甘い心臓

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鼓動する心臓の上に乗っかっているのは、はち切れそうなトマト。先生はそれを大事そうに掴むと、手に持っていた銀色のトレーにそっと置く。 ピッピッピッ 少し波紋を早めたモニターを先生は眺める。 心臓とそのトマトを…… 丸ごと交換? こ、怖い……心臓をくり抜かれるの? 私は……殺されるの? モニターの波紋が乱れ、数値が上がる。 「あぁ、せっかくいい心音だったのに……早く処理をしないといけないみたいだね」 そう言った先生は、奥のカーテンをシャッと開けると、青いビニールシートがかかった担架を運んできて私の隣に配置する。 運んできた振動で、ビニールシートの端から黒褐色の何かがダラリ、とぶら下がる。 ぶら、ぶら、ぶらり。 水分を含まないカラカラの腐った木の枝みたいなモノ……。 え……人の腕?! 「だめじゃないか、美菜。おとなしくしていないと」 先生はその木の枝を愛しそうに掴むと、ビニールシートの中へと仕舞い込んだ。 「君はたぶん美しい心臓を持っている。だから、特別に教えてあげよう」 私の目からじわじわと滲んでくる水。それは目元から氾濫する。鼓動が乱れ、決して動かない手足をバタつかせる。 た、助けて……。 先生はモニターを眺めた後、隣のトレーにあるハート型のトマトを眺めると、目を瞑りながら話し始めた。 「僕の娘は、小さな時から心臓が弱かった。僕は娘が心配だったが、自分の研究に没頭してしまい家族を放ったらかしにしていた。それは、トマトの研究。だからか、娘に愛を注いでもその心は、僕の愛を絶縁した。そして、それは妻も同じだった」 先生の目線は、儚げに空をゆらゆら彷徨う。 「心臓移植しか助かる方法がない、そう言われ必死でドナーを探した。なかなか見つからず、僕は、病院のベッドに苦しそうに横たわる娘を見ている事しか出来なかった。 そんな時、一時退院した娘が帰ってきた日に妻と口論になったんだ。 「あなたはいつも研究ばかり!娘がこうなったのはあなたのせいよ!」そう言った妻に逆上した僕は、近くにあった延長コードを妻の首に巻き付けて力強く締めた。ハッと気付いた時には、妻の心音は小さくなっていって……その時に思い付いたんだ。妻の心臓を娘に移植しようって」 先生は愛しそうにビニールシート全体を撫で回した後、また、口を開く。 「僕は消えゆく妻の心臓を、小刀でくり抜く事にした。妻の皮膚を楕円形に切り裂き、皮膚を必死で剥ぐと、あらわになったのは美しい心臓。びくん、びくんと振動するそれに、目を数秒奪われた。繋がっている数本の血管を切って、それを両手で優しく取り出したんだ。近くにあったガラスの器に乗せると、よりその生々しいピンク色が美しかった。その時、ちょうど娘が来て悲鳴を上げた。 僕は早く娘に妻の心臓を移植したかった。だから、小刀で娘の首を切り裂いて、同じ様に心臓を取り出した。娘の心臓はより弱々しかったけれど、僕のトマトみたいで可愛いかった。娘の心臓をガラスの器に乗せ、妻の心臓を娘の胸に押し込んだんだ。 でも、おかしいんだ。 娘は生き返らなかった。病気の心臓を妻の綺麗な心臓と入れ替えたのに。 僕は分からなかった。泣き叫んでも何故だか分からなかったんだ」 先生は頭を抱えながら、血走った眼球をキョロキョロさせる。 頭がおかしい…… そんなんで娘さんが生き返るわけがない。 「でもね、この学校に来て美しい脈動を持っている子たちに出会えた。娘と同じ高校生だから、ピッタリの心臓があると思ったんだ。だから、君みたいに心電図をしてその波紋が合格ラインか調べる事にしたんだよ。それをクリアすれば、その心臓をまた娘に移植できる。でも、穴の空いたままだと可哀想だから、僕の育てた赤いハート型のトマトを埋め込む事にしたんだ」 今まで誘拐された生徒の心臓を、先生が取り出していたの? 親友の萌のも? それで、そこに赤いトマトを……? そんなの狂ってる!! 私は左右に体を揺らし、口をモゴモゴさせると涙と汗で濡れたテープが、端からペロッと捲れ上がった。 「せ、先生!隣の、隣の娘さんはもう死んでますよね? だから、新しい心臓を移植しても、もう生き返らないんですよ!」 「ん? 娘が死んでいるだと?」 ハッと目を見開いた先生は、隣の真っ青なビニールシートを一気に捲り上げた。 ガバッ! 私は首を右へもたげ、その黒褐色の人形を初めて見つめた。それはカラカラに干からびていて、カサカサで、色々な所が陥没し、その渇いた穴からはウジ虫がニョキニョキ湧いていた。 どこからみてもミイラだ。 胸が空いたミイラ。 「美菜……お前は、もう、死んでいるの? 生き返る事はないの?」 先生は、その空虚ある胸に顔を埋める。先生の顔に、ウジ虫がウニョウニョ蠢いて張り付く。 先生の目から垂れる涙が、干からびた凹凸を濡らして染み入っていく。ミイラの表面に染みを作る。 「先生!死んだ人間は二度と生き返りませんよ!!」 「うるさい!!!」 先生は顔面にいるウジ虫を蠢かせながら、机にあった小刀を握り締めると、私の心臓にその刃先を突き付ける。 心電図が揺れて乱れる。 「お前の心臓を取り出して移植すれば、美菜は生き返える!絶対に!」 「やめて!そんな事しても娘さんが悲しむだけです!ココロは絶縁していたのかもしれませんが、娘さんはちゃんと先生の事、愛していたんだと思います」 ピタッと刃先が止まる。 先生の涙が私の皮膚に流れて落ちる。それはなぜか、不思議なほどに暖かい。優しい。 「美菜……美菜……ごめん。お父さんもお前を愛しているのに……どうして、お前を、この手で……」 振り上げた刃先が、私を固定していたバンドを切り裂き、やっと身動きができる様になる。 「すまなかった……逃げて警察に連絡するんだ。準備室の奥の物置に黒いゴミ袋がある。その中に生徒たちの遺体が入っている」 私は上半身を起こし、心電図から伸びている管をベリッと取り外すと、ピー……という静止音と共に床に飛び降りた。 急いで準備室の扉に手を伸ばし、部屋の外へ足を一歩踏み出した。 一気に駆け出すと、妙なうめき声と共に、何かが倒れる音が廊下を振動させた。 横目には血飛沫で汚れた赤いガラス窓。 振り返る事なく走る。 窓から降り注ぐ夕光が、自然と落ちた涙を煌めかせる。 学校の玄関を出ると、むせかえる熱気を感じたが、吐き気より悲しみが込み上げてきた。 親友の萌が殺された。 黒いゴミ袋の中で苦しかったろう。 ドスッ 心臓に衝撃を感じると、全身の循環が一瞬で乱れた。 アスファルトが頬に触れると、見慣れたローファーが目先に映り込む。 私は虚な目線を上げる。 「先生、死んじゃったじゃない!大好きだったのに……あんたのせいよ!」 薄れゆく中に、揺蕩う萌の顔。 その胸元には 今にもはち切れそうな赤いハート。 脈打つ甘い心臓。 〈完〉
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