、やつら、どっか隠れちゃったね」
「でも、近くにいるよ」
少し離れたところに歩兵が固まっていた。
頼りにしていた雇われ忍者が次々にやられ、恐怖に染まった顔立ちするんでいる。
勝手に逃げ出してくれるまで、あと一歩だった。
「ほー、ほー、ほー、ほー。あれが蘭丸かー。めっちゃ可愛いのぉ」
遠く離れた林の中から、望遠鏡で一人の男が何かを見ていた。
変装なのか、体中に草を生やし、草のだるまのようになっていた。
「義元様、じわじわと前に進んじゃってます。林から出ちゃいますよ」
「だって、よく見えないんだもーん」
周りにいる3人だけの家臣もまた、草を体にまとわりつけ、変装していた。
「もう行きましょうよ。見つかると面倒です」
「大丈夫。大丈夫。あいつらの歩きそうなところに、まきびし撒いといたから。今ごろ、お馬ちゃんぱにっくだろん。……あぁー、しちのちゅけ、汗かいて、えろいのぉー」
「あのぉ、俺にも見せてくださいっ!」
草で隠しているのに、さらに体毛でも体を隠している男が望遠鏡に手を伸ばした。
「ちょっと、待て。どこいっちゃったかなー?蘭丸ちゃーん。あっ!いた!」
「俺もっ」
「うるさい!くさい!あぁ、にゃんまりゅう、可愛いのぉ、ぺろぺろしたいのぉ」
義元は望遠鏡で蘭丸を覗きながら、隣に立つ背の低い草の塊を引き寄せると、
お尻に、股間をすりすりした。
「あっ!ちょっと!」
「にゃんまりゅうっ!!!!」
「「はぁぁぁ……」」
背の低い草の塊が二人、大きくため息を吐いた。
「さぁて。信長のぴよこちゃんは、無事帰れるかのー」
「強そうなのどっか行っちゃいましたし、とりあえず、向こうの足軽たちがひるんでいる今のうちに、一気に走りましょう」
光秀が周りの様子を伺いながら、信長に言う。
「そうだな。敗走する」
坊丸が弓を真上に放つ。
それを見た、馬に乗る家臣たちが一斉に走り出した。
このあと、歩兵も走らせなければいけない。
信長たちはその場に立ったまま、自分たちの軍を見送った。
「信長様も先に行ってください!俺は後方に周ります!」
光秀が走っている織田軍の後ろへと向かった。
おびえていた歩兵たちは、この勢いに驚き、あっという間に川を渡り、城へと逃げて行っていた。
「しろ?どうしたの?」
蘭丸が信長の乗る馬の顔を覗き込んでいた。
頭を縦に振り、様子がおかしかった。
蘭丸が、脚を見ると、血が滲み、毛を赤く染めていた。
「これは……信長様、しろ、脚を怪我しているみたいです」
信長は馬を降り、屈みこんだ。
「罠がしかけてあったな」
いつの間にか、御影も覗き込んでいる。
「わな?」
周りを見渡すと、暴走している馬にてこずっている者が何人もいた。
「あずき、あずきは?」
蘭丸は自分の愛馬を見ると、あずきもまた血が流れていた。
「気づきませんでし……」
突然、土の中から、刀を持った男が飛び出てきたかと思うと、蘭丸の首に向けて刃を入れようとしていた。
それを御影が受ける。
「信長様っ!」
蘭丸が刀を抜き、護衛に周ろうとしてた振り返ると、すでに、四人、男が地面に倒れていた。
信長は自分の刀を鞘に納めていた。
「俺はいいから、まだうろうろしてるやつら、全員始末しろ」
「御意」
目の前で、もう一度、自分に向かってくる男に蘭丸は、刀を構える。
体勢の整わないまま、刀の刃と刃を合わせる。
5度目に合わせたとき、敵の懐にすっと体を入れた。
「織田流 奥義 六番 黒龍」
「ぐ……」
腹に刀が入った。痛みで男は体を硬直される。その首に御影が飛びつくと、縄で首を絞める。
「チッ……」
首を絞めながら、御影は数メートル先の木の中を睨んだ。
そこから矢が飛んでくると、御影がクナイを投げ、落とす。
間髪入れずに、木から大柄な男が飛び出てきた。
