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アーケードが広がるさびれかけた辻川商店街。入り口から十軒ほど入ったところにある小さな携帯ショップ。 これが僕の勤め先だ。 「ただいま、戻りました」 店に客の姿がなかったので、事務所につながる裏口からではなく、店の入り口から戻った。 「あら、おかえり。浅木くん」 パートの池田さんが、接客カウンターの中からのんびり声をかけてくる。 池田さんは生まれも育ちも地元という根っからのアラフィフジモティで、地域のことをとてもよく知っている絵にかいたようなおばちゃん、いやお姉さんだ。 地方都市とはいえ、その隅っこの町なので、土日や夕方はそれなりに客もくるけど、平日の昼間はガランとしていて、店内の液晶画面に流れるCMの声だけが空回っている。 「お、なんかおいしそうなもの持ってるな」 栄一郎さんが、僕の手の中をのぞき込む。 日ごろトレーニングが趣味という栄一郎さんは、肩周りも胸周りもがっしりと厚い。 僕より四つ年上で、頼れる兄貴のような存在だ。 「学園祭のお土産。たこ焼きです。お客さんいないですし、今の間に事務所でどうぞ」 僕が差し出すと「サンキュー」と栄一郎さんが受け取った。 「あ、そうそう。所長は辻川組合の会議行ってるから。今日も遅くなるって」 「なんですか? その辻川組合って」 「辻川商店街振興組合。略して辻川組合」 「なんだ、いつもの商店街の会合じゃないですか」 「まあ、そうだけどさ」 新しい所長の富永さんはけっこう攻めの人で、商店街の会合にもせっせと顔をだしている。 地域のイベントや大学の学園祭にも積極的に打って出て、やれティッシュだのうちわだのを配っている。 まあ、配りに行くのはいつも、入社二年目で最若手の僕なんだけど。 僕はカウンターに入って、いつでもお客の対応ができるように椅子に腰かけた。 「あの人、イベント好きだからなあ。またなんかやらされるかもなあ」 栄一郎さんが肩をすぼめながら続ける。 「で、今日は店閉めたら、所長の帰り待たなくて退勤していいってよ」 「了解です」 栄一郎さんと池田さんが事務所に消えると、店が一気にガランとなる。 店はガラス張りなので、カウンターの中からアーケードを歩く人が見える。 買い物バッグを持った人、自転車を押す人、おしゃべりしている人、だまって小走りで過ぎてゆく人。 気がつくと、指が勝手にリズムを刻んでいる。 ずっとずっと忘れていた曲だったのに。 気持ちがザワザワと揺れる。 一人暮らしのアパートに戻っても、やっぱり落ち着かなかった。 スエットに着替えて、冷蔵庫からビールを取り出して、まずは一口。 それから、朝に作った肉じゃがの鍋に火を入れる。 グツグツと煮え立つ間にも、気を抜くと、指や足がリズムを刻もうとする。 あれから決して口ずさむことのなかった「全力疾走」。 僕にとっては、何度も何度も歌い踊った曲だ。 ずっと聞かないように、見ないようにしてきたのに。 あんなにストレートに目の前で聞くことになるなんて。 忘れたつもりだったのに、体が自然と動き出す。 数年ぶりに口にする曲なのに、歌詞が自然と口をつく。 当時の振り付け通りに腕が動き、足がステップを踏み始める。 タタン、タタタン……、そしてクルっとターン。 それから、後ろに回りこんで笑顔で前進……。 一連の動きが自然に出てくる。 ここはカズくんのソロ。次はノリくんのソロ。 ソリストたちの顔を隠さないように僕たちバックダンサーは、流れるように前を通りすぎていく。
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