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「こっちに戻ってしばらくは引きこもっていて何にもできなかったんだけど、スクールの先生に声かけてもらって、なんとか社会復帰したの。なのにさ、今回、先生が商店街のイベントなんかで踊らせないって言って、またぶつかっちゃって」
森下さんは、息を吐いたそのままの勢いでうずになったパスタを口に運ぶ。
僕はそれを見ながら、自分のお皿にうずを作る。
「こんなこともできる、こんなふうにも踊れるって、ダンスの楽しさとか魅力をたくさんの人に伝えるチャンスなのに。先生はなんでわかってくれないんだろう。昔のダンス仲間は、どうして一緒に踊ってくれないんだろう。やっちゃんは、なんでダンス最優先にしてくれないんだろうって、人のしてくれないことばっか気になって」
テーブルの上で、森下さんのパスタのうずと僕のパスタのうずが、くるくると回る。
「その上、有志も集まらなくて踊れなかったらかっこ悪いし、ケン兄にも何言われるかわかんないし、悔しいし。キーってなってて。で、そのまんまの勢いで、浅木くんにもひどいこと言っちゃった」
パスタは長い間クルクル回って、やっと止まった。
同時に森下さんが顔をあげる。
「もう一回謝っとく。ごめんなさい」
僕はパスタのうずを止めて、口に運んだ。
「森下さんのダンス好きは、みんな知ってますから」
「え?」
「中村さんが言ってましたよ。碧は、昔からダンスのことになると周りが見えなくなるからって」
「もう、まー兄ったら」
ぷっとふくらんだ頬が、お酒のせいでほんのりと赤い。
僕は二杯ともビールだけど、森下さんはビールは太るからとワインを飲んでいる。
女の人はそんなものかと思っていたけど、踊るための体作りを意識した選択なのかもしれない。
そういえば、こないだ連れて行かれたランチでも、デザートは食べていなかった。
和菓子屋の娘だからケーキは嫌いなのかと思ったけど、体型維持のためなのかもしれない。
そういうストイックさが維持できるのは、才能だよなと思ったときに、見たこともないくせに路上ライブで歌う直斗の姿が頭をよぎった。
だれもいない夜の駅で、一人ギターを鳴らして歌う直斗。
あいつはたった一人でも堂々と全曲歌いきるだろう。
そういうぶれない熱さに僕は憧れていたんだから。
「浅木くん?」
呼ばれて、はっとする。
「ごめん。ちょっと昔の友達のことを思い出してました」
「昔の友達?」
「森下さんとはタイプが全然違うけど、森下さんがダンスを好きなように、歌が好きなヤツがいて」
「ふうん」
「僕は知らなかったんだけど、一人でコツコツ路上ライブなんかもしてたらしくて。今、チャンスをつかみかけてるんですよね」
「へえ。すごいね」
店員がコーヒーを運んできた。少しの間会話が途切れる。
コーヒーの落ち着いた匂いが僕たちを包む。
森下さんは当然ブラックだ。
「それを知って、浅木くんは嫉妬とかしないの?」
「え?」
「私は、ダメだな。東京で知り合ったダンス仲間がテレビとかに映ってると、くっそーって思っちゃう。浅木くんはそうは思わないの? どうしたら、そう冷静でいられるの?」
「どうしたらって、どうなんでしょう。最初は気持ちがザワザワしましたけど」
はじめて直斗の曲を聞いたとき、自分の足元を中心にしてなにか違う世界が広がっていくような気がした。
単純な驚きと、すっげえという気持ちと。
それから、ほんの少しだけれど、直斗に来るなら僕にもチャンスがあったかもしれないという悔しさと。
だけど、直斗はずっと努力をしてきた。
僕は、努力をしようなんてことすら考えなかった。
それは、どっちが正しいわけでもどっちが間違えてるわけじゃない。
選んだ道が違うだけだ。
「僕は多分、大きな何かに向かってがむしゃらにがんばり続けることは苦手なんですよ。目の前の小さなことをどうよりよくクリアしていくかで精いっぱい。だから、大きな夢はなくていいんです」
「夢はなくていい」という言葉に反応したのか、森下さんが悲しそうな顔をした。
「でも、それは、悪いことじゃないと思いません? 僕だって、日々の暮らしの中では、あれこれやりたいことはある。今は、歳末イベントを成功させることが夢です」
「素敵な考え方ね」
僕がコーヒーカップを持つと、森下さんもカップを持った。
「それと、ひとつ言っときます。森下さんは誤解してる。僕は踊りたいから踊ってる。自分の意思です。森下さんのわがままにつきあってるつもりはありませんから」
「わかった。覚えとく」
二人でコーヒーカップをカチンと鳴らす。
ブラックのコーヒーなのに、甘く感じて、ちょっとむせた。
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