最終章

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歳末イベント当日はびっくりするほど暖かく、午前中から大勢の人でにぎわっていた。 中村さんの焼く焼き鳥の匂い、もち米の蒸しあがる匂い、森下和菓子店のみたらし団子の匂い。エプロンに三角巾姿の森下さんの姿も見える。 福引きのブースは人が絶えず、時折大きな鐘の音と歓声が響く。 ステージ発表も順調で、子どもの発表の時にはスマホやカメラを構えた親が最前列に並び、その後ろには祖父母が並びと森下さんの読みがぴたりとあたっていたことを物語っていた。 イベント広場には「携帯電話よろず相談コーナー」というブースもあり、栄一郎さんが担当していた。 僕が魚屋のおばあさんに使い方を教えていたら、みんな寄ってきて質問攻めにあったことから、試しにやってみようということになったのだ。 本当なら言い出しっぺの僕が担当するはずだったんだけど、僕はステージ発表の裏方の仕事もあったので、栄一郎さんが担ってくれることになった。 「もっとスマホを使いこなそう」「どの社の携帯でもかまいません」「契約をせまったりしませ~ん♥」など、栄一郎さんの怪しげな手書きのポップが長机からぶらさがっている。 こういう仕事に前向きな人たちに囲まれて働けるって幸せなことなのかもと最近思う。 中学生のブラスバントの演奏が始まったとき、その栄一郎さんが僕を呼びに来た。 「お前にお客さん。ちょっと来れる?」 ブースに行くと、小泉さんが待っていた。 「その節は、お世話になりました」 小泉さんが僕に頭をさげた。 「先日の非礼のおわびと、報告に来ました」 「はあ」 僕がつったっていると、栄一郎さんが、小泉さんと僕にイスをすすめてくれた。 「富永さんがおっしゃる通り、義母は軽度の認知症を発症していました。夫を亡くし、夏の終わりには娘である私の妻も息子を追って渡米。義父の残した遺産のことで、いろいろあったこともあり、他の親戚とも疎遠になっていまして。環境の変化や頼れるものがいなくなったストレスが原因かと医者に言われました」 クリーム色のセーター姿の小泉さんは、前に事務所に来たときほど硬いイメージはなくて、ちょっととまどう。 「義母は、厳しくきちんとした人だったので、家に行ったときには驚きましてね。家が散らかっているのも、怠けているのだとしか思えなかった。山のようにある怪しげな物も、数台ある携帯も、義母がだまされたのだと思って疑いませんでした」 小泉さんは、さみしそうに笑って、 「携帯は、どこに置いたかわからなくなると、あちこちの店で新しいものを購入していたようです。不安だったのかもしれません」 と、付け足した。それから立ち上がり、僕にもう一度頭をさげた。 「何もわからないまま、怒鳴り込むようなことをしてしまって、申し訳なかった」 僕もあわてて立ち上がる。 「あ、頭をあげてください。僕、何度も中沢さんとお話していたのに、認知症のこと何も気づかずに契約してしまって、こちらこそ、申し訳なかったです」 「そんなふうに思う必要はない。病院に行けたのも、あなたが説得してくれたおかげなんですから」 そう言って、小泉さんが右手を差し出した。僕がおずおず手を出すと、小泉さんは力いっぱい握ってきた。 「ツジカワーズのステージ、楽しみにしていますよ。妻も帰国しましたのでね。今日はみんな一緒に見せてもらいますよ」  僕はずっと圧倒されたままで、あとから栄一郎さんに笑われた。 ふるまいのお餅も中村さんの焼き鳥も予定より早くなくなり、福引きの特賞にも全部リボンがついたのに、イベント広場の人の数は少しもへらない。 地元のテレビ局のカメラが入り、新聞記者の姿も見え、中村さんやケンさんは予定外の対応に追われている。  僕たちのステージの時間が近づいてくる。 水色のツジカワーズのTシャツに着替え、控室として準備した辻川会館の一室で、軽く柔軟体操をする。 