「蘭丸!後ろだ!」
振り返った蘭丸が丸太のような腕に刀を入れる。
「うっ!うぉぉ!」
男は叫び、そのままの力で持っていかれそうになるのを、蘭丸は耐える。
「う……!」
男が膝に隠していた刃を蘭丸に当てようとする。
「滝川流 奥義……」
離れたところにいた七之助が、電光石火のごとく男に近寄ると、脚を切った。
「一番 光陰(こういん)」
「ぐぅ……あ……」
蘭丸は骨を断つことを諦め、刀の角度を変えると、横に切った。
「ん……ぁあっ!」
男が痛み叫んでいるところを御影が首を切り、とどめをさした。
どさりと男は倒れ、動かない。
「はぁ……はぁ……」「はぁぁ……はぁ……」「はぁ……ふぅ……」
蘭丸と七之助は、地面にどさっと膝をついた。
隣で、御影も膝に手をつき、荒い呼吸をしている。
ぱちぱちぱちと信長は規則的な拍手し、遠くで、見守っていた一益が安心したように笑った。
「いい動きだった」
しゃべる余裕もない蘭丸は汗を流しながら、信長に笑顔を返した。
その光景を、林の中から草だるまが見ていた。
「うよよよよ!しちのちゅけもいい動きじゃのー。かわゆい、かわゆい」
「義元様、バレてますって!」
気配に気づいた一益が、林の中のある方向を視線で示した。
「のぶなが、あのキモイのは?家臣も少なそうだし、ついでに殺っとく?」
「ほっとけ。おもしろいやつだしな。今じゃなくていい。さ、俺らも帰るぞ。馬は乗せてはくれんみたいだな」
蘭丸はそばで待機していたあずきを見た。
「はぁ……あ、あずき、先に帰ってて……。蘭もすぐに追うから。しろをお願い」
怪我をしながらも、何も乗せなければ歩けるようで、あずきはしろを見守るように一緒に走り出した。
「ほれ、走るぞ」
ポンと一益にお尻を叩かれ、七之助はびくんとする。
「はいぃ……」
信長、蘭丸たちは走り出した。
「信長様!よくぞ、帰ってきてくださいました!」
秀吉が帰ってきた織田軍を出迎えていた。
「はぁ……はぁ……どうだ?逃げれた、だろ……?」
「はぁ……はぁ、ほんと……だね……はぁ」
「はぁー……はぁー……」
息を上げ、御影と蘭丸、七之助は地面に寝転び、荒い呼吸をあげていた。
「はぁはぁ言って、寝転んでると、襲っちゃうよ?」
一益が覗き込むように声をかけた。
信長も隣で笑っている。同じように走ってきたはずなのに、全く疲れていないようだった。
「はぁ……はぁ……」
起き上がらなくてはいけないのに、体を動かす力は残っておらず、蘭丸はただ、焦った顔をしていた。
一益が七之助の抱き上げる。
「七之助、可愛かったよ」
「か……かずます、さまが……指示をくださったから……」
「えらい。えらい。指示通り」
主君に差し出された水を、七之助はぐびぐびと飲んだ。
坊丸が信長に水を持ってくる。
「坊丸、医者を呼んで来い」
「はい」
蘭丸が焦ったように体を起こした。
「信長様、どこか、お怪我されましたか!?」
自分が見ていた限り、怪我をしているようには見えなかった。
「お前だ。蘭丸」
「蘭……?」
信長に右腕を持たれると、手首に軽く手を添えられた。
「う……!!」
「思ったより、重症のようだな。手首にヒビでも入ったか」
「申し訳ありません……」
「あれで怪我してやんの、ダッセ」
近くで見ていた御影がニヤニヤ笑う。
「……」
思いのほか、言い返さず、下を向いていた蘭丸を御影は覗き込む。
信長の言葉を蘭丸は静かに聞いていた。
「また、力で振り切ろうとしたな。お前より体の大きいやつに、力で敵うわけないだろう。力は受け流し、また切り込む。何度でもだ」
「はい……」
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