柳さんは早くからアップをしていたらしく、もうすっかり出来上がった体でステップをふんでいる。 まずは、四人のダンス。それから青年団みんなで踊る「ジャンプ」へと続くプログラム。イベントの大トリだ。   なんだか落ちつかず、アップもそこそこに外にでる。 イベント会場にはさっきよりもたくさんの人がいて、真冬なのに熱気のようなものがムンムンと渦巻いていた。 アイドルを応援するみたいな名前入りの手作りうちわを持った「応援団」の姿も見える。 わお。池田さんが「慎也♥」って書いたうちわ持ってる。 隣の栄一郎さんのうちわは、うちの夏のキャンペーンのヤツじゃん。手え抜いたな……。 その向こうに、中沢さんの姿が見えた。隣に知らない女の人がいる。 あれがきっと娘さんなんだろう。小泉さんの姿も見える。 ふと視線を向けると、ステージの裏に森下さんがいた。 今日はバタバタと忙しく、ほとんど口もきいていない。 近づくと、森下さんは、必死な顔して「人」を手に書いて飲んでいた。 「緊張してるの?」 僕が声をかけると、 「いいでしょ」 とふくれる。 「それ、僕もよくやりましたよ」 あわてて取り繕って言うと、森下さんが、真剣な顔をして僕を見た。 「知ってる」 「え?」 「それ見て、私もするようになったから」 「え? いつ?」 森下さんはしばらく目を泳がせ、それから、覚悟を決めたように僕をまっすぐに見た。 「私、知ってた」 「何を?」 「『LAN』の浅木慎也」 「え?」 「ずっとファンだった」 「えええっ」 思わず大きな声がでた。細身の体に「「ツジカワーズ」と書いたやぼったい水色のTシャツを身に着けた森下さんは、真っ赤になって、それでも僕をまっすぐに見ていた。 水色のリボンが揺れるポニーテール。 そして、不意に思い出す。 僕、「ポニーテールの女の子が好き」って、どっかの雑誌に言ったことがあるんじゃなかったっけ。 えっ、えっ、まさか、本当に?  こっちがうろたえる。 「学生生活最後の年のダンスのコンクール、地区予選の決勝まで残ってた。練習しても練習しても満足いかなくて、前の夜も手足が震えて、眠れなかった。どうしようもなくてテレビをつけたら、『ZAK』が映ってた。そしてら、バックダンサーの子がくしゃみして」 ああ、あの日。 「その中に、必死で手の平に人を書いて飲んでいる男の子がいた。司会者に笑われても、真っ赤になりながら書いては飲んでをくりかえす。なんだ、テレビに出るような人でもこんなふうに緊張するんだ、と思ったらなんか気が抜けて、楽になったの」 すごい。あの映像でそんなふうに思ってくれた人がいるなんて。 「覚えてる? あの放送の最後、エンディングでもう一度話を振られて、あなたがなんて言ったのか」 「覚えてるよ」 そうだ。こないだ見た動画はそのシーンまでなかったけど、最後、もう一度司会者がスタジオ隅の僕たちをネタにして、カメラが回った。 「どうだった? 緊張せずに踊れた?」と聞く司会者に、僕は笑って言ったんだ。 「おかげさまで、全力でがんばれました」 僕と森下さんの声が、不思議なハーモニーのように重なって、二人で声をたてて笑う。 「だから、私もずっと使ってるの。全力でがんばれるおまじない」 「……じゃあ。僕も」 僕も手のひらに「人」を書く。  全力でがんばれますように。 あの頃も、今も。これからも、ずっと。 ゆっくりと「人」の字を飲み込む。 それから、そっと森下さんの手をとった。 「行こう」 「うん」 舞台ソデで、柳さんが手をふっている。 その後ろに、照れくさそうに笑ってるケンさんや中村さんが見える。 きっと応援団のうちわ見てるんだろうな。 「おまちかね。ツジカワーズのみなさんです!」 司会者の澄んだ声に押されるように、僕たちはステージに向かった。                      終わり